プロデューサーとして幾多のアニメ作品を手掛けてきた丸山正雄さんが毎回登壇し、これまで手掛けてきた作品の上映と縁のゲストを招いたトークショーを行う、シリーズイベント《丸山正雄のお蔵出し》。
8月5日(土)には、丸山さんと虫プロ時代のからの盟友である杉井ギサブローさん、高橋良輔さんをゲストに招いてのイベント第4弾「手塚治虫と虫プロ」篇が開催された。
その模様をお伝えしよう。

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丸山さんは、手塚治虫が設立した虫プロダクションに1965年に入社してアニメ業界でのキャリアをスタート、1972年に独立してアニメ制作会社「マッドハウス」を設立してプロデューサーとして数多くの名作を世に送り出し、2011年には新たなアニメーションスタジオ「MAPPA」を、さらに2016年は「スタジオM2」を設立し、今年82歳を迎えるも現役で活躍中のレジェンド的存在だ。
最新プロデュース作となる『PLUTO』は、漫画家・浦沢直樹が手塚治虫の代表作『鉄腕アトム』の中でも絶大な人気を博したエピソード「史上最大のロボット」をリメイクし現代に蘇らせたコミックスが原作で、10月26日からNetflixで世界一斉配信される。

《丸山正雄のお蔵出し》では『PLUTO』にちなんだ特集が3回に渡って企画されており、今回の「手塚治虫と虫プロ」はその第1回目で丸山さん自身にとって ”原点” といえる手塚治虫が設立したアニメスタジオ「虫プロダクション」を振り返っていく。
ゲストの杉井ギサブローさんはTVシリーズ『タッチ』(1985年)や映画『銀河鉄道の夜』(1985年)を手掛けた巨匠。そして高橋良輔さんは『太陽の牙ダグラム』(1981年)、『装甲騎兵ボトムズ』(1983年)というリアルロボットの歴史に燦然と輝く傑作の産みの親であり、お二人ともに丸山さんと虫プロで苦楽を共にした仲間である。


◆貴重な上映作品◆

今回上映されたのは、1966年放送『W3(ワンダースリー)』第51話「地底のクジラ」、1967年放送『悟空の大冒険』の未放映第8話「ニセ札で世界はまわる」、1968年放送『リボンの騎士』第46話「ふしぎの森のサファイヤ」の3作だ。
「地底のクジラ」は、銀河連盟から派遣されたW3のボッコ、プッコ、ノッコと星真一少年が、金色のクジラを捉えて一儲けを企む興行師と対決するストーリーで、高橋さんが演出、丸山さんが演出助手としてクレジットされている回。
「ニセ札で世界はまわる」は杉井さんが総監督を務めた『悟空の大冒険』の第8話として制作されたものの、放送前にお蔵入りとなった ”幻のエピソード”(2004年のDVD BOX発売時にフィルムが発見され収録された)。演出は故・出崎統で、三蔵たちをニセ札に変えた謎の女と悟空と沙悟浄が国境を越えた奇妙な追跡劇を繰り広げるという内容の、シュールなスラップスティックコメディだ。
「ふしぎの森のサファイヤ」は現状残っている記録の中で唯一、丸山さんが「脚本」としてクレジットされている作品。リボンの騎士ことサファイヤを陥れようと企むX連合の手先・オババが、彼女に放火犯の濡れ衣を着せるというスリリングなストーリーが繰り広げられるが、丸山さん自身は「『リボン』で脚本を書いたなんて、まったく覚えていないですよ」とのこと。


あらためて上映作を観た丸山さんは「覚悟はしていましたが……酷いもんですね(笑)。もう少しマシに観られるかと思っていたけれど。日本のアニメーションは50年前、これだったんです、というのを確認するにはよい機会になったかな」と自嘲的に語ったが、いずれも日本のTVアニメ黎明期を飾った貴重な作品であり、それを劇場のスクリーンで観られるのは非常に貴重な機会だと言える。
特に「ニセ札で世界はまわる」は、当時放送禁止になった理由が何となく想像できるほど自由奔放な実験精神やアナーキーな風刺、そして過激なまでのサービス精神が感じられる尖った内容で、場内では何度も笑い声があがっていた。

※手塚治虫の「塚」は旧字体、出崎統の「崎」は「たちざき」

◆身近で感じた手塚治虫の”真意”◆

上映後のトークでは、丸山さん、杉井さん、高橋さんによって虫プロ時代の思い出や、それぞれが直に触れて感じた手塚治虫像、虫プロというアニメ制作会社に漂っていた雰囲気など、貴重な証言の数々が語られた(モデレーターはアニメーション史研究家・原口正宏さん)。

まずは『W3』の企画立ち上げに関する裏話から。

丸山さんによれば「『鉄腕アトム』で手塚さんの存在がいろいろ問題になって(注:手塚の多忙による制作スケジュールの遅れが問題視された)、『ジャングル大帝』(の制作現場)は手塚さんが出入り禁止になったんですよ。恐ろしい会社だと思います(笑)。そういうことが虫プロの凄さだと思う。さらにもっと凄いのは、出入り禁止になって手塚さんは『ジャングル大帝』は全部、(山本)暎一さんにお任せすると言って、潔く身を引いた……と思いきや、なぜか『W3』という企画を漫画で連載し始めて、当時の状況なら当然『これもアニメ化してください』という話が出てくる。つまり、自分が監督としてアニメーションをやりたいから『W3』の原作を描いたんです」。

ところが、連載が始まった途端にアニメ化することになったので原作も溜まらず、結局、手塚は漫画を描くので手一杯に。
監督をやると言いつつ、実際には第1話のコンテを描いた程度で、アニメ制作は現場のスタッフに任せられることになった。

「(虫プロの)主要スタッフは全部『ジャングル大帝』をやっている。だから、当時はまだほとんど素人同然の高橋良輔に『あなた、コンテを描きなさい』みたいなことで任せてしまう。『僕がチェックします』とか言うけど結局、時間がなくてチェックしない。本当にめちゃくちゃなんだけれど。最終的には「僕が、責任を取ります」みたいなところがあるんです、あの人は。
それが手塚さんのすごいところ」と丸山さんが述べると、高橋さんも「(『W3』のスタッフは)ほとんどの人がコンテ、初めてだったんですよ」とその言葉を裏付けた。

そんな大胆にも思える手塚の姿勢の奥にある ”真意” は何だったのか。
「”最後は僕が責任取ります” と言うけれど、それは言葉だけですよ(笑)。だって、誰も手塚先生のせいだなんて思わないし、手塚先生自身も『お前のせいだ』なんて絶対に思われないだろうと考えていたはず。ただし、手塚先生は『あなたも ”作り手” ですから』と、『本当はあなたの責任ですよ、あなた自身の ”作る” という気持ちで作ってくださいよ」と(いう想いを感じ取っていた)。それに後押しされて、『アトム』からまだ5年くらいしか経っていない頃の、生き馬の目を抜くようなTVアニメの世界で、素人が作っていたんです』(高橋)。


丸山さんも「それができた時代なんですね。人がいなかったから、ということではあるけれど、でも、その中から高橋良輔や富野由悠季が生まれてくるということだと思うんです」と、TVアニメの黎明期だからこその空気感が生んだ可能性と才能を指摘した。

※手塚治虫の「塚」は旧字体、出崎統の「崎」は「たちざき」

◆虫プロが目指したのは ”作家集団”◆

丸山さんは『悟空の大冒険』の企画成り立ちもに関しても、「当時23歳の総監督(杉井ギサブロー)が突然、『僕、手塚さんのじゃない絵でやります、お話も全部変えます」と言い出して、それをOKしちゃうのがすごいよね。普通、ダメって言うよね」と、手塚の柔軟な姿勢と指摘する。
『悟空の大冒険』は手塚治虫『ぼくのそんごくう』を原作としつつ大幅に内容を改変して作られた作品とされているが、杉井さんは実際の企画立ち上げの経緯を詳しく説明してくれた。

「僕は最初『ぼくのそんごくう』をやりたかったけれど、(1960年の東映動画『西遊記』として)一度やっているからダメだということで、それだったら中国の『西遊記』をそのままアレンジしたギャグものでやらせてほしいと言ったら、手塚先生が『それならいいよ』ということになって、まずパイロット(『孫悟空がはじまるよーー黄風大王の巻』)を作ったんです。オサムちゃん(出崎統)がコンテを切ってくれて作ったんだけれど、僕は何かもの足らなく感じて。『こんなものを1年間もやるのはとてもじゃないけどつまらないから嫌だ』と思って、手塚先生に『僕、やめます』って言ったんです(一同笑)。やめますって、『アトム』の後番組としてもう決まっちゃっているし、まるごと1本作っているのにやめるってことはもうクビだな、これで手塚先生との関係も終わりだなと覚悟したけれど、手塚先生は『ぎっちゃん(杉井さんの愛称)、だったら自分のやりたいことを好きなようにやりなさい。僕は一切、口を出しませんから』と言ってくれたんです。だったらもうちょっと飛んだものをやるぞ、と」

その結果生まれたのが、破天荒でアナーキーな『悟空の大冒険』の作風だったのだ。

「もともとの手塚先生が持っていた(虫プロ)イメージは作家集団だったと思うんです。自分が一応責任者だから社長という肩書きでいるけれども、作家の集まりなんだという意識が強かった。『アトム』をやっている時も ”企画箱” というのがあって、『しばらくはみなさんで『アトム』をやってもらいますけど、必ずぎっちゃんの作品を作れるような時間を取りますから。この箱の中に何か企画を入れといてください』と言っていました。だから、集まってくる人たちもみんな自由人――自分がやりたいことをやっている人たちの集まりという印象が、今から思うととても強いし、非常にわがままに仕事ができた場であったことは間違いないです」(杉井)

丸山さんもその言葉に賛同し、こう語った。
「あの(虫プロ時代の)無茶苦茶さを超えない限り、今のアニメはこんな風にはならなかったと、実体験として僕らは思います。あの手塚さんの無茶苦茶さがあって、50年経って、やっとここまで来たのかな、と。手塚治虫がいなかったら多分、日本のアニメーションの前進はもっと遅れたんじゃないか……というか、今のようにはなっていなかったかもしれない。漫画界としても手塚治虫の功績は凄いけれど、虫プロを作ってアニメに貢献したという意味でも国民栄誉賞をもらってしかるべき人だと、僕は思います」。

大胆さや、寛容さや、自由さや、良い意味での「いいかげん」さ。
その根底にある ”作家集団” という志向。
そんな手塚治虫のアニメに対する姿勢が虫プロを作り上げ、そこから後のアニメを支える多数の人々が巣立っていったーー「手塚治虫と虫プロ」という存在の重要さを再確認し、日本のアニメの歴史が垣間見えるような、興味深いイベントだった。

次回の《丸山正雄のお蔵出し》開催は9月3日(日)。
「丸山正雄とロボット」篇と題して丸山さんが過去に手掛けたロボットが活躍する3作品がピックアップされ、上映作品は1976年のTVシリーズ『大空魔竜ガイキング』第11話、1977年のTVシリーズ『ジェッターマルス』第22話、そして2002年の劇場版『WXIII 機動警察パトレイバー』。ゲストとして、出渕裕(デザイナー、アニメ監督)、真木太郎(プリデューサー)、ゆうきまさみ(漫画家)、吉浦康裕(アニメ監督)が登壇予定だ。

※手塚治虫の「塚」は旧字体、出崎統の「崎」は「たちざき」