1986年より放送が開始され、現在でも、一部ファンに根強い人気を持つアニメ『宇宙船サジタリウス』(日本アニメーション制作・TV朝日系)。最高視聴率19%を記録し、好評を得て1年9カ月、全77回にわたって放送された作品です。
トッピー、ラナ、ジラフ、シビップ……動物のような外見ながら、人間くさいキャラクターたちが、宇宙を舞台に血湧き肉躍る大冒険を繰り広げる本作。
ただ、その原作者としてクレジットされているアンドレア・ロモリのことは、当時からほとんど知られていませんでした。
しかし、アニメ放送から32年を経た今年2018年、フェイスブック上に『宇宙船サジタリウス』のファングループが誕生。
そこになんと、原作者ロモリ氏ご本人が参加されたことにより、日本のファンとの交流が始まりました。
そこでは、ロモリ氏が現在もなお『宇宙船サジタリウス』(原題『ALTRI MONDI』、「別世界」の意)の執筆を続けられていることが語られ、SNS上でも話題となりました。(最新作はコチラ)
日本のファンにとっては、「謎の原作者」であったロモリ氏に、30年越しのインタビューを試みました。
[翻訳・写真=石井園美/構成=山科清春]
アンドレア・ロモリ(Andrea Romoli)
1944年12月3日生まれ。イタリア・フィレンツェ出身・在住。マンガ家、物理学者。
イタリア語の発音では「ロモーリ」が近い。
大学卒業後30年以上物理学者として光学設計、NASAの土星探査機の開発などに関わる一方、TVアニメ『宇宙船サジタリウス』(1986年、日本アニメーション)の原作『ALTRI MONDI』の第1作「イッサルの逃走(Fuga su Issar)」を1976年に発表。
以後、同シリーズとして「アズールの悪魔(Il Demone di Azul)」「最後の砦(L'utima fortezza)」「かに星雲(Crab Nebula)」「世界の鏡(Lo specchio dei mondi)」を発表。
■トッピー、ジラフ、ラナはおばあちゃんの手作り人形から生まれた
――『ALTRI MONDI』(『宇宙船サジタリウス』の原作マンガ)のトッピーやラナ、ジラフなどの個性的なキャラクターは、どうやって生まれたんでしょうか?
ロモリ:私のキャラクターのうち、トッピー(Toppe)とジラフ(Giraffo)は、戦時中に私の叔母アダがつくってくれた布製のぬいぐるみから誕生しました。元々は兄のものでしたが、手荒に扱うため、私の手元にやってきたのです。
トッピーは手足のとても短い、端切れでできた子犬のぬいぐるみです。何度も継ぎをあてられていたので、イタリア語のToppare(継ぎを当てる)から名付けられたと思います。
ジラフは、赤白のチェックのキリンです。この2つはとても愛着を感じ、現在も大切に保管してあります。
そこに、手編みのラナ(Rana)が加わりました。ラナは、名前が創造性に乏しいからでしょうか、いつのまにかどこかに姿を消してしまい、今は私の手元にありません。
トッピーとジラフのキャラクターの元になった、叔母の手作りのぬいぐるみ。
トッピーは、宇宙船サジタリウスの司令官で、真面目で、まあまあ寛容なキャラクター。
一方、ジラフは穏やかなタイプ。物に動じない楽観主義者。まれに我慢の限界を超えると、特にラナに対しては皮肉を言うこともあります。
ラナは、気難しくて偏屈。苦労や不快な事が我慢できず、どちらかというとエゴイストです。彼のこの欠点により、面白さを強調した性格のキャラクターになりました。船の生物学者であるラナの長所は、あらゆる種類の惑星や動植物に対する科学者としての好奇心ですが、この好奇心が、彼らにやっかい事を引き寄せてしまいます。
シリーズ第1作『Fuga su Issar(イッサルでの逃走)』では、それにシビップ(Sibip)が加わりました。我ながらとても上手くいったと思うキャラクターです。
シビップのキャラクターは、アニメとは違い、原作では勇猛なキャラクター。
キャラクターデザインをする上で、彼らをシリアスに描くべきか、面白く描くべきか、最初は迷いましたが、最終的には、それなりに満足のいくバランスが選べるようになりました。
キャラクターについては、ある程度私の中で明確になっていたのですが、当初は彼らを様々な環境の中で動かすことの方に関心がありましたので、「キャラクター」というものにあまり重きを置いていませんでした。後になって、もう少しキャラクターに手を加え、強化する必要があることに気付きました。
一度、私の父が「人間のキャラクターにした方がいいんじゃないか?」と提案してきたことがありますが、それ以外には、私にキャラクターについての妥協を迫ってきた人はいませんでした。
もちろん、私は父を尊敬していましたが、そのアドバイスには合意しませんでした。トッピー、ジラフ、そしてラナ、彼らは私のキャラクターであり、その姿でなければならなかったからです。
■最初の客が日本人で、アニメ会社の人だった
――『宇宙船サジタリウス』の原作『ALTRAI MONDI』を発表したとき、イタリア国内では、どのような反響がありましたか?
ロモリ:1976年の初頭、「Fuga su Issar(イッサルでの逃走)」を出版し、ボローニャで行われた「少年・少女のための本の見本市」に持ち込みました。最初のお客さんは日本人でした。
見本市の会期中、たくさんの評価を受け、お断りはしたのですが原画を購入したいという申し出も受けました。
しかし、後に知ったことですが、私の本を出した出版社は、事前に私の作品について、有名なディレクターや編集者、ジャーナリストなどに助言を求め、そして「この作品は流通する価値が無い」と厳しい評価を結論づけていたというのです。
『ALTRI MONDI』の「Fuga su Issar(イッサルの逃走)」、「Crab Nebula(かに星雲)」「L'utima fortezza(最後の砦)」、「Il Demone di Azul(アズールの悪魔)」の4作のマンガは、イタリアだけでなく、スペインとポルトガルでも出版されました。これらの国でヒットしたかどうかを示すデータを私は持っていません。
『宇宙船サジタリウス』の原作『ALTRI MONDI』。
当時の出版界、特に少年・少女向けのカテゴリでは、私の作品のジャンルがそれまでにない新しいものであることは歴然としていましたが、Web上でたくさんの意見を見つけることが出来る現在と違って、この時代は「販売部数」だけが本の評価の基準でした。
私の国では無名な作家が脚光をあびることが、そう容易ではないということを知りました。
しかしながら、現在、コミックコンベンションの会場で、当時、私の本を購入したという読者に出会う機会が度々あります。
――日本でアニメ化したいというお話は、どういうふうな経緯だったのでしょうか?
ロモリ:そのボローニャの見本市の最初の訪問客の日本人こそが、「日本アニメーション」さんのアートディレクターだったのです。
その後、日本アニメーションによって『ALTRI MONDI』のTVシリーズ化の意向があると知らされた時、最初は目と耳を疑いました。私の生涯の夢が、今まさに実現しようとしているのですからね。私は、とても満足でした。
――自分のキャラクターが日本語を喋っているのを聞いたとき、どうお感じでしたか?
ロモリ:1981年に東京に行き、パイロット版のフィルムの中で、アニメ化された私のキャラクター達を初めて見ました。彼らはまだ喋ってはいませんでした。数年後、ようやく彼らが話しているのを聞いて、私は感動しました。
――1986年に放送開始されたアニメ『宇宙船サジタリウス』では、原作には登場しないキャラクターが登場し、サラリーマンの悲哀などがテーマに盛り込まれていたり、シビップのキャラクター設定などが変わったりと、大きなアレンジが加えられていますが、それに関して、どのようなご感想をお持ちですか?
ロモリ:私は言葉の問題があって、各エピソードの内容を評価できているとはいえませんが、アニメーションのクオリティについて、とても高く評価しています。
ただ、当時の私は、アニメ化に際しての内容の変更の可能性に関して、個人的な意見を述べることができませんでした。制作の一端さえ担うことができなかったのは残念でした。
当時の出版元の編集者が、それらの局面で責務を果たさなかったのです。私がその状況を受け入れざるを得なかったことは、不本意なことでした。
しかし、今さら「こぼれたミルクを嘆いても意味がない」のです。長期にわたるその編集者への抗議と、正式な手続きを経て、ようやく私はその編集者との間の契約を無効にする事ができました。今ではとても良い関係で「日本アニメーション」さんと直接やりとりしています。
ただ、この残念な出来事は、非常に私を落胆させました。その影響で『ALTRI MONDI』の新シリーズの「世界の鏡(Lo specchio dei mondi)」の仕事を一時、投げ出していたことを、皆さんに告白しなければなりません。
その間、私は別のキャラクターによる新しいお話や絵本のプロジェクト『Magdala & Melissa(マグダラとメリッサ)』、『Pero & Pera(ペロとペラ)』、『Renato la Volpe(狐のレナート)』、『I pulcini di mare(海のヒヨコ)』などのマンガにとりかかりました。
『ALTRI MONDI』(『宇宙船サジタリウス』)以外の作品の一部。
しかしながら、私の心はいつも、私の幼なじみであるトッピー、ジラフ、ラナに向いていました。
そして、他にも取り戻したいものがあります……これは一つの夢ですが、願わくば、これらの物語を、新しい『サジタリウス』のアニメシリーズで……というのはどうでしょうか?
これらの全てのお話とキャラクターたちは、アニメ化してくれる制作会社をお待ちしています。
――日本では、今でも多くの人々が『サジタリウス』について語り、主題歌をカラオケで歌ったりしています。
ロモリ:今はとても遠い場所のほんの小さなニュースでも、インターネットを通じて私たちのもとに届きますが、当時はそうではありませんでした。日本でアニメがヒットしたというニュースを知ったのも、ある本の見本市に参加している際に、日本のマンガやアニメが好きなイタリア人の若者グループと出会ったおかげでした。
はじめて『宇宙船サジタリウス』の主題歌の一つ「夢光年」を聴いた時、とても良いと思いました。最近になって、Facebookでつながったファンの皆さんのおかげで歌詞の意味を知る事ができました。翻訳してくださったファンのみなさんに改めてお礼を申し上げます。
聴いていると感動が込み上げるという、皆さんの主題歌に対する称賛は確かで、私も同じ気持ちです。この場をお借りして、歌手の方、そして作詞・作曲者の方にもお礼を言いたいです。
もっと以前から、日本やヨーロッパ、それ以外の国々のファンの皆さんとこれを共有できなかった事がとても残念ですが、いずれにしても、これら全てのことに感激しており、失われた関係と時間を取り戻せることができたらなあと思っています。
初期の作品と、最新の作品。
――アニメ『サジタリウス』は本国イタリアでは放送されていないとのことなのですが、今後放送されることはあるのでしょうか?
ロモリ:残念ながらその通りです。実現できるかどうか、何と言って良いか分かりませんが、私はそれを願っています。
→次のページ:土星探査プロジェクトに参加
■土星探査プロジェクトに参加
――どのような少年時代を過ごされ、それがサジタリウスに影響を与えていますか?
ロモリ:私の父はそれなりに有名な画家でした。母は観光ガイドとして働き、イタリア語の他にも独・仏・西・英語の5ヶ国語を話せました。家は裕福ではありませんでしたが、私は兄とともに、創造的で幸せな幼少期を過ごしました。
フィレンツェの街角には画家であるロモリ氏の父が描いた壁画がある。
兄と私は紙や画材、糊、粘土、大きくなってからは木材、磁性粘土「プラスチン」、工作キット「メカノ」、鉄道模型などを自由に使って、おもちゃや作品を作りました。画家の父や、絵の上手な兄の存在が、私の芸術的発展の一部を担っていたことは間違いありません。
「ミッキーマウス」のマンガを読んでマンガを描きたいと思い始め、映画『ファンタジア』を見てからはアニメ制作にも憧れました。
特に「ドナルドダック」シリーズのカール・バークスは、洗練された迷いの無い描線、背景、驚異的なキャラクターの性格描写、作品をまとめる総括力など、今なお私の最も好きな作家です。
ジャン・ジロー(メビウス)や『ドラゴンズ・ドリーム』のロジャー・ディーン、エッシャーなどからも影響を受けました。
またミッキーマウスを読みながら、同時にゴーゴリやドストエフスキー、ゲーテ、メルヴィル、ユーゴー、ボルケス、トールキン、ヴァンス、ラブクラフト、スティーブンソン、ロンドン、ディケンズ、レナード・クラーク、キプリング、マッケン、オーウェルなどの古典、SF、冒険、ファンタジーなどあらゆるジャンルの小説を読み、自分の中の文化として昇華しようと心がけました。
読者のみなさんは、私のマンガの中にこれらの名作の痕跡を見つけることができると思います。
――一方で、マンガ家とは別に、科学者として活躍されてきたそうですが、科学者の道に進む原体験はどのようなものでしたか?
ロモリ:少年期から青年期にかけて、父の友人の口径60cmの天体望遠鏡で宇宙を観察したり、顕微鏡で微小な藻類や原生動物を観察・スケッチしたり、さらには化学実験で右手と目にやけどを負ったりと、私は生物学、化学、天文学などに興味を持ちました。
物理学の研究は、この宇宙と私達の知識の限界を私に教えてくれました。実際に私の作品の中にも、こうした研究や経験の全てが反映されています。
フィレンツェ大学物理学部で電子工学を専攻した私は、「エイリアシング」という画像解析手法についての卒業研究を「イタリア物理学会」で発表しましたが、その結果は落胆すべきものでした。私の研究に対する学会の参加者の知識が乏しかったため、まるで理解してもらえず、仲間からも叩かれてしまったのです。私は非常に落胆しました。
しかし、この論文に記載されているものと同様の画像解析手法が、最近ニュースで話題になった「ブラックホールの撮影」の際に使用されたらしいですね。
――まるでアニメの『宇宙船サジタリウス』の第1話のアン教授のエピソードのような……その後、どういうきっかけで科学者とマンガ家の二足のわらじを履くようになったのですか?
ロモリ:卒業後、フィレンツェの光学分野の大手企業に就職し、以降、光学設計プログラミングの最前線で働き続けましたが、入社から2年くらい、光学計算に明け暮れた私はまるで爆発寸前の「圧力鍋」のようになってしまいました。
そんな時、私の「圧抜きのバルブ」になってくれたのが「マンガ」を描くことでした。そうして描き上げたのが、私の最初の読み切りSF『Avventura su Efeso (エフェストでの冒険)』でした。この本は1976年に出版社から発売されましたが、印刷も紙質もよいものではありませんでした。その上、その出版社が無くなってしまったので、今となっては原稿を取り戻すこともできなくなってしまいました。
幻の処女作『Avventura su Efeso (エフェストでの冒険)』
――その後、宇宙船サジタリウス号の物語を描かれるわけですが、科学者として実際の「宇宙開発」にも関わられていたことがあるとか?
ロモリ:1996年頃、私は「宇宙づけ」でした。NASA(アメリカ航空宇宙局)やESA(ヨーロッパ宇宙機構)の依頼で、土星探査船「カッシーニ」に関するプロジェクトに参加し、探査船の光学センサーや分光器などの設計に従事しました。
カッシーニから分離し、土星の衛星タイタン上に投下された小型探査機「ホイヘンス」の機内には、他の研究者とともに私のサインが刻まれたプラチナプレートが収められており、それは今もタイタンの地表に残されています。
他に、生理光学分野では白内障手術で水晶体の変わりに用いるIOL(眼内レンズ)の研究などにも参加し、定年を迎えた後も、フリーの研究者としてフィレンツェに光学設計事務所を設立して、アルチェトリの国立光学研究所や、ミラノにある宇宙分野の大手企業などで働きました。
■「スーパーヒーローは好きじゃない」
――先生の描かれる作品の内容は、研究者としてのテーマと関連していますか?
ロモリ:特に意図したわけではありませんが、私の作品と研究には、自然発生的に関連性が生じました。例えば登場する惑星に関する詳細や、それらの間の距離などについてなどです。
「息抜き」から生まれた作品でしたが、物理法則に反して展開するような羽目をはずしたファンタジーにはなりませんでした。
たとえ、我々の宇宙とは異なる宇宙、異なる物理法則の世界であっても、「その世界の物理法則」に則った物語しか許容しないというのが、私の一貫した考え方です。
登場する乗り物のラフスケッチ。
リアルな私たちの宇宙とは無関係な世界のキャラクターであっても、驚くべき超自然能力を持つ「スーパーヒーロー」ではなくて、そのような能力を必要としない現実的なキャラクターが好きなのです。
――現在も精力的に『ALTRIMONDI』の新作『Kthalon』や、猫の女の子を主人公にした『マグダリアとメリッサ』などを描かれていますが、どういった執筆生活をされているのでしょうか。
ロモリ:私の仕事のペースは、かなり厳格です。絵を描いたり書き物をしたりといった仕事以外にも、本の印刷や出版に関する少し退屈なこともしなければなりませんので、だいたい、1日8~9時間、時にはそれ以上働くこともあります。
また、見本市などのイベントに参加する場合は、準備やお客さん対応などは、幸いなことに、妻が手伝ってくれます。
普段はわりと早起きで、適度な時間にベッドに入り、毎晩少なくとも30分は本を読みます。TVは特別に重要なニュースや面白い映画が無い限りはあまり観ません。
そして、週末には、度々娘のもとを訪ね、みんなで一緒に過ごします。しかし、ここで私は家族は呆れられていることを告白しなければなりません。
……私は、必ずと言って良い程、どこにいくにも絵を描くためのノートを持参します。私はこれを手放すことができないのです。
奥様と愛猫と。
――お一人で描いているのでしょうか? またデジタル作画はされていますか?
ロモリ:脚本やシナリオ、作画も、吹き出しの文字のレタリング、着彩、スキャン、パソコンでの補正まで、すべて1人でやっています。
パソコンは作画に失敗した場合や、別々に描いた絵を合成してシーンを制作したり、着色したりするのに使っています。吹き出しの手描き文字、描き文字を入れるのにも使いますし、たまには、Blenderというソフトで3Dモデルも作成します。
サジタリウス号の船室など、特に多くのシーンで使うメカは、様々な透視図法でモデルを作成し、印刷したものを微調整したり、細部の変更を加えたりしたものを、ライトテーブルでトレースします。
パソコンを使ってより良い成果を得るには、手描きよりも時間がかかってしまうというのが辛いところですね。
仕事部屋。科学者だけあって、コンピュータ使用もお手の物だ。
■「これからもトッピーとジラフ、ラナたちを描き続けるでしょう」
――日本では『サジタリウス』の原作『ALTRI MONDI』や、新作『MAGDARA』の入手が容易ではなく、日本語版もないので、その内容を知ることも難しい状態です。今後、出版の予定はありますか?
ロモリ:日本でも『ALTRI MONDI』、それに『MAGDARA』などの作品を出版できたらと良いなと思っていますが、出版には翻訳も担える出版社を見つけなくてはなりません……もし叶うとすれば、とても名誉なことでしょうね。
――日本にどのような印象をお持ちですか?
ロモリ:日本語ができないにもかかわらず、私は日本を第二のふるさとのように感じています。 1981年、私は「日本アニメーション」さんを訪ね、1週間東京に滞在しました。観光する時間はそう多くは無かったですが……素晴らしかった。
1日だけ、自由行動のできる日があったので、美術館に行きました。そして、日本語の題名はわかりませんが、「Vedute dalla metropolitana」と題された数メートルの長さのある作品が特に印象に残っています。
是非、再び日本を訪れたいと思っています。できたら東京と、少なくとも京都・大阪は訪問してみたいですね。
今のところ、その計画はありませんが、さあどうなるでしょうか……。
――日本のファンの方に伝えたいことがありましたらお願いいたします。
ロモリ:日本のファンの皆さんには、皆さんが『宇宙船サジタリウス』のシリーズや、私の生み出したキャラクター達を評価・称賛してくださることをとても光栄に思っているということをお伝えしたいです。
また、原作についても、皆さんに知って頂けただくことができたらと願っています。そして、感謝を述べたいです。
皆さんのおかげで、サジタリウスのシリーズは世界中に知られることとなったわけですから……皆さんの称賛、長い時を経てなおシリーズとキャラクターたちを忘れずにいて下さっていると思うと、私は胸がいっぱいになります。
私はこれからもトッピーとジラフ、そしてラナたちを描き続けるでしょう……。
(2018年12月、メールインタビューにて)
トッピー、ラナ、ジラフ、シビップ……動物のような外見ながら、人間くさいキャラクターたちが、宇宙を舞台に血湧き肉躍る大冒険を繰り広げる本作。
ただ、その原作者としてクレジットされているアンドレア・ロモリのことは、当時からほとんど知られていませんでした。
しかし、アニメ放送から32年を経た今年2018年、フェイスブック上に『宇宙船サジタリウス』のファングループが誕生。
そこになんと、原作者ロモリ氏ご本人が参加されたことにより、日本のファンとの交流が始まりました。
そこでは、ロモリ氏が現在もなお『宇宙船サジタリウス』(原題『ALTRI MONDI』、「別世界」の意)の執筆を続けられていることが語られ、SNS上でも話題となりました。(最新作はコチラ)
日本のファンにとっては、「謎の原作者」であったロモリ氏に、30年越しのインタビューを試みました。
[翻訳・写真=石井園美/構成=山科清春]
アンドレア・ロモリ(Andrea Romoli)
1944年12月3日生まれ。イタリア・フィレンツェ出身・在住。マンガ家、物理学者。
イタリア語の発音では「ロモーリ」が近い。
大学卒業後30年以上物理学者として光学設計、NASAの土星探査機の開発などに関わる一方、TVアニメ『宇宙船サジタリウス』(1986年、日本アニメーション)の原作『ALTRI MONDI』の第1作「イッサルの逃走(Fuga su Issar)」を1976年に発表。
以後、同シリーズとして「アズールの悪魔(Il Demone di Azul)」「最後の砦(L'utima fortezza)」「かに星雲(Crab Nebula)」「世界の鏡(Lo specchio dei mondi)」を発表。
現在、最新作「Kthalon」を大幅改稿中。他に『マグダラとメリッサ(Magdala & Melissa)』、『ペロとペラ(Pero & Pera)』、『狐のレナート(Renato la Volpe)』、『海のヒヨコ(I pulcini di mare)』などの作品シリーズがある。(いずれも日本語版は未刊行)
■トッピー、ジラフ、ラナはおばあちゃんの手作り人形から生まれた
――『ALTRI MONDI』(『宇宙船サジタリウス』の原作マンガ)のトッピーやラナ、ジラフなどの個性的なキャラクターは、どうやって生まれたんでしょうか?
ロモリ:私のキャラクターのうち、トッピー(Toppe)とジラフ(Giraffo)は、戦時中に私の叔母アダがつくってくれた布製のぬいぐるみから誕生しました。元々は兄のものでしたが、手荒に扱うため、私の手元にやってきたのです。
トッピーは手足のとても短い、端切れでできた子犬のぬいぐるみです。何度も継ぎをあてられていたので、イタリア語のToppare(継ぎを当てる)から名付けられたと思います。
ジラフは、赤白のチェックのキリンです。この2つはとても愛着を感じ、現在も大切に保管してあります。
そこに、手編みのラナ(Rana)が加わりました。ラナは、名前が創造性に乏しいからでしょうか、いつのまにかどこかに姿を消してしまい、今は私の手元にありません。
トッピーとジラフのキャラクターの元になった、叔母の手作りのぬいぐるみ。
トッピーは、宇宙船サジタリウスの司令官で、真面目で、まあまあ寛容なキャラクター。
しかし、とりわけラナの態度が原因で、時々カッとなることがあります。
一方、ジラフは穏やかなタイプ。物に動じない楽観主義者。まれに我慢の限界を超えると、特にラナに対しては皮肉を言うこともあります。
ラナは、気難しくて偏屈。苦労や不快な事が我慢できず、どちらかというとエゴイストです。彼のこの欠点により、面白さを強調した性格のキャラクターになりました。船の生物学者であるラナの長所は、あらゆる種類の惑星や動植物に対する科学者としての好奇心ですが、この好奇心が、彼らにやっかい事を引き寄せてしまいます。
シリーズ第1作『Fuga su Issar(イッサルでの逃走)』では、それにシビップ(Sibip)が加わりました。我ながらとても上手くいったと思うキャラクターです。
シビップのキャラクターは、アニメとは違い、原作では勇猛なキャラクター。
キャラクターデザインをする上で、彼らをシリアスに描くべきか、面白く描くべきか、最初は迷いましたが、最終的には、それなりに満足のいくバランスが選べるようになりました。
キャラクターについては、ある程度私の中で明確になっていたのですが、当初は彼らを様々な環境の中で動かすことの方に関心がありましたので、「キャラクター」というものにあまり重きを置いていませんでした。後になって、もう少しキャラクターに手を加え、強化する必要があることに気付きました。
一度、私の父が「人間のキャラクターにした方がいいんじゃないか?」と提案してきたことがありますが、それ以外には、私にキャラクターについての妥協を迫ってきた人はいませんでした。
もちろん、私は父を尊敬していましたが、そのアドバイスには合意しませんでした。トッピー、ジラフ、そしてラナ、彼らは私のキャラクターであり、その姿でなければならなかったからです。
■最初の客が日本人で、アニメ会社の人だった
――『宇宙船サジタリウス』の原作『ALTRAI MONDI』を発表したとき、イタリア国内では、どのような反響がありましたか?
ロモリ:1976年の初頭、「Fuga su Issar(イッサルでの逃走)」を出版し、ボローニャで行われた「少年・少女のための本の見本市」に持ち込みました。最初のお客さんは日本人でした。
見本市の会期中、たくさんの評価を受け、お断りはしたのですが原画を購入したいという申し出も受けました。
しかし、後に知ったことですが、私の本を出した出版社は、事前に私の作品について、有名なディレクターや編集者、ジャーナリストなどに助言を求め、そして「この作品は流通する価値が無い」と厳しい評価を結論づけていたというのです。
『ALTRI MONDI』の「Fuga su Issar(イッサルの逃走)」、「Crab Nebula(かに星雲)」「L'utima fortezza(最後の砦)」、「Il Demone di Azul(アズールの悪魔)」の4作のマンガは、イタリアだけでなく、スペインとポルトガルでも出版されました。これらの国でヒットしたかどうかを示すデータを私は持っていません。
『宇宙船サジタリウス』の原作『ALTRI MONDI』。
最初の『Fuga su Issar』の初版は A3サイズで発行された。
当時の出版界、特に少年・少女向けのカテゴリでは、私の作品のジャンルがそれまでにない新しいものであることは歴然としていましたが、Web上でたくさんの意見を見つけることが出来る現在と違って、この時代は「販売部数」だけが本の評価の基準でした。
私の国では無名な作家が脚光をあびることが、そう容易ではないということを知りました。
しかしながら、現在、コミックコンベンションの会場で、当時、私の本を購入したという読者に出会う機会が度々あります。
――日本でアニメ化したいというお話は、どういうふうな経緯だったのでしょうか?
ロモリ:そのボローニャの見本市の最初の訪問客の日本人こそが、「日本アニメーション」さんのアートディレクターだったのです。
その後、日本アニメーションによって『ALTRI MONDI』のTVシリーズ化の意向があると知らされた時、最初は目と耳を疑いました。私の生涯の夢が、今まさに実現しようとしているのですからね。私は、とても満足でした。
――自分のキャラクターが日本語を喋っているのを聞いたとき、どうお感じでしたか?
ロモリ:1981年に東京に行き、パイロット版のフィルムの中で、アニメ化された私のキャラクター達を初めて見ました。彼らはまだ喋ってはいませんでした。数年後、ようやく彼らが話しているのを聞いて、私は感動しました。
――1986年に放送開始されたアニメ『宇宙船サジタリウス』では、原作には登場しないキャラクターが登場し、サラリーマンの悲哀などがテーマに盛り込まれていたり、シビップのキャラクター設定などが変わったりと、大きなアレンジが加えられていますが、それに関して、どのようなご感想をお持ちですか?
ロモリ:私は言葉の問題があって、各エピソードの内容を評価できているとはいえませんが、アニメーションのクオリティについて、とても高く評価しています。
ただ、当時の私は、アニメ化に際しての内容の変更の可能性に関して、個人的な意見を述べることができませんでした。制作の一端さえ担うことができなかったのは残念でした。
当時の出版元の編集者が、それらの局面で責務を果たさなかったのです。私がその状況を受け入れざるを得なかったことは、不本意なことでした。
しかし、今さら「こぼれたミルクを嘆いても意味がない」のです。長期にわたるその編集者への抗議と、正式な手続きを経て、ようやく私はその編集者との間の契約を無効にする事ができました。今ではとても良い関係で「日本アニメーション」さんと直接やりとりしています。
ただ、この残念な出来事は、非常に私を落胆させました。その影響で『ALTRI MONDI』の新シリーズの「世界の鏡(Lo specchio dei mondi)」の仕事を一時、投げ出していたことを、皆さんに告白しなければなりません。
その間、私は別のキャラクターによる新しいお話や絵本のプロジェクト『Magdala & Melissa(マグダラとメリッサ)』、『Pero & Pera(ペロとペラ)』、『Renato la Volpe(狐のレナート)』、『I pulcini di mare(海のヒヨコ)』などのマンガにとりかかりました。
『ALTRI MONDI』(『宇宙船サジタリウス』)以外の作品の一部。
しかしながら、私の心はいつも、私の幼なじみであるトッピー、ジラフ、ラナに向いていました。
私は再び彼らの物語「世界の鏡」を仕上げ、今まさに「Kthalon」の大幅な改稿を進めているところです。
そして、他にも取り戻したいものがあります……これは一つの夢ですが、願わくば、これらの物語を、新しい『サジタリウス』のアニメシリーズで……というのはどうでしょうか?
これらの全てのお話とキャラクターたちは、アニメ化してくれる制作会社をお待ちしています。
――日本では、今でも多くの人々が『サジタリウス』について語り、主題歌をカラオケで歌ったりしています。
ロモリ:今はとても遠い場所のほんの小さなニュースでも、インターネットを通じて私たちのもとに届きますが、当時はそうではありませんでした。日本でアニメがヒットしたというニュースを知ったのも、ある本の見本市に参加している際に、日本のマンガやアニメが好きなイタリア人の若者グループと出会ったおかげでした。
はじめて『宇宙船サジタリウス』の主題歌の一つ「夢光年」を聴いた時、とても良いと思いました。最近になって、Facebookでつながったファンの皆さんのおかげで歌詞の意味を知る事ができました。翻訳してくださったファンのみなさんに改めてお礼を申し上げます。
聴いていると感動が込み上げるという、皆さんの主題歌に対する称賛は確かで、私も同じ気持ちです。この場をお借りして、歌手の方、そして作詞・作曲者の方にもお礼を言いたいです。
もっと以前から、日本やヨーロッパ、それ以外の国々のファンの皆さんとこれを共有できなかった事がとても残念ですが、いずれにしても、これら全てのことに感激しており、失われた関係と時間を取り戻せることができたらなあと思っています。
初期の作品と、最新の作品。
――アニメ『サジタリウス』は本国イタリアでは放送されていないとのことなのですが、今後放送されることはあるのでしょうか?
ロモリ:残念ながらその通りです。実現できるかどうか、何と言って良いか分かりませんが、私はそれを願っています。
→次のページ:土星探査プロジェクトに参加
■土星探査プロジェクトに参加
――どのような少年時代を過ごされ、それがサジタリウスに影響を与えていますか?
ロモリ:私の父はそれなりに有名な画家でした。母は観光ガイドとして働き、イタリア語の他にも独・仏・西・英語の5ヶ国語を話せました。家は裕福ではありませんでしたが、私は兄とともに、創造的で幸せな幼少期を過ごしました。
フィレンツェの街角には画家であるロモリ氏の父が描いた壁画がある。
兄と私は紙や画材、糊、粘土、大きくなってからは木材、磁性粘土「プラスチン」、工作キット「メカノ」、鉄道模型などを自由に使って、おもちゃや作品を作りました。画家の父や、絵の上手な兄の存在が、私の芸術的発展の一部を担っていたことは間違いありません。
「ミッキーマウス」のマンガを読んでマンガを描きたいと思い始め、映画『ファンタジア』を見てからはアニメ制作にも憧れました。
特に「ドナルドダック」シリーズのカール・バークスは、洗練された迷いの無い描線、背景、驚異的なキャラクターの性格描写、作品をまとめる総括力など、今なお私の最も好きな作家です。
ジャン・ジロー(メビウス)や『ドラゴンズ・ドリーム』のロジャー・ディーン、エッシャーなどからも影響を受けました。
またミッキーマウスを読みながら、同時にゴーゴリやドストエフスキー、ゲーテ、メルヴィル、ユーゴー、ボルケス、トールキン、ヴァンス、ラブクラフト、スティーブンソン、ロンドン、ディケンズ、レナード・クラーク、キプリング、マッケン、オーウェルなどの古典、SF、冒険、ファンタジーなどあらゆるジャンルの小説を読み、自分の中の文化として昇華しようと心がけました。
読者のみなさんは、私のマンガの中にこれらの名作の痕跡を見つけることができると思います。
――一方で、マンガ家とは別に、科学者として活躍されてきたそうですが、科学者の道に進む原体験はどのようなものでしたか?
ロモリ:少年期から青年期にかけて、父の友人の口径60cmの天体望遠鏡で宇宙を観察したり、顕微鏡で微小な藻類や原生動物を観察・スケッチしたり、さらには化学実験で右手と目にやけどを負ったりと、私は生物学、化学、天文学などに興味を持ちました。
物理学の研究は、この宇宙と私達の知識の限界を私に教えてくれました。実際に私の作品の中にも、こうした研究や経験の全てが反映されています。
フィレンツェ大学物理学部で電子工学を専攻した私は、「エイリアシング」という画像解析手法についての卒業研究を「イタリア物理学会」で発表しましたが、その結果は落胆すべきものでした。私の研究に対する学会の参加者の知識が乏しかったため、まるで理解してもらえず、仲間からも叩かれてしまったのです。私は非常に落胆しました。
しかし、この論文に記載されているものと同様の画像解析手法が、最近ニュースで話題になった「ブラックホールの撮影」の際に使用されたらしいですね。
――まるでアニメの『宇宙船サジタリウス』の第1話のアン教授のエピソードのような……その後、どういうきっかけで科学者とマンガ家の二足のわらじを履くようになったのですか?
ロモリ:卒業後、フィレンツェの光学分野の大手企業に就職し、以降、光学設計プログラミングの最前線で働き続けましたが、入社から2年くらい、光学計算に明け暮れた私はまるで爆発寸前の「圧力鍋」のようになってしまいました。
そんな時、私の「圧抜きのバルブ」になってくれたのが「マンガ」を描くことでした。そうして描き上げたのが、私の最初の読み切りSF『Avventura su Efeso (エフェストでの冒険)』でした。この本は1976年に出版社から発売されましたが、印刷も紙質もよいものではありませんでした。その上、その出版社が無くなってしまったので、今となっては原稿を取り戻すこともできなくなってしまいました。
幻の処女作『Avventura su Efeso (エフェストでの冒険)』
――その後、宇宙船サジタリウス号の物語を描かれるわけですが、科学者として実際の「宇宙開発」にも関わられていたことがあるとか?
ロモリ:1996年頃、私は「宇宙づけ」でした。NASA(アメリカ航空宇宙局)やESA(ヨーロッパ宇宙機構)の依頼で、土星探査船「カッシーニ」に関するプロジェクトに参加し、探査船の光学センサーや分光器などの設計に従事しました。
カッシーニから分離し、土星の衛星タイタン上に投下された小型探査機「ホイヘンス」の機内には、他の研究者とともに私のサインが刻まれたプラチナプレートが収められており、それは今もタイタンの地表に残されています。
他に、生理光学分野では白内障手術で水晶体の変わりに用いるIOL(眼内レンズ)の研究などにも参加し、定年を迎えた後も、フリーの研究者としてフィレンツェに光学設計事務所を設立して、アルチェトリの国立光学研究所や、ミラノにある宇宙分野の大手企業などで働きました。
■「スーパーヒーローは好きじゃない」
――先生の描かれる作品の内容は、研究者としてのテーマと関連していますか?
ロモリ:特に意図したわけではありませんが、私の作品と研究には、自然発生的に関連性が生じました。例えば登場する惑星に関する詳細や、それらの間の距離などについてなどです。
「息抜き」から生まれた作品でしたが、物理法則に反して展開するような羽目をはずしたファンタジーにはなりませんでした。
たとえ、我々の宇宙とは異なる宇宙、異なる物理法則の世界であっても、「その世界の物理法則」に則った物語しか許容しないというのが、私の一貫した考え方です。
登場する乗り物のラフスケッチ。
リアルな私たちの宇宙とは無関係な世界のキャラクターであっても、驚くべき超自然能力を持つ「スーパーヒーロー」ではなくて、そのような能力を必要としない現実的なキャラクターが好きなのです。
――現在も精力的に『ALTRIMONDI』の新作『Kthalon』や、猫の女の子を主人公にした『マグダリアとメリッサ』などを描かれていますが、どういった執筆生活をされているのでしょうか。
ロモリ:私の仕事のペースは、かなり厳格です。絵を描いたり書き物をしたりといった仕事以外にも、本の印刷や出版に関する少し退屈なこともしなければなりませんので、だいたい、1日8~9時間、時にはそれ以上働くこともあります。
また、見本市などのイベントに参加する場合は、準備やお客さん対応などは、幸いなことに、妻が手伝ってくれます。
普段はわりと早起きで、適度な時間にベッドに入り、毎晩少なくとも30分は本を読みます。TVは特別に重要なニュースや面白い映画が無い限りはあまり観ません。
そして、週末には、度々娘のもとを訪ね、みんなで一緒に過ごします。しかし、ここで私は家族は呆れられていることを告白しなければなりません。
……私は、必ずと言って良い程、どこにいくにも絵を描くためのノートを持参します。私はこれを手放すことができないのです。
奥様と愛猫と。
――お一人で描いているのでしょうか? またデジタル作画はされていますか?
ロモリ:脚本やシナリオ、作画も、吹き出しの文字のレタリング、着彩、スキャン、パソコンでの補正まで、すべて1人でやっています。
パソコンは作画に失敗した場合や、別々に描いた絵を合成してシーンを制作したり、着色したりするのに使っています。吹き出しの手描き文字、描き文字を入れるのにも使いますし、たまには、Blenderというソフトで3Dモデルも作成します。
サジタリウス号の船室など、特に多くのシーンで使うメカは、様々な透視図法でモデルを作成し、印刷したものを微調整したり、細部の変更を加えたりしたものを、ライトテーブルでトレースします。
パソコンを使ってより良い成果を得るには、手描きよりも時間がかかってしまうというのが辛いところですね。
仕事部屋。科学者だけあって、コンピュータ使用もお手の物だ。
■「これからもトッピーとジラフ、ラナたちを描き続けるでしょう」
――日本では『サジタリウス』の原作『ALTRI MONDI』や、新作『MAGDARA』の入手が容易ではなく、日本語版もないので、その内容を知ることも難しい状態です。今後、出版の予定はありますか?
ロモリ:日本でも『ALTRI MONDI』、それに『MAGDARA』などの作品を出版できたらと良いなと思っていますが、出版には翻訳も担える出版社を見つけなくてはなりません……もし叶うとすれば、とても名誉なことでしょうね。
――日本にどのような印象をお持ちですか?
ロモリ:日本語ができないにもかかわらず、私は日本を第二のふるさとのように感じています。 1981年、私は「日本アニメーション」さんを訪ね、1週間東京に滞在しました。観光する時間はそう多くは無かったですが……素晴らしかった。
1日だけ、自由行動のできる日があったので、美術館に行きました。そして、日本語の題名はわかりませんが、「Vedute dalla metropolitana」と題された数メートルの長さのある作品が特に印象に残っています。
是非、再び日本を訪れたいと思っています。できたら東京と、少なくとも京都・大阪は訪問してみたいですね。
今のところ、その計画はありませんが、さあどうなるでしょうか……。
――日本のファンの方に伝えたいことがありましたらお願いいたします。
ロモリ:日本のファンの皆さんには、皆さんが『宇宙船サジタリウス』のシリーズや、私の生み出したキャラクター達を評価・称賛してくださることをとても光栄に思っているということをお伝えしたいです。
また、原作についても、皆さんに知って頂けただくことができたらと願っています。そして、感謝を述べたいです。
皆さんのおかげで、サジタリウスのシリーズは世界中に知られることとなったわけですから……皆さんの称賛、長い時を経てなおシリーズとキャラクターたちを忘れずにいて下さっていると思うと、私は胸がいっぱいになります。
私はこれからもトッピーとジラフ、そしてラナたちを描き続けるでしょう……。
(2018年12月、メールインタビューにて)
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