希望球団への入団を巡っては、痛ましい事件も発生した。98年のドラフトでオリックスに1位指名されたヤクルト・新垣渚(34)は、「ダイエー以外なら進学」と発言。挨拶を門前払いされるなど、説得に失敗したオリックス・三輪田勝利編成部長(当時)は追い込まれた。そしてドラフトから1週間後、三輪田氏は宿泊先の沖縄県内のホテルの窓から投身自殺を図る。
「飛び降りた窓枠の下から指紋が出ています。つまり、外側からブラ下がったとわかった。外壁にも爪先で蹴った、よじ登ろうとしたような痕がありました。恐らく、ブラ下がって手を離そうとしたけれど、早まったことを、と我に返り、もがいたのではないか」(当時を知る捜査関係者)
その日の朝、三輪田氏は「食欲がない」と言ってホテルの朝食バイキングにはほとんど手をつけず、一杯のそうめんだけを食べていたという。
さて、ドラフト史上、最も「異色の」トラブルといえば多田野数人(34)=10月1日に日本ハム退団発表=の「ビデオ騒動」だろう。02年のドラフトを前に、多田野がビデオに出演していた過去があるとの報道がなされ、全球団が指名を回避。マスコミはその理由を「故障のため」と報じた。
「さる在京球団の幹部に聞いたところでは、横浜が指名するつもりだったそうです。当初、多田野をマークしていた他球団は『事実』を知って手を引いた。横浜だけが、公に報道されるまで、その情報を知らなかったのです」(飯山氏)