黒木瞳がパーソナリティを務めるニッポン放送「あさナビ」(2月6日放送)に気象予報士の森田正光が出演。東京が特別に気温が高い理由を解説した。
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黒木瞳が、さまざまなジャンルの“プロフェッショナル”に朝の活力になる話を訊く「あさナビ」。2月6日(月)~2月10日(金)のゲストは気象予報士の森田正光。1日目は、当時最年少の気象予報士になった経緯について
黒木)森田さんはお天気をわかりやすく伝えるプロフェッショナルでいらっしゃいますが、民間気象会社「ウェザーマップ」の創業者でもいらっしゃいます。もともとお天気キャスターになろうと思って日本気象協会に入られたわけではないのですよね?
森田)違いますね。高校のときに進路相談のために学校の先生のところに行ったところ、「こちらもあるよ」ということで、たまたま気象協会の方も応募していたのです。「受けてみるか」という軽い気持ちで受けてみたら受かってしまったということです。それ以来、ずっとこの仕事をやっています。
黒木)すごいですよね。
森田)いま72歳なので、50年以上になります。
黒木)当時は「いま若い方を育成しなければいけない」という時期で、異例の抜擢でお天気キャスターになられたそうですね?
森田)当時のお天気キャスターは、40歳以上でないとなれない仕組みになっていたのです。気象協会に入ると最初にやるのは「Eパート」と言って、いろいろな天気図のもとを描くような瑣末なことばかりでした。それが「E」、「D」、「B」、「C」、「A」、「T」、「N」というように7つの階段を上がるのです。
黒木)1つの階段を上げるのに3年。
森田)7つなので20年ぐらい掛かるのです。ところが、私は名古屋で採用されて、東京に転勤してきて「研修」という名目だったので、本来であれば3年掛かるところを半年から1年くらいでポンポンとやらせていただいたのです。
黒木)研修ということで。
森田)あるラジオ番組に出ていたときに(フリーアナウンサーの)土居まさるさんが、「君、面白いからテレビに出ない?」と誘われて出たのが、まだ20代でした。当時、最年少のお天気キャスターになったのです。
黒木)本当に大抜擢ということですよね。
森田)それをたまたま観ていたTBSのプロデューサーの方が、「あの若いのは何だ? うちに出せ」と言って今度はTBSに出させていただいたのです。そういう風に回っていったのです。「それまでの順番を崩した」とも言えると思います。
黒木)もうお亡くなりになりましたが、土居まさるさんが「お前面白い」とおっしゃったのは掛け合いが面白かったそうですね?
森田)そうですね。
黒木)自分のことを言っても、と。
森田)素のままでやっていたら、そちらの方がいいという感じで可愛がっていただきました。
黒木)森田さんの才能を土居さんに発見していただいたというわけですね。
森田)土居さんがいなければ、いまのような立場はありませんでしたね。
黒木)そのような森田さんですが、『気象予報士という生き方』(イースト新書)からという本を出されたばかりです。「天気予報も人生も失敗ばかりを繰り返すから精度が上がる」と(帯に)ありますが。
森田)そのような気がしませんか? 失敗をすると「次は上手にやろう」と反省しますよね。「失敗は成功のもと」という言葉はよく言ったものだと思います。私は失敗ばかりですから。きょうも失敗していませんか?
黒木)いえいえ、何を失敗なさるというのですか?
森田)ツッコミすぎるとか。
黒木)そのようなことはありませんよ(笑)
土居まさる(昭和57年) 写真提供:産経新聞社
黒木)東京では100年間で平均気温が約3度上がっているそうですね?
森田)地球全体では1.1度くらいなのですが、東京だけを考えた場合、「都市気候」と言って、いろいろなものを使ったりするとその影響で気温も上がるのです。
黒木)「東京音頭」は楽しい歌ですが、上がっていくのは困りますよね。
森田)それには2つ理由があるのですが、1つ目はまず温暖化です。地球全体が化石燃料によって二酸化炭素の量が増えています。また、都市はコンクリートなので、昼間に熱を蓄えて夜に出すという仕組みになっています。そのような都市気候と温暖化という2つの理由によって、東京だけ突出して温度が高いのです。
森田正光 / 気象予報士
森田正光(もりた・まさみつ)/ 気象予報士
■1950 年・名古屋市生まれ。72歳。
■財団法人日本気象協会を経て、1992 年に初のフリーのお天気キャスターとなる。
■1992年、民間の気象会社 株式会社ウェザーマップを設立。
■親しみやすいキャラクターと個性的な気象解説で人気を集め、テレビやラジオ出演のほか全国で講演活動も行っている。
■2005年、財団法人「日本生態系協会」理事に就任。
■2010年から環境省が結成した生物多様性に関する広報組織「地球いきもの応援団」のメンバーとして活動。 環境問題や異常気象についての分析にも定評がある。