前回(第1回)でも説明しましたが、この連載時評は隔週で行いますので、基本的には直近2週間に発生した出来事を扱います。しかし、これまでこの形式で書いていた『ZAITEN』の連載から少し時間が開いてしまったので、今回はそれ以前の話も取り上げます。



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 河野太郎が自民党総裁選に正式に出馬表明(9月10日)。「調整力においても優れているのではないかと自負している」と自画自賛を繰り返した。調整力がないことが、自民党の中でも問題になってきたのにね。



「ダニング=クルーガー効果」とは、能力の低い人が自分の能力を過大評価するという認知バイアスについての仮説である。



 一方、河野のブログは「ごまめの歯ぎしり」というらしい。「ごまめの歯ぎしり」とは、実力のない者が、いたずらに苛立ったり悔しがったりすることのたとえ。



 自覚があるのか、ないのか、一体どちらなのか?



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 河野がツイッターでブロックばかりしているという記事を見かけたので、河野のアカウントを見に行ったら、私もブロックされていた。なにかを書き込んだわけでもないのに。こういうことに関しては仕事が早い。



 記者からの問いは「次の質問どうぞ」で完全スルー。ツイッターの国民の声は次々とブロック。そんな河野が目指すのは、「皆さんの思い」を受け止める政治なんだって。



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 自民党総裁選。どれを選ぶか、ほとんど罰ゲーム状態。



 高市早苗もしゃれにならない。2014年9月にはネオナチ団体代表とツーショット写真を撮っていたことが発覚。高市は「思想信条が分かっていたら、会いもしなかったし、写真も撮らなかった」と釈明したが、過去にナチス礼賛本『HITLER ヒトラー選挙戦略』に推薦文を寄せていたことが発覚。総務相だった16年には「国は放送局に対して電波停止できる」と国会答弁していた。



 保守とは近代理念の暴走を警戒する姿勢のことだ。そして近代特有であり、最大の病が全体主義である。「保守」を自称する頭が悪い連中が高市を支持するという倒錯もまた近代大衆社会の病の末期症状。



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 麻生太郎が「コロナはまがりなりにも収束」と発言(9月7日)。これも麻生暴言録に追加か。



「ナチスの手口に学んだらどうかね」「女性に参政権を与えたのは失敗だった」「(終末医療に関し)さっさと死ねるようにしてもらわないと」「(事務次官のセクハラについて)セクハラ罪はない」「(公文書改竄について)白を黒にしたような悪質なものではないのではないか」。



 まがっているのはその根性である。



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「週刊現代」(8月21・28日号)の記事。



《持病の潰瘍性大腸炎の経過を気づかう声に、「新しい薬が効いているんで、もう大丈夫になりました」と安倍は笑顔で答える。すると、隣の昭恵夫人がこんな軽口を叩いた。



 「主人はお芝居がうまいから。アハハ!」》



 昭恵は以前にもこんな話を暴露している。



《主人は、政治家にならなければ、映画監督になりたかったという人なんです。映像のなかの主人公をイメージして、自分だったらこうするっていうのを、いつも考えているんです。だから私は、主人は安倍晋三という日本国の総理大臣をある意味演じているところがあるなと思います》



 日本国民はいつまでこいつの猿芝居に騙されるのか。



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 先日私がbotで流した《一応、念のために書いておくけど、維新のバックに菅義偉や竹中平蔵がいることを知らない人はいないですよね。 橋下(徹)「基本的には竹中さんの価値感、哲学と僕らの価値感、哲学はまったく一緒」》というツイートが、120万インプレッションを超えた。



 それだけ維新の会に対する危機感が社会に拡がっているということだろう。

今秋の総選挙の結果によっては、自公維連立、橋下を民間大臣に登用という地獄が発生しかねない。目の前に迫る危機を直視せよ!



 



文:適菜 収