
1966年5月9日、鳥取県倉吉市で、こまどり姉妹殺人未遂事件が発生した。血も凍る事件現場の一部始終を、姉・長内栄子(79)と妹・長内敏子(79)が生々しく激白する。
── 事件前、犯人からの手紙が頻繁に事務所に届いていたとか。
敏子 速達で毎日、朝と夕方で、2通ずつ来ましたね。それも手紙の最後には血判が押してあるんですよ。
栄子 その手紙は私宛なんです。私のファンで、内容は「テレビで僕に向かってニッコリ笑ってくれたね」「渋谷のハチ公前で待っているから来てくれ」「結婚しよう」とか、もうそんなのばかりで。
── 最終的には「結婚できないんだったら、心中しよう。一緒に死にたい」という手紙だったと?
敏子 はい。今でいうストーカーですね。姉からの返信がないからイラだっていたんでしょう。そんな中、鳥取・倉吉で公演することになったんですが、鳥取は偶然にもその男が住んでいる町だったんです。
── 男は会場に?
敏子 いました。チェック柄のシャツを着た若い男が花束を手に、ステージに近づいてきたんです。花束の贈り物なんてよくあるから、ふだんどおり受け取ろうとしたの。でも、握手しようとした瞬間、男に手をつかまれてステージから引きずり降ろされそうになった。反射的にふんばったら、彼はステージに上がってきました。そのまま無言で、造花に隠していた刺身包丁を構えて私に突進してきたんです。
── ちゅうちょなしですね‥‥。
敏子 首をハネようとしたみたい。私はとっさに利き手の左手を出して包丁を払いのけたら、手首がザックリ切れたの。そして、狙っていた首から包丁は下にずれて、おなかに刺さったんです。包丁は背中まで貫通していました。あたりは血まみれ‥‥。おなかの傷の深さは20センチ以上。4時間の大手術で輸血量は800ccだったかな。