歴代総理の胆力「菅直人」(2)「やはり野に置け」の“闘将”か
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 政権発足から半年の平成22(2010)年の年末には、さすが党内外から「菅政権はすでに末期」との声が挙がり始めた。なるほど、年明けての通常国会召集を待つかのように、菅を見限った民主党内衆院議員16人が離党届を提出、この「民主の乱」すなわち倒閣運動のバックには、幹事長切りをされた小沢一郎の遺恨があったとも言われた。

 ところが、具体的な「菅降ろし」勃発寸前にかの3月11日には「東日本大震災」があり、TPP問題など他の政策論争はすべて震災対策に集中されたことで「政治休戦」となり、とりあえずは菅も土俵際で踏ん張ることができた。

 ところが、ここで菅がまたまた露呈させたのが危機管理能力の欠如だった。当時の官邸詰め記者の証言が残っている。

「ここで菅は、民主党だけで震災対策をやり、反転攻勢のキッカケとしたかったようだ。しかし、危機管理戦略などは、まったく示せなかった。菅は復旧の最高司令官だが、震災から数時間後には目がうつろになっていたくらいだった。

 とくに福島第一原発事故の対応では、電話で現地を怒鳴りつけるだけの『イラ菅』でしかなかった。ついには、『将来は脱原発』として、党のエネルギー政策の大転換を表明してしまった。しかし、その実現のための具体的政治プロセス、電力供給の見通しなどはまったく示されておらず、ポピュリズム(大衆迎合主義)の印象のみが残った」

 時に総理と一体のハズの仙谷由人官房長官もさすがにアキレ、菅へ情報をほとんど入れなくなっていたとも言われていた。また、霞ヶ関の各省庁次官クラスはまったく寄り付かず、この大緊急時に官邸での菅総理への来客者が、3時間半もゼロという異常事態もあったのだった。こうした経緯の中で、大震災発災3カ月後の通常国会会期末近くになって、ついに退陣表明を余儀なくされたのだった。