◆心身の解放求め流浪した己の記録
一五四三年ポルトガル人による鉄砲伝来があり、やがて織田・徳川連合軍の鉄砲隊が武田軍の騎馬戦法を打ち破った長篠の戦いがおこる。この十六世紀後半のヨーロッパを舞台として、一五三三年生まれの南フランスのモンテーニュは人文主義モラリストとして活動した。
作者は旅の理由を聞かれれば、いつも「なにを避けているのかはよく分かっているのですが、なにを求めているのか、自分でもよく分からないのですよ」と答えることにしているという。それとともに「自分のことよりも他人のことを喜び、移動や変化を好む」という気質があるらしい。その裏には家政の厄介ごとの煩わしさが面倒だったにちがいない。この田舎領主は、農業のイロハも分からず、なによりものんびり無頓着に生きたいのだった。それに加えて、宗教をめぐる内戦の最中、国家や社会の動静はどうもモンテーニュの肌になじまなかったらしい。
裁判所判事として活躍し、父の死後、家督を継ぎ、三九歳のころから『エセー』の執筆を始めたが、四四歳のころから腎臓結石症を患い、生涯苦しむことになる。四八歳でボルドー市長に選出されたが、本人不在だったというから、旅の途中であった。
一五八〇年、四七歳の九月に、ローマ詣での長旅に出発しており、永遠の都ローマを訪れたいという積年の願いが叶(かな)ったのである。なによりも「ローマ市民」という称号を賜ったことは嬉(うれ)しさの極みであり、その神聖なる威光を偲(しの)びたかったのである。たとえそれが空(むな)しい肩書きであっても、あらゆる手立てを尽くして獲得したかったというから、一見達観したかのような趣のあるモンテーニュだが、意外にも俗人っぽい気質もあったらしい。
それにしても、モンテーニュの旅の大半を占めるのが、持病の腎臓結石の治療のための温泉めぐりである。
とくに興味深いのは、『旅日記』の前半は秘書が書き記したものであり、後半は本人が手をつけていることである。従者に暇をやり、後半はどれほど煩わしくても自分で続けていくと決意したらしい。前半は他人の観点からの主人のふるまいであるから、排出・排泄(はいせつ)のあからさまな記述はほとんどない。だが、本人にすれば、湯治・病状の記述は詳細でなければ、前例として役に立たないのである。モンテーニュ本人にすれば、読者のために書き記すのではなく、あくまで本人のための記録なのだ。
それにしても、読者の視線を気にせず、たんたんと自分の心境をつづった記録だからこそ、本書は比類のない価値をもっている。旅にあって、心身を解放するのであれば、野蛮と文明の差異に鋭敏に気づくのかもしれない。
【下巻】
【書き手】
本村 凌二
東京大学名誉教授。博士(文学)。
【初出メディア】
毎日新聞 2026年6月6日
【書誌情報】
モンテーニュ 旅日記
翻訳:宮下 志朗
出版社:岩波書店
装丁:文庫(350ページ)
発売日:2026-02-16
ISBN-10:4003250974
ISBN-13:978-4003250976