本文でもふれているが、三幣先生は「千葉県の最南端から最先端の取り組みを」と、さまざまな教育改革に取り組んでおられる。その一つ、「日本一おいしいご飯給食」のプロジェクトでは、フルカラーのレシピ本を出版したり、道の駅などで販売されている地元産の食材に独自発行の「おいしいご飯給食認定農家・商店」シールを貼り付け、販売促進に寄与しているそうだ。
学校だけの枠にとどまらず、自然豊かな地域全体を活性化し、その効果を子どもたちの育成に還元しようとする仕組みは、長年地元を見続けてきたゆえのアイデアといえるのだろう。(本紙主幹・奥田喜久男)

●少子高齢化が進む中さまざまな教育長アイデアを実行
 三幣先生はこの南房総市のご出身ということですが、ずっとこちらにいらっしゃるのですか。
大学の4年間を除いて、南房総市(旧・丸山町)に住んでいます。実家はこの教育委員会のある丸山分庁舎(学び舎の小学校跡)から2キロほどのところにあり、いまもそこから通っています。
 子どもの頃に比べて、町の様子はだいぶ変わりましたか。
変わりました。
道路をはじめとする社会インフラの整備は目覚ましいですね。
 人口減少についてはどうですか。
 私自身は団塊の世代ということもあって、中学校時代は学年に250人の生徒がいましたが、いまは25人ほどとかつての10分の1になってしまっています。市内の15歳以下の人口割合は、8.8%です。
 私が子どもの頃は、65歳以上の高齢者が人口の10%ほどだったのに対して、15歳以下はその40%を占めていました。運動会にたとえれば、昔はグラウンドに400人の子どもたちがいて、敬老席で100人の高齢者が見物していたのに、いまはグラウンドに100人、敬老席に400人というように逆転してしまったことになります。

 少子高齢化の状況は深刻ですが、このたとえはとてもわかりやすいですね。
 そうしたこともあって、教育長の仕事の一つに学校統合があるのです。そこで取り組んだのが、幼保一体化施設と小中一貫校を統合して、0歳から15歳までの一貫教育を可能にする試みです。また「塾利用助成券」を発行して塾や習い事の補助を行っているのはおそらく全国で南房総市だけですし、また地産地消や食育を推進する狙いから「日本一おいしいご飯給食」の活動を行っています。南房総市の学校では、週5日間、完全米飯給食なんですよ。
 厳しい状況にあってもいろいろなアイデアが出され、それを次々に実現させているのですね。

●若手の能力を引き出しそれを発揮できる雰囲気をつくる
 長年、教育者としてキャリアを積む中で、何か心にとめておられることはありますか。
 前に「教師であることの畏れ」を感じたとお話ししましたが、子どもより教師のほうが必ずしも優秀とはいえないことを自覚すべきだということですね。
 実際にそういうことがあるのですか。
 あります。私が教室で何かを話したとき、後ろのほうで首をひねる子どもがいたんです。私がまだ27、8歳の頃のことですが、その翌日、誰もいないところで「昨日、先生が話されたことを家で調べてみたら、やはり間違っていました」とわざわざ言いに来てくれました。
間違いに気づいたこともすごいと思いますが、それを調べなおして確認した点がとても立派だと思いました。だから、教師だからといって驕っていてはいけないのですね。
 なるほど。子どもから学ぶこともあると……。
 たとえば、体罰問題を起こしてしまった現場の教師を指導する際、教師と子どもではどちらが上か、問いかけることがあります。たいていの場合、教師のほうが上と答えるケースが多いのですが、「謙虚さと畏怖の念を持っていないと、子どもたちに軽蔑されるよ」と伝えるようにしています。

 謙虚さと畏怖の念ですか。
 この教育委員会の職場でも、年齢やキャリアにかかわらず職員はみんな「さん」付けで、呼び捨てにすることはありません。相手が子どもたちでも自分より若い職員でも、その力を認めてリスペクトする姿勢はとても大事なことだからです。
 その職場の若手には、教育長としてどんなことを期待していますか。
 まず、仕事の進め方や決められた段取りにも疑問を持ってほしいということです。もっと効率的にできないか、あるいはその仕事そのものをやる必要があるのかといった本質的な部分から、自らに問うてもらいたい。
そして、そうしたことを直属の上司に提案し、その答えに納得できなかったら、そっと私のところに言いに来なさいと話したりもします。
 若手職員の優秀な能力をいかに潰さないで引き出していくか、あるいはそうした能力を遠慮なく発揮できる雰囲気をつくることが、いまの私にとって一番大切な仕事だと思っているんです。
 同感ですね。ところで、まもなくプログラミング教育の義務化が始まるなど、学校にもさまざまな変革が求められています。これについて先生はどうお考えですか。
 この流れには、将来、職を得るためにコンピューターの知識が必須であるとか、日本人は論理的思考が苦手なので、世界に伍するためにそうしたトレーニングが必要という考えがあるのだと思います。もちろん、そうしたデジタル教育も大事ですが、それと同時にアナログ的なものも大事にしたいと私は考えています。
 たとえば、南房総市の小中学校では、毎日「100文字作文」というものに取り組んでいます。鉛筆で毎日100字書くということは、キーボードに入力するのとは異なる負担感があります。書くということには物理的な力が必要ですし、簡単には修正できません。そして、書くことは考えることそのものです。
 朝の読書はよく聞きますが、毎日作文を書かせるというのは珍しいですね。
 そうですね。この100文字作文ももう8年間続けており、毎年、コンクールも開催しているんです。コンクールのテーマは「あなたに伝える私のありがとう」で、幼稚園児から中学生まで応募してきます。
 先生ご自身も「書く」ということを継続されているのですか。
 かつては、やっていました。35歳から38歳までの4年間、木更津の小学校に勤務していた時代、B4判の家庭向けのプリントを、最高で年に250枚書いたことがあります。子どもに渡して家に持ち帰ってもらい、親御さんがそれを読んで学校での子どもたちの様子がわかるというものですね。(前号コラム参照)
 年に250枚といったら、ほぼ毎日ですね。たいへんな業務量です。
 そうですね。その後も教務主任時代に職員向けのプリントを3年間で360枚書き、教頭になっても週1回のペースで書いていました。
 年に250枚といったら、ほぼ毎日ですね。たいへんな業務量です。
お話を伺っていると、教育の現場にも次々と新たな波が押し寄せているように感じます。これからも真に子どもたちのためになるユニークな施策を打ち出していかれることを期待しております。
こぼれ話
 三幣貞夫教育長に名刺をいただいた。おやっ!? この字は確か幣帛(へいはく=神に奉献する供物)の“へい”だよな。「先生、どうお読みしたらいいのでしょうか」「さんぺいです」。珍しい名前だ。学生時代、神道祭祀と関わりを持っていた頃には身近にあった言葉なので、先生に親近感を覚えた。「高貴なお家柄ですか」「いや、なんでもないですよ」。こうして、『千人回峰』の対談はお気軽な感じで始まった。
 執務机は1階の事務フロアと2階の教育長室にある。いずれの部屋も先生が読み終えた書籍がずらりと並び、図書室の様相を呈している。そばにあった本を手に取ってパラパラめくってみると、書き込みがなくて実にきれいだ。「皆さんが読みますからね」という気遣いだったが、きっと教科書を使い回す子供たちの習慣と同じ目線ではないかと思った。私が質問をする。先生が応える。幾度も質問を重ねるが、応じる言葉遣い、内容、姿勢はまったく同じだ。
 対談を続けながら、写真撮影となった。「先生、もう少しなごやか表情で…」とお声がけするものの、変わらず真面目な顔をされる。真面目というのではなく、いつもの表情なのだ。それでも、懸命に笑顔を試みられるのだが、通常の表情に戻られる。
 「先生は何年生まれですか」「丑年ですよ」。そうか、同い年なんだ。「何月ですか」「1月19日」。私も1月生まれである。道理で話の内容に共通する時代感覚が多かった。
 誕生日のことがわかると、気軽な同級生気分になって、帰り際、右肘で先生の左腕を小突く。「先生、野球の現役選手なのですか」「いや、加圧式の筋トレをしてるんですよ」。この瞬間の笑顔を写メするんだった。次回としよう。
心に響く人生の匠たち
 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。
 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。