大統領型宰相・中曽根康弘の「風見鶏」夫婦生活67年(2)土砂降りの中で選挙民に土下座
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 結局、反対する父親を押し切り、夫人にもなんら相談することなく、内務省に辞表を出してしまったのだった。東京の自宅に夫人を置いたまま、さっさと郷里の高崎に帰ってしまったのである。

 高崎では、内務省の退職金で買った自転車をペンキで白く塗り、「日本をアカの手から守ろう」と訴えて回り、青年団に働きかけて『青雲塾』を結成、「日本の再建を目指そう。青年よ立て!」などと口角泡を飛ばしたりしていた。これは無論選挙に打って出るためで、夫人にこうした“消息”を入れたのは、なんと高崎に帰って1週間後だったというから驚く。

 夫人からすれば、1週間“行方不明”の夫だったワケだが、1週間後のそれも「オレは選挙に出るから群馬に来い」のハガキ一枚ときたから、夫人とすればまごうかたなき“結婚詐欺”ではあったろう。今日日(きょうび)の女性なら、間違いなく「約束が違うから別れるワ」となるところだが、ひと昔前の女性はガマンがきくのである。

 一方、当選した中曽根は、当選回数を重ねるにしたがって重責が増し、選挙でも地元になかなか帰れなかった。とくに、中選挙区時代の〈群馬3区〉は他にいずれものちに総理となる福田赳夫小渕恵三といった強力候補がいるだけに、選挙戦で夫の留守を守る夫人の役割は大変だった。

 かつて中曽根派幹部だった中尾栄一(元通産相)は、筆者にこんな話をしてくれたことがある。

「中曽根夫人は東京生まれ、“カカア天下と空っ風”の群馬の風土はなかなかヨソ者を受け入れがたいところがあって、夫人は相当、苦労したようだ。中曽根がまだ2、3回生の頃だったが、夫人が土砂降りの雨の中で支持者に頭を下げたら、『そんなにフダ(票)が欲しかったら土下座してみろッ』との声が飛んだ。夫人は、その場で泥道に土下座してみせたそうです」