“宮沢賢治よ/知っているか/石ひとつ投げられない/偽善の牙の人々が/きみのことを/書いている/読んでいる/窓の光を締めだし 相談さえしている/きみに石ひとつ投げられない人々が/きれいな顔をして きみを語るのだ(中略)
「美代子、あれは詩人だ。/石を投げなさい。」”
生誕百周年を前後して起こった、宮沢賢治賛美ブームを下敷きにしたこの作品で、荒川洋治は詩人を見る・読む者の、安易な視線にひどく苛ついている。〈世界を作り世間を作れなかった〉宮沢賢治の宇宙が、それとは正反対な生き方をしている現代人の目なんかで見えるはずがないと怒っている。世間を作ることに汲々(きゅうきゅう)とするばかりのわたしたちの正直さとは、〈東京の杉並あたりに出ていたら/街をあるけば/へんなおじさん〉扱いされるであろう賢治に、石を投げつけることにしかないと説いている。その厳しさに、打たれた。
あるいは、昨秋出た『本を読む前に』というエッセイと評論をまとめた一冊(ALL REVIEWS事務局注:本書評執筆時期は2000年)。氏は語る。自分にまつわる話をとうとうと書く文学者が増えており、〈陽気というのか。暢気というのか。のうてんきというべきか。そんな文章が多くなった〉〈ここはどういう誌面なのか。どういう立場に立てばいいのか。何を書き、何をはぶいたら一般性のある話になるのか。たんなる自慢話や土産話でなくなるのか……など、いろんな角度から、自分の文章を見直す。単調にならないようにする。それができなくなったときは文章そのものが死ぬときだ〉と。