アフガニスタン人道支援活動を続けるNGO「ペシャワール会」の現地代表で、医師の中村哲氏(当時73)が、2019年12月4日朝、東部ナンガルハル州ジャララーバードで車に乗っていたところを武装集団に襲われ、銃撃により殺害された。事件の真相究明には困難を極めているが、中村医師はタリバンをどう見ていたのか?そこから見えるタリバンの実態と本質とは? そこには西側メディアのプロパガンダにより悪役とされてきたタリバンの姿があった。



 イスラーム法学者中田考著『タリバン 復権の真実』のなかで中村医師について触れている。おりから12月10日には同書の中でもその論文が引用されているアフガニスタン国立カブール大学卒元アフガニスタン大使で生前中村医師との親交があり「あとがき」を「中村哲先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます」の言葉で結んでいる高橋博史氏の『破綻の戦略 私のアフガニスタン現代史』が出版された。『破綻の戦略』は7章構成だが最終章第7章「潰えた戦略と中村哲医師の夢」は中村医師とのアフガニスタンでの思い出にささげられている。



 『破綻の戦略』は高橋氏がアフガニスタン留学の1978年に体験した軍事クーデターの臨場感あふれる記述から始まり2019年の中村医師の死への哀悼の辞によって終っており、2021年のタリバンの復権については書かれていない。同書と『タリバン 復権の真実』を併せ読むことで、タリバンの復権の歴史的必然性とその意味をより深く理解することができ、また日本が復権したタリバンといかに付き合い、同じ日本人としてアフガニスタン人のために尽くした中村医師の殺害事件をどう考えるべきかを知ることができるだろう。





 米軍産学複合体とアフガニスタン政府の共犯関係により、西欧ではタリバンを悪役に仕立て上げるために、彼らがあたかも自分たちに敵対する者は問答無用で虐殺する、残忍な狂信者であるかのように描く言説が流布しているが、戦闘は最終手段であり、できる限り交渉による解決をはかってきたのは、タリバン結成当時からの原則である。高橋博史も結成当時のタリバンについて「タリバーンの戦闘方法はねばり強く投降を呼びかけ、やむを得ざる場合に攻撃を行うという形がとられている」と述べている(※1)。



 高橋は2016年の時点でも在アフガニスタン日本国大使職からの帰朝報告でタリバンについて以下のように述べている。





 「もう一つの大きな問題は、部族主義の結果、汚職と腐敗が蔓延する社会になったことである。私の知っている1970年代のアフガニスタンには賄賂などはなかった。賄賂や汚職が増加したのは2002年頃からではないかと思う。腐敗の進行具合はすさまじい。

タリバンが民衆の支持を得る最大の理由は、彼らは腐敗していないことにある。例えば、地方で交通事故を起こした場合、警察の判断は、賄賂できまる。他方、タリバンは事情を聞いた後、シャリーア(啓典クルアーンと預言者ムハンマドの言行録ハディースの教え)に沿って判断する。また、彼らはお金を要求するわけではない。国民が、どちらを支持するかは明白である。―中略― テロのない国家を目指すには、和解が第一の段階となるが、そのためには腐敗を一掃する必要がある。民心が反政府のタリバンを支持するのは、コーランに基づき裁定を行うタリバンに腐敗がないからだ(※2)。」





 こうしたタリバンの本当の姿は、米軍産学複合体、(旧)アフガニスタン政府、国際機関、人権団体のような利害関係者などの党派的な発言や、現地語も現地事情も知らないジャーナリストのにわか仕込みの聞きかじりの断片的な情報の垂れ流しによっては窺い知ることができず、それには先行研究の渉猟、長期的な観察と総合的、客観的な分析が必要である。





注)



※1 高橋博史「新たな紛争の構図 新勢力「タリバーン」の台頭:1995年のアフガニスタン」『アジア動向年報1996年版』598頁(https://core.ac.uk/download/pdf/288457654.pdf)。



※2 高橋博史「最近のアフガニスタン情勢」中東調査会「中東情勢講演会」2016年12月13日(https://www.meij.or.jp/event/2016_12.html)。





 しかし、我々は幸いなことにアフガニスタン社会を知悉(ちしつ)した高橋博史と故中村哲の証言を日本語で読むことができる。高橋博史はダリー語を学びカブール大学を卒業し、タリバン政権の初期(1996―98年)に国際連合アフガニスタン特別ミッション政務官としてアフガニスタンに滞在していた。さらに暫定政権期(2002年)に国連アフガニスタン支援ミッション首席政治顧問を務め、カルザイ政権からガニ政権への移行期にアフガニスタン大使を歴任したという経歴の持ち主である。

また、ペシャワール会(※3)で1991年2月にアフガニスタンのナンガルハル州にダラエヌール診療所を開設して以来、2019年にナンガルハル州で銃撃され殉職するまで、30年近くアフガニスタンの民衆の間で暮らし、長年にわたってタリバンとも日常的に接触していた中村哲医師は2001年に以下のように述べている。





 「北部同盟の動きばかりが報道されて、西側が嫌うタリバン政権下の市民の状況が正確に伝わらない。日本メディアは欧米メディアに頼りすぎているのではないか。北部同盟はカブールでタリバン以前に乱暴狼藉を働いたのに、今は正式の政権のように扱われている。彼らが自由や民主主義と言うのは、普通のアフガン市民から見るとちゃんちゃらおかしい。カブールの市民は今、米軍の空爆で20人、30人が死んでも驚きません。以前、北部同盟が居座っている間に、内ゲバで市民が1万5000人も死にましたから。



 今もてはやされている北部同盟の故マスード将軍はハザラという一民族の居住区に、大砲や機関銃を雨あられと撃ち込んで犠牲者を出した。カブールの住民の多くは旱魃で農村から逃げてきた難民。22年の内戦で疲れ切っていて、「もう争いごとは嫌だ」と思っている。逆に言うと、厭戦気分が今のタリバン支配の根っ子にあると思います。各地域の長老会が話し合ったうえでタリバンを受け入れた。

人々を力で抑えられるほどタリバンは強くありません。旧ソ連が10万人も投入して支配できなかった地域です。一方で市民は北部同盟は受け入れないでしょう。市民は武器輸送などでタリバンに協力しています。北部同盟に対しては、昔の悪い印象が非常に強いですから。



 タリバンは訳が分からない狂信的集団のように言われますが、我々がアフガン国内に入ってみると全然違う。恐怖政治も言論統制もしていない。田舎を基盤とする政権で、いろいろな布告も今まであった慣習を明文化したという感じ。少なくとも農民・貧民層にはほとんど違和感はないようです。



 例えば、女性が学校に行けないという点。女性に学問はいらない、という考えが基調ではあるものの、日本も少し前までそうだったのと同じです。ただ、女性の患者を診るために、女医や助産婦は必要。

カブールにいる我々の47人のスタッフのうち女性は12~13人います。当然、彼女たちは学校教育を受けています。



 タリバンは当初過激なお触れを出しましたが、今は少しずつ緩くなっている状態です。例えば、女性が通っている「隠れ学校」。表向きは取り締まるふりをしつつ、実際は黙認している。これも日本では全く知られていない。



 我々の活動については、タリバンは圧力を加えるどころか、むしろ守ってくれる。例えば井戸を掘る際、現地で意図が通じない人がいると、タリバンが間に入って安全を確保してくれているんです(※4)。」





 タリバンの現状については、2014年から2020年までアフガニスタンで国連アフガニスタン支援団(UNAMA)の代表を約4年にわたって務め、タリバンと協議を繰り返してきた山本忠通も以下のように述べ、タリバンを批判するばかりではなく国民が安心できるような政治と行政を行うよう促していくことを提言している。





 「タリバンは大きな組織で、軍事部門と政治部門を持っている。教育や保健など行政分野ごとの委員会もある。政治部門の指導者は国際情勢を把握し、英語の堪能な者も少なくない。タリバンのウェブサイトで発表される声明や主張は極めて論理的で洗練されている。

イスラム関連だけではなく、古今東西の文献を引用することもある。知的レベルは高く、国際社会とどのように付き合えば良いのか理解している。



 彼らは今、「外交官の安全を保障する」「復讐しないから安心してほしい」「行政官が必要だから国に残って欲しい」「アフガン人の皆を代表する(inclusive)政府をつくる」と訴えている。彼らは、周囲の懸念を理解している(※5)。」





 タリバンが対話に開かれていることに関して、各国政府だけでなく、大学や研究機関などでさえこれまで重大な過ちを犯してきた。タリバンはカルザイ政権、ガニ政権をアメリカの傀儡政権として一貫して対話を拒否してきた。2012年の同志社大学での会議は、アフガニスタン国内も含めて、カルザイ政権の公式代表とタリバンの公式代表が公開の場で世界で初めて同席した画期的事件であった。(中略)



 タリバンは決して対等な対話を拒否したわけではなく、拒否したのは対等性が保証されない高圧的な相手との対話であり、むしろ対等な対話を拒否してきたのは政権側であった。そしてこれはタリバンに限らず、「テロリスト」などのレッテルを貼られているものとの「対話」において一般的に生ずる問題である。





注)



※3 パキスタンでの医療活動に取り組んでいた医師の中村哲を支援するために1983年に結成された非政府組織。農業事業にも取り組んでいる(http://www.peshawar-pms.com/)。



※4 中村哲「タリバンの恐怖政治は虚、真の支援を」『日経ビジネス』2001年10月22日号(https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00059/120400219/)。



※5 「論理的、洗練された一面も タリバンを熟知する日本人が見るアフガニスタンのこれから」『The Asahi Shinbun Globe+』2021年8月19日(https://globe.asahi.com/article/14420464)。

メディアの中にもタリバンのカブール入城10日を経て、これまでの反タリバン・プロパガンダを疑い、アフガニスタン社会とタリバンの実態を知ろうとする動きが現れている。たとえば、今井佐緒里「タリバンはなぜ首都を奪還できたのか? 多くのアフガン人に「違和感なく」支持される現実」『ニューズウィーク日本版』2021年8月26日(https://www.newsweekjapan.jp/imai/2021/08/post-10.php)参照。





■中村医師殺害事件について



 中村医師殺害事件に関しては朝日新聞の乗京記者がアフガニスタンで綿密な現地取材を行い、タリバン復権直前の2021年6月8日から15日まで8回にわたって詳細な記事《「実行犯の「遺言」 ~中村哲さん殺害事件を追う~」》を連載していた。乗京はTTP(パキスタン・タリバン運動)のメンバーであったアミール・ナワズ・メス―ドが中村医師殺害事件の実行犯であると目星をつけて取材を続けていた。



 ところが取材中に、アミールが住宅街で襲撃事件を起こし警備員に射殺されてしまった。乗京記者は2月10日付の朝日新聞に「中村哲さん殺害、捜査当局が主犯格を特定 死亡の可能性」の記事を書き、アフガニスタンやパキスタンの新聞も報道した。しかしアフガニスタン政府(アシュラフ・ガニー政権)当局は結局その件に関してコメントを出さず、乗京記者も取材を拒否された(第4回《「アミールが死んだ」 野放しだった容疑者、沈黙の当局》6月11日付)。アフガニスタン治安当局が事件の隠蔽をはかったため、取材は暗礁に乗り上げていた。



 しかしタリバンが8月15日にカブールを奪還し、アフガニスタン全土の実効支配を確立すると乗京はアフガニスタンを再訪し、《殺害は予見されていた 中村哲さん事件を追う》と題してその取材結果を11月29日から12月2日まで4回にわたって記事に纏めている。



 乗京によると、中村医師殺害事件では旧アフガニスタン政権当局が一度も会見を開かず情報を伏せたまま、捜査に関わった当局者の多くが国外に脱出してしまった。殺害現場のジャララバードは当時、タリバンではなく旧政権の支配下にあり、旧政権の治安当局はパキスタン政府による中村医師の殺害計画を察知していながら、事件を防げず、アーミルが犯人であったことが判明した死亡後も事件について取材を拒否していた。(第3回《中村哲さんに近づく危険、警察は深刻に捉えなかった 元高官が告白》12月1日付)



 タリバンがカーブルを掌握した後も捜査資料は見つかっていない。しかし乗京は、中村医師殺害事件に対しタリバンとたびたび会っていた外交筋さえタリバンが中村医師の業績をいつも賞賛し感謝していたことを知っており、旧政権治安当局が都合の悪い捜査資料を持ち去ったか抹消した可能性に触れていながら、タリバンとTTPが厳格なイスラーム法の適用を求める友好団体である、という理由からタリバンが操作を放置するのではないか、との懸念を表明して新連載を終えている(第4回《尻込みするタリバン、友好団体との関係苦慮「ナカムラに申し訳ない」》12月2日付)。



 復権後のタリバンについての日本の報道が、アフガニスタンの現代史の勉強もせず、ろくに取材もしないままに、アフガニスタンを破綻国家させタリバンの復権を招いた国際機関の主張や欧米の報道を無批判に焼き直しただけのタリバンに対する誤解を増幅させるだけの有害無益なものばかりであるのに対し(※6)、乗京の記事は、周到な事前調査と現地での様々な立場の人間との徹底した取材に基づく読み応えのあるものである。政治的な立場や利害を度外視して真実を追求し、誰にも忖度せずそれを伝えることはジャーナリストの職業倫理であり、その点において乗京の計12回の連載記事は国際的な水準に照らしても優れたレポートである。



 しかしこの記事はアフガニスタンの現状認識が決定的に書けており、結果的に中村医師の志に添うものになっているかについても、以下の二つの理由から疑問である。





注)



※6 数少ない例外がTBSの須賀川記者の現地レポートで、アフガニスタンでのタリバン支配を実際に見る以前のタリバン報道官とのインタビューはstereotypeの偏見に基づくものだったが(https://youtu.be/LRA7Ji9CAEE)、アフガニスタンでの取材後の動画は概してアフガニスタンの現実をバランスよく伝えており、視るに値する。



https://youtu.be/LRA7Ji9CAEE
https://youtu.be/XdxdOw2Hg44 ②https://youtu.be/gSiKagby260 ③ https://youtu.be/9wmX7mRPIr4 ④https://youtu.be/iNElbNYmfQo ⑤https://youtu.be/zodyiNcqJpM



 第一に、乗京はカブールの中村医師の肖像が描かれた壁画が塗りつぶされ独立を祝う言葉が書かれたことを、「人道支援に尽くした中村さんの追悼と平和を願う絵よりも、タリバンをたたえる標語が優先される時代になったことは、現地の人道活動家たちを悲しませた」と批判していることである。



 乗京自身が「近くにある壁画も一斉に消され、中村医師の肖像画だけがピンポイントで塗りつぶされたわけではない」と書いている通り、肖像画が消されたのは中村医師への評価とは関係なく、肖像画を嫌うイスラームの教えに沿ったものである。そもそもイスラーム文化を尊重した中村医師が自分の肖像画がカブールの壁画にされることなど望んでいただろうか。



 また治外法権で傍若無人に振る舞う外国軍とその威を借り地方のアフガン人を遅れた人間と見下す外国のメディアや「人道団体」からのアフガン人の独立こそ、中村医師が愛したアフガニスタンの民衆が望んだことではなかったのか。



 独立を祝う言葉をタリバンをたたえる標語としか思えず、中村医師が共に生きた地方のタリバンと民衆たちではなくアメリカの傀儡政権に寄生していたカブール在住の現地の「人道活動家」たちの気持ちを優先する記事を書くことが中村医師の意志に適うことだとは思えない。



 第二はより複雑かつ深刻な問題である。拙著『タリバン 復権の真実』で詳述した通り、旧(カルザイ、アシュラフ・ガニー)政権は単なるアメリカの傀儡政権であっただけでなく、匪賊、夜盗の類に堕した軍閥「北部同盟」を母体としており、そもそも殺人、誘拐、強盗、強姦などで悪名を馳せた犯罪者集団であり、汚職、人権侵害にまみれた破綻国家であった。



 しかし、タリバンは、そのような旧政権の人間であってもタリバン政権に帰順するなら旧悪を不問に付して新しい国家建設のために迎え入れるとの一般的恩赦を発表していた。高橋博史著『破綻の戦略』に活写されているようにアフガニスタンは中世さながらの仇討、血の復讐が行われる部族社会である。そうしたアフガン社会にあって、20年にわたってテロリストの汚名を着せられ、親族に至るまで外国軍とその傀儡政権によって残酷な迫害を被ってきたタリバンが、イスラーム法の厳格な適用を緩和してまで、旧政権の人間に一般的恩赦を宣言したことは、外国軍の占領によって救い難く悪化した貧富の格差、都市と地方の文化的対立による国民の分断を修復するためには、やむをえないとの決断によるものであった。



 2021年12月6日付『ハーマ・プレス(The Khaama Press)』によると先週、ソ連軍の侵攻以来過去40年において初めて戦死者数ゼロを記録し1週間の記録としても過去最低の5人となった。このようにソ連の侵攻以来外国の侵略による40年にわたる戦乱に終止符を打ちアフガニスタンに平和と秩序をもたらしたタリバン政権を「国際社会」は依然として「テロ組織」扱いし、内政に干渉し「包括的政府」の名の下に公然と政権の転覆を要求している。



 外国勢力と共謀しての国家転覆は日本でも死刑一択の刑法上最も重い外患罪となる。タリバン政権を承認せず、西欧諸国が公然と内政干渉を行っている現状において、帰順した者への恩赦は重大な問題であり、政権に協力している限り旧悪を罪に問うことは容易に許されることではない。



 西欧の人権団体はタリバンによる旧政権の治安関係者の処刑や拘束、監禁を声高に批判するが(※7)、アフガニスタンの平和と安定を望むなら、旧政権の治安関係者の旧悪の恩赦の基準は、タリバン政権への帰順と協力という未来志向のものでなければならない。



 そうであるなら、現在も外国の報道機関や人権団体と通じて反タリバン活動を続けることで外国軍の介入を招き再び内戦を引き起こす危険がある旧政権の治安関係者の選別がアフガニスタンの国民和解、秩序回復のために死活的に重要なのに比べ、中村医師殺害事件の隠蔽に関わった者の処分の優先順位が低くなるのはやむをえない。



 特にそれがタリバン政権の内部及び隣国パキスタンとの間の紛争の火種になるならなおさらである。そして度重なる襲撃の危険の警告にすら耳を貸さず武力による解決を拒み、ただひたすらにアフガニスタンの地方の民衆に寄り添い安定と平和のために尽力した中村医師は、自らの殺害事件の背景を暴き出し裁きを下すことよりも、タリバン政権の下で全てのアフガニスタン国民が過去の罪を封印し和解を達成し内戦で荒廃した国を再建することこそを望んでいるのではないだろうか。



 繰り返すが、乗京記者が同じ日本人としてアフガニスタンに人生を捧げた中村医師を誇りに思いその殺害事件の真相を追求し明るみに出そうと努めることはジャーナリストの職業倫理として正当化される。しかし、我々が中村医師の夢を真に理解し、そのアフガニスタンへの思いを引き継いでいこうと思うなら、皮相的な新聞報道に目を眩まされず、事件の背景にあるアフガニスタンの現代史に目を向け、地方に生きる民衆の真の姿を知る必要がある。拙著『タリバン 復権の真実』がそのために役立つなら筆者としては望外の幸せである。



(了)





文:中田考





注)



※7 タリバンを批判する欧米の人権団体の事実関係の確認が取れていない一方的な発表の数字ですら、政権復帰後の3か月半の間に処刑されたり行方不明になった治安関係者やその家族の数は合計しても47人に過ぎない。Cf., Radina Gigova & Rob Picheta, ‟The Taliban executed scores of Afghan security forces members after surrender, HRW report alleges”, CNN,2021/11/30.



編集部おすすめ