何が起きるか予測がつかない。これまでのやり方が通用しない。

そんな時代だからこそ、硬直してしまいがちなアタマを柔らかくしてみよう。あなたの人生が変わるきっかけになるかもしれない・・・そんな本がここにあります。「視点が変わる読書」連載第26回「ファッションと美の普遍」。 エイミー・オデル著/佐藤絵里訳『ANNA アナ・ウィンター評伝』を紹介します。



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 第26回 ファッションと美の普遍『ANNA アナ・ウィンター評伝』エイミー・オデル著/佐藤絵里訳 

 



【映画『プラダを着た悪魔2』】

 



 休みの取り方によっては12連休になるという、今年のゴールデンウィークまっただ中の5月1日、その日に封切りされた映画『プラダを着た悪魔2』を見に行った。



 TOHOシネマズ日比谷のスクリーン1の12時からの回は470席がほぼ満席状態。一見して、四十代以上の中年男女が多かった。



 2とあるからには1があるわけで、前作が公開されたのが2006年、今から20年前! だ。



 舞台は、ニューヨークのファッション業界に君臨する雑誌『ランウェイ』の編集部。そこには「悪魔」のように厳しい編集長、ミランダ・プリーストリー(メリル・ストリープ)がいて、大学出たてでジャーナリスト志望のアンドレア・サックス(アン・ハサウェイ)がミランダのアシスタントとなり、欲望渦巻くファッション業界で、自分を見失いそうになりながら、成長していく姿が描かれた。



 前作が大ヒットした要因の一つに、はじめは、ダサダサの服を着ていたアンディ(アンドレアの愛称)が、プラダをはじめ、シャネル、ダナ・キャラン、ヴァレンチノ、ジミー・チュウ、マロノ・ブラニクといったハイブランドの服や靴を身にまとい、ファッショナブルな女性に変身していく様子に、女性たちが憧れをかきたてられたことがある。



 かくいう私も、20年前にこの映画を見た後、初めてマロノ・ブラニクのピンヒールのサンダルを買ったのだった……。



 ミランダに認められたアンディには『ランウェイ』にとどまり続ける道もあったが、自分が何をしたいのかを自身に問い直し、ミランダの元を離れる決断をしてジャーナリズムの世界へと旅立っていく。



 さてそれで2はというと、時代は現在に設定されていて、主要キャラクターを前作と同じ俳優が演じている。ミランダ編集長はメリル・ストリープ、アンディはアン・ハサウェイ、アンディの好敵手エミリーはエミリー・ブラント、ミランダの補佐役のナイジェルはスタンリー・トゥッチといった具合だ。



 ミランダは相変わらず『ランウェイ』の鬼編集長、ナイジェルは文句も言わずに彼女の右腕として仕える編集補佐、アンディは報道記者としてキャリアを積んだジャーナリスト、エミリーは雑誌を離れ、クリスチャン・ディオールの広報部長の仕事をしている。



 この20年で、彼らを取り巻く社会状況は大きく変わった。現実の世界の20年を振り返っても分かるだろう。



 SNSは1990年代の終わりに始まっているが、2004年の「Facebook」、2006年の「Twitter」、2010年の「Instagram」の登場で世界的な普及を見せた。



 2008年のiPhon3Gの発売からスマホの普及が飛躍的に広がり、2010年代中頃にはガラケーの出荷台数を抜き、今では生活必需品となっている。



 2024年11月にアメリカの企業オープンAIが公開した、チャットGPTが公開直後から爆発的に利用者を増やし、2カ月でユーザー数1億人を突破し、生成AIブームを巻き起こしたのは記憶に新しい。



 デジタルの台頭で今や紙の新聞、雑誌、本を読む人は激減し、時代の変化に揺さぶられている。



 そうした中、雑誌『ランウェイ』の存続の危機に、アンディが、特集エジターとして編集部に呼び戻されるところから、映画は始まる。



 



【『ヴォーグ』編集長を37年間も務めた人物とは】



 『プラダを着た悪魔』の原作を書いたローレン・ワイズバーガーは1999年にアメリカのコーネル大学を卒業してすぐヴォーグ編集部に就職した。

8か月間、編集長のアシスタントとして勤務した後、旅行雑誌社に転職。働きながら創作講座に通って書き上げた小説『プラダを着た悪魔』が2003年に出版されると、新人作家の作品としては異例なほど話題を呼び、ベストセラーとなった。



 何故なら、鬼編集長ミランダ・プリーストリーのモデルが『ヴォーグ』の編集長アナ・ウィンターではないかという憶測を呼んだからだ。アナは1988年から『ヴォーグ』の編集長を務めていて、小説が発表された頃には、すでに世界で最も有名なファッション誌編集者であった。



 ワイズバーガーはミランダのモデルはアナではないと否定をしているが、鬼編集長の細かい描写にアナの要素が全く入っていなかったわけではないだろう。



 そのアナは何と、2025年まで、実に37年間も『ヴォーグ』編集長の大役を務め、かつ巨大メディア企業コンデナストの最上部まで上りつめた。一体どんな人物なのか――。



 『プラダを着た悪魔2』の公開に合わせ、『ANNA アナ・ウィンター評伝』を読んでみた。





 



 評伝は、アナの誕生から時系列に彼女の人生を辿っていく、オーソドックスな構成である。



 第二次大戦が終結して4年後の1949年11月、アナはイギリスのロンドンに生まれた。父のチャールズはケンブリッジ大学を主席で卒業した秀才であり、戦後すぐ『イヴニング・スタンダード』という新聞社で職を得ると、順調に昇進を果たして、1959年には同紙の編集局長となった。母のノニーはアメリカ人で、ケンブリッジ大学の女子大学であるニューナム・カレッジ卒。

彼女の父はハーバード大学の教授だった。



 高学歴の両親を持ったアナだが、自身は大学卒でないばかりか、高校中退である。アナがティーンエージャーとなった1960年代のイギリス、特にロンドンは「ユースクエイク(若者文化の勃興)」の真っ最中で、階級制に象徴される旧来の秩序の崩壊が始まっていた。



 ミニスカートを代表とする新しいファッションの出現に女性たちが湧きたつ中、高校時代からファッションに興味を持ったアナにとって、ケンブリッジやオックスフォードといった大学に進学することは重要ではなく、ファッション業界で働くことを望んだ。



 意外にも両親はアナの希望を了承してくれ、アナは当時大人気だった、「ビバ」というブティックの売り子からキャリアをスタートさせた。1967年、アナは16歳だった。



 ファッション業界の仕事といっても、自ら服や靴を作るデザイナー、ブランドの広報、販売員、モデルなど、いろいろある。アナが目指したのはファッション誌の編集者で、その第一歩となったのがイギリスのファッション誌『ハーバーズ・クィーン』でのファッション・アシスタントの仕事だった。



 そこでアナは服の選び方、才能ある人材の選び方、コラボレーションの仕方、レイアウトの方法、キャプションの書き方など、編集にかかわるあらゆることを学んだ。



 その後、ニューヨークに移って、『ペントハウス』の姉妹誌である『ヴィヴァ』や『ニューヨーカー』を経て、1983年には、世界のファッション誌の頂点ともいえるアメリカ版『ヴォーグ』のクリエイティヴ・ディレクターの職を得、88年には編集長に就任した。



 その間が常に順風満帆だったわけではないが、16歳で憧れのファッション業界に入った女の子が39歳の若さで頂点までのぼりつめたのだ。



 評伝には、その間のアナの公私が克明に記されているが、そこから見えてくる彼女は、人見知りで常に前髪とサングラスで顔を隠し、あまり感情を外に出さないという、『プラダを着た悪魔』のミランダ編集長とは全く印象の異なる人物である。



 「アナは完璧主義者で、洋服を忘れたりアクセサリーをなくしたりするタイプではなかったし、服の選び方も心得ていた。また、才能ある人を適材適所で配置するのも得意だった。いったん決めたら迷わなかったので、スタッフが途方に暮れることもなかった」



                     (『ANNA アナ・ウィンター評伝』)



 



 これは、『ハーバーズ・クィーン』でファッション・アシスタントとして働いていた20代前半頃のアナへの評価だが、これが彼女の編集者としての本質だろう。



 彼女には若い頃から編集長になる素質があったのだ。また自分で着る服を含め、ファッションセンスの良さには定評もあった。けれど、そんな編集者はごまんといる。



 500ページを超えるアナの評伝を読んで思うのは、彼女の地位はその仕事の結果としてついてきたものであって、彼女が権力志向だったわけではない、ということだ。彼女はファッションが好きで、編集者としてすべき仕事を続け、苦境に陥っても挫けることがなかった。



 肝腎なのは、アナに、自分にはファッションが分かっているという自信があったことではないだろうか。





【ファッションとは、単なるきまぐれではなく、理想へと向かう試み】

 



 アナを扱ったドキュメンタリー映画『ファッションが教えてくれること』の冒頭シーンで、彼女はこんなことを言っている。



 



 「ファッションを恐れる人が多い。こわいから、悪く言ったり、けなしたりするの」



 



 『日本大百科全書』によれば、「ファッション」の定義はこうなる。



 



 「思想、言語、芸術などの無形のものから、衣食住などの生活様式にまで表れる『はやり』のこと。しかし、この意味での『はやり』は、一般には服飾のうえでもっとも顕著にみられるために、ファッションは『服飾流行』と訳される場合が多い」



 では、「服飾流行」とは、一時はやっては消えていく、一過性のものなのなのだろうか。



 それについて、フランスの詩人ボードレールがこんなことを言っている。



 



 「流行(モード)とは、人間の脳髄の中で、自然な生命がそこに積み上げる粗野なもの、地上的なもの、不潔なものすべての上に浮び残る、理想への嗜欲の一つの徴候、あるいは自然に加えられた崇高な変形、あるいはむしろ、自然の形を改善するために絶えず継起的に行われる試みであると、見なされるべきである。(中略)流行(モード)は、それを身につけた美しい女たちによって生命を与えられ活気づけられたところを、想像してみる必要がある。そのようにして初めて、その意味と精神が理解されるだろう」(「現代生活の画家」阿部良雄 訳)



 



 つまり、服の形や髪型やリボンの結び方が時代ごとに変わるのは、単なるきまぐれではなく、理想へと向かう試みであり、しかもそこには、その時代、時代の現代性が現れているというのだ。



 この批評が書かれたのは1863年、日本は明治維新前夜である。その頃からすでに、ファッションはかくも意識されていたのである。



 ファッションは確かに一時的で、うつろいやすく、刻々と変貌を遂げる。だからこそ、そこには見逃してはならない「今」が現れるのであり、それをとらえて世の中に「美」を提供することがファッションビジネスなのだとアナは理解していた。



 



 『プラダを着た悪魔2』のミランダは、雑誌が売却され、編集長を解任されるという危機を、アンディの協力を得て乗り切ったが、そうした外部からの圧力にアナは常にさらされていたに違いない。



 けれど彼女は権力的圧力にも、デジタルの波にも、コロナのパンデミックにも、暴君トランプの出現にも屈することなく、挫折しながらも時代に適応する努力を続け、成果を上げ続けた。

トレードマークのボブカット&サングラス姿で、淡々と。



 かくしてアナは2020年12月に、コンデナストのチーフ・コンテント・オフィサーに就任した。『ヴォーグ』を始め、同社の全雑誌ブランドを監修する地位に就いたのだ。その権力は絶大なものだが、一方で想像を超える困難が伴う。



 周囲は、アナが引退して広大な別荘で優雅な70代を過ごすという選択をせず、批判や圧力を受けながら仕事を続ける道を選んだことに驚嘆したという。



 2025年6月、アナは『ヴォーグ』編集長を退任したが、76歳となった今なお、チーフ・コンテント・オフィサーの仕事を続けている。



 ボードレールは、「現代生活の画家」の中で、こう言っている。



 



 「美というものは、量を測定することが度外れに難しい、永遠、不変の要素と、相対的、偶成的な要素とから成り立っており、後者は、言ってみるなら、代る代るあるいは全部まとめて、時代、流行(モード)、道徳、情熱である。霊妙な菓子にかぶせられた、快く、口当たりがよく、食欲をそそる上皮とも言うべき、この第二の要素なしには、第一の要素は、消化不可能で、味わうこともできず、人間性に合ったものとも適したものともならないだろう」



 



 アナはファッションという上皮をかぶせることで美の普遍を人々に届け、新しい時代を創り上げてきたのである。



 



文:緒形圭子

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