第二次世界大戦中、ナチス占領下のオランダ。祖国が占領される絶望と、激化するユダヤ人迫害を目の当たりにした3人の少女――ハニー、トゥルース、フレディは家族、友人、そして同胞のために、ペンを銃に持ちかえた。
◆アンネ・フランクと同世代の少女たち
第二次世界大戦中のオランダというと、まず思い浮かぶのがアンネ・フランクではないでしょうか。アンネの一家が、反ユダヤ主義を掲げるナチスの迫害から逃れるために故国ドイツからアムステルダムに移ったのは1933年1月のことでした。
当時のオランダは、さまざまな信条の持ち主が共存できる比較的寛容な社会で、ユダヤ人も数多く住んでいました。しかし、1940年5月に、ドイツ軍が宣戦布告もなく、厳正中立を宣言していたオランダに侵攻してからは情勢が一変。ウィルヘルミナ女王と官僚たちはロンドンに亡命し、ラジオ放送を通して国民に抵抗を呼びかけました。アンネの一家が「隠れ家」で暮らすようになったのは、アムステルダムでもユダヤ人狩りが激しくなった1944年に入ってからです。
本書は、ナチス占領下のオランダで、ハールレムという都市を中心に、果敢に占領軍と戦った3人の若い女性の実話です。オフェルシュテーゲン姉妹、トゥルースとフレディはまだ10代で、母親が左翼系地下新聞の発行に携わっていたことから、レジスタンス組織のリーダーにスカウトされて、諜報活動や破壊工作、そして、やがて暗殺にも関わるようになります。残るひとりのハニー・シャフトは大学で法学を学んでいたのですが、ユダヤ人の友人を助けるためにIDカードを偽造したことから、レジスタンス活動に加わって、やがて姉妹と行動をともにするようになります。
ドイツ兵から情報を探り出したり、こっそり武器を運んだり、ユダヤ人の子供をひそかに移動させたりするのは、若い女性のほうが目立たないという理由から、3人には次々とさまざまな任務が与えられました。こうして、銃を持ったこともなかった10代の少女が、いつのまにか銃を携帯していないと脆弱な立場にいるようで落ち着かなくなるまでに変貌していったのです。
過酷な日々を生き抜いたオランダ市民が、ようやく連合軍に解放される日も近いと歓喜に沸き立ったのは1943年9月のこと。しかし、1944年6月の連合軍のノルマンディー上陸後も、ドイツ軍は抵抗を続け、連合軍はドイツ軍を追いつめるために石炭やガスの供給を中止し、オランダは44年冬から45年にかけて「飢餓の冬」に見舞われました。45年5月に解放されるまでにユダヤ人も含めて20万人以上の犠牲者を出しています。アンネ・フランクが隠れ家から引き立てられて強制収容所に送られたのが44年8月、そして、15歳の生涯を閉じたのが45年3月上旬とされています。
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生まれた時代が違っていたら
本書の原題はThree Ordinary Girls(3人の普通の少女たち)ですが、たしかに3人ともどこにでもいるような若い女性で、生まれた時代が違っていたら、おそらく歴史に名を残すことはなかったでしょう。
著者のティム・ブレイディはミネソタ州在住の作家で、主としてドキュメンタリーを数多く世に送りだしています。アメリカ人の彼がオランダで戦ったレジスタンスの女性闘士の人生を描こうと思い立ったいきさつは、著者が謝辞の中で語っているように偶然が重なったからですが、国も時代も異なるからこそ、身の毛がよだつような陰惨なできごとを淡々と、でも、共感をこめて描けたのかもしれません。
アンネ一家がおよそ2年を過ごした隠れ家は、「アンネ・フランクの家」としてアムステルダムの人気スポットになっており、何ヵ月も前から予約しないと入れないほどの盛況だそうです。それだけ当時の時代背景に関心を向ける人が多いということでしょう。それでも、現実世界に目を向けると、自分と異なるものに対する偏見や差別は今も消えることがなく、世界のあちこちで紛争が続いています。
戦争と差別のない世界を願っていたアンネ、戦争が終わったらジュネーブに行って国際連盟で働きたいと言っていたハニー、高齢になっても理想を失わず、若かったらグリーンピースかアムネスティで働くと言っていたトゥルース、戦争体験のせいで周期的にうつ状態に陥りながらも、レジスタンス闘士だったことに誇りを感じていたフレディ、彼女たちが現在の世界を見たら、どんな感想を抱くでしょうか。
[書き手]矢沢聖子(英米文学翻訳家)
【書誌情報】
ナチスを撃った少女たち:スパイ、破壊工作、暗殺者として戦った三人著者:ティム・ブレイディ
出版社:原書房
装丁:単行本(ソフトカバー)(264ページ)
発売日:2024-07-26
ISBN-10:4562074280
ISBN-13:978-4562074280