|#01 『船幽霊は日本の幽霊船』
海の怪談――波間に浮かぶ〝それ〟を見てはいけないの画像はこちら >>
 

 夏といえば海。

 青く輝く海原と水平線の向こうに浮かぶ白い雲を眺めていると、幽霊だとかお化けだとかは別世界の出来事のように思えてきます。

しかし、海で怪しい出来事が起こるのも、まさに今ごろのことなのです。

 18世紀後半に書かれた随筆集『譚海(たんかい)』によれば、相模のM港には毎年7月13日(今の8月半ば)の夜に船幽霊(ふなゆうれい)が出現したといいます。

 船幽霊というと、海で死んだ者たちの幽霊で、船端に取りつき「ひしゃくを寄こせ」と言う話がよく知られています。何人もの幽霊が海中より手を伸ばして「ひしゃくを寄こせ」「ひしゃくを寄こせ」と言うので、恐ろしさのあまりひしゃくを与えてしまうと、ひしゃくは幽霊の数だけ増えて一斉に水を注ぎ込まれ船が沈没してしまう、という話です。

 幽霊たちは仲間がほしくてそんなことをするので、船には底を抜いたひしゃくを積んでおかねばならないといいます。底が抜けたひしゃくでは水がくめないので、幽霊はあきらめて消えていくというのです。

 しかし、M港に現れる船幽霊はまったく違った姿をしていました。

 

 『譚海』によると、M港には篝堂(かがりどう)という建物があったそうです。おそらく灯台のような役目を果たしていたのでしょう。

 この篝堂には7月13日の夜に海で死んだ者の幽霊が決まって現れるので、その霊の供養のため数十人の者たちが篝堂に集まって一晩中念仏を唱えることになっていたのですが、それでも幽霊は出現したそうです。

 その夜、一同が篝堂の中で鐘太鼓を叩きながら念仏を唱えていますと、沖に大きな船が不意に出現しました。

 船はどんどん岸に近づいてきて、ついには篝堂近くの岩場に激突して、轟音とともに砕け散りました。

堂にいた人たちが驚きおびえていると、バラバラになった船体の中から数十人の幽霊が這い出てきて、篝堂へと駆け寄ってきた、といいます。

 『譚海』は篝堂で念仏を唱えていた人たちがその後どうなったのか述べていませんが、無事に朝を迎えることができたのでしょうか。

 江戸時代の文献を読んでみると、どうも船幽霊はこうした幽霊船タイプが多かったようです。19世紀半ばに平戸藩主の松浦静山が書いた随筆集『甲子夜話(かっしやわ)』にも、幽霊船タイプの船幽霊の話が記録されています。それによると――

 ある者が城下の沖1里半(約六キロメートル)ほどのところで釣りをしていましたが、夜になったので岸に戻ることにしました。その時、すぐ近くを大きな船が走っているのが目に入りました。

 その船は風に逆らって進んでいるというのに、その帆は順風のように膨らんでいました。船首に大きな篝火(かかりび)が焚かれて船上は明るく照らされているというのに、船の上で働いている船員の姿はぼやけてはっきりしません。

 恐ろしくなった釣り人は早く岸に戻ろうとしましたが、舟がまったく動きません。しかも、港への目印にしていた島が見えなくなっています。

 その時、同乗していた者が、船幽霊が現れた時は苫(とま、菅や茅で編んだむしろで、船のカバーなどに用いる)を燃やせばいいということを思い出しました。そこで、船首で火をつけてみると、船幽霊は消え、あたりがはっきり見えるようになったそうです。

 気がつくと舟は断崖のすぐ手前で、船幽霊を追い払うのがもう少し遅れていたら、舟は岩壁にぶつかってバラバラに壊れていたところでした。

 どうやら船幽霊は火や灰に弱いらしく、燃えさしの薪を投げても効果があったと報告されています。これについて静山は「(幽霊のような)陰の存在は、陽の力をもつ火には勝てないのだ」と述べています。

 大仰な現れ方のわりにあっさりと退散してしまうのが意外ですが、怪異も時代性を反映するのかもしれません。

 では、現代の海の怪異はどうかというと、どうもたちが悪くなっているように思えます。

|#02 『飛び込み自殺の写真に写っていたものは……』
海の怪談――波間に浮かぶ〝それ〟を見てはいけない
 

 これはあるカメラマンの体験談です。

 彼は雑誌などに載せる広告用の写真を撮るのが専門で、会社や商品を象徴的に表すイメージ写真を得意としていました。その日も酒造会社からの依頼で、海と美女をテーマとした写真を撮っていました。

 この時モデルとして起用したのはレースクイーンもやったことがあるというスリムで背が高い美人で、炎天下での撮影にもかかわらず笑顔を絶やさないタフさももちあわせていました。

 撮影は岩場から砂浜、波打ち際と、場所を変えて夕方まで続きました。そして、そろそろ打ち上げにしようかというところで事件は起こったのです。

 名所となっている奇岩の崖を背景に、モデルが波打ち際をそぞろ歩くところを撮っていた時のことです。

その崖の上から人が身を投げたのです。

 撮影に夢中になっていたカメラマンやスタッフたちはそのことにまったく気づきませんでしたが、周囲にいた観光客などがその瞬間を目撃し、すぐのあたりは騒然となりました。

 これでは撮影になりませんので、カメラマンは撤収を決めました。

 

 翌日、撮影データをチェックしていたカメラマンは不満げに助手を呼びつけました。

「これで全部なの?」

「あ、いや、全部ではなく」カメラマンが不機嫌なのを見て助手はどぎまぎしながら言いました。「先生がピックアップしておけと言われたカットだけです」

「だからさあ」カメラマンはモニターを指で叩きながら言いました。「オレがピックアップしておけと言ったもの全部か、と聞いているんだ。撮ったもの全部見るんだったら、最初からお前に処理頼まないよ」

「はあ、すみません。言われたもの全部です」

「嘘つけ」カメラマンは机をどんと叩きました。「終了直前に撮ったやつが入ってないじゃないか。あれが一番の出来のはずなんだよ」

「あ、あれですか……」助手は顔を青くして言葉を詰まらせました。心なしか震えているようです。「あれ、ダメです。使えません」

「なにがダメなんだよ。お前が決めることじゃないだろう?」

 カメラマンは激高して助手につかみかからんばかりに言い寄りましたが、助手はますます顔を青くして首を振るばかりです。

「それが本当にダメなんです。写っちゃっているんです」

 すると、カメラマンも昨日のことを思い出したのか、少し声を落として言いました。

「写っているって、あれか? 身投げ――?」

「そうです」

 さすがにカメラマンもショックだったとみえてしばらく黙って考えていましたが、

「トリミングすれば使えるかもしれない。とりあえず見せてみろ」

 と助手に言いました。

 助手は「トリミングしてもダメですよ」と言ったのですがカメラマンはきかず、とにかく写真を見せろと強硬に迫りました。

 仕方なく助手は自分の席にカメラマンを呼び、そのデータをモニターに映しました。

「ほら、いい出来だろう」

 カメラマンはモニターを見つめながら満足そうに言いました。たしかにその写真のモデルは髪が夕日で金色に輝いて整った横顔を際立たせていました。

「ですが、先生、ここに……」

 助手は震える指でモニターを指し示しました。見るとモデルの左肩の横に、仰向けになって落ちていく人の姿が写っています。

「これかぁ」カメラマンは腕組みをしてため息をつきました。「画像処理で消しちまうか……。これくらいならできるだろ?」

「違いますよ、そこじゃありません」助手は強く首を振って言いました。「その下です。――いいですか、拡大しますよ」

 助手はそう言うと墜落する女性のすぐ下の海面部分を拡大してみせました。すると――

「げっ!」

 カメラマンはそう叫んで2歩飛び下がりました。

 拡大された画面には、水中から宙へと伸びるたくさんの半透明の腕が写っていたのです。ひょろひょろとありえない長さに伸びた一本は、落ちてきた女性の首にかかっていました。

「な、なんだよ、それは……」

「わかりませんよ、そんなこと」助手はすねたような声で言い返しました。「でも、ひょっとしたら……」

「ひょっとしたら、なんだよ……」

 カメラマンは苦々しい顔でモニターを見つめながら言いました。

「海で死んだ人の亡霊とか……。そういう霊は仲間が欲しいので、自殺願望とかある人を誘うんだそうです」

「オ、オレは自殺願望なんかないから大丈夫だぞ」

「でしょうね――」

 助手は苦笑してつぶやきました。それが聞こえたのか、カメラマンは憮然として助手に命じました。

「そんな気味悪いカット、消しちまえ」

「消せないんですよ」弟子は振り返って悲壮な声でカメラマンに言いました。「朝から何度も何度も消そうしたんです。でも、エラーになって消えないんです。だから、この場所以外の撮影のデータだけバックアップを作って、元データのディスクは捨ててしまおうと考えたんですが、やっぱりダメなんです。バックアップにもこの写真が入ってしまうんです」

 

 結局、その日に撮影された写真は日の目を見ることはありませんでした。工場での事故により、その写真を使って宣伝するはずだった製品が発売中止になってしまったからです。

 撮影をしたカメラマンも体調を崩して廃業することになりました。助手もその数カ月後に行方不明になったそうです。モデルの子は今も活動していますが、腕しか撮らない写真専門のモデルになっています。

|#03 『海の上に浮かぶ首』
海の怪談――波間に浮かぶ〝それ〟を見てはいけない
 

 これは女友だち3人ととある海水浴場に遊びに来たM子さんの話です。

 車に水着や着替え、ビーチボールやフロートマットなどを積み込んでさっそうとやって来た彼女たちでしたが、「海が見た~い」というノリだけで来たので、泳ぎたいというわけではなく、海の家でかき氷を食べ、波打ち際でちょっと波とたわむれて、写真の2、3枚も撮れればそれでよかったのです。M子さんも最初はそのつもりでした。

 しかし、曲がりなりにも元水泳部員だったM子さんは、せっかく水着になったのだから久しぶりに水の感触を楽しみたいという気持ちになりました。それで、「ちょっと泳いでくる」と、水をかけあって遊んでいる連れに声をかけ、身を海水に投げました。

 クロールで2度、3度海面を切り、思いっきり体を伸ばすと、無重力の空間を飛んでいるような開放感に包まれました。波がふわふわと体を上下させるのも心地よいものでした。

 みんなに手を振ってやろう、そう思ってM子さんは足を下ろしましたが、海底に足がつきません。

「あれ?」

 驚いて岸のほうに顔を向けてみると、岸までは50メートル以上あるようでした。感覚ではせいぜい10メートル弱ほどしか泳いでいないつもりだったのですが、流れに乗ってしまったようです。

「ああ、やっぱり海は怖いな。注意しないと」

 元水泳部員だったM子さんにとって立ち泳ぎはなんでもないことでしたし、50メートルという距離も気にするほどのものではありませんでしたが、彼女は自分自身にそう言って気を引き締めました。その時のことです――

「危ないよ」

 不意に背後から声をかけられたM子さんは、ぞっとして手足の動きが止まり、沈みかけてしまいました。

 体勢を立て直して振り返ると、すぐうしろに赤と黄色のキャップをかぶった男の人の顔がありました。まっ黒に日焼けしているので年の頃がわからないのですが、30代にはなっていないようです。男はまた言いました。

「危ないよ。このあたりには離岸流があるんだ。うっかりしていると沖まで流されちゃうぞ」

 M子さんはその言葉を聞き、ああ、この人はライフセーバーなんだ、わたしが危ないところに泳いで行きそうになったので注意しに来てくれたんだ、と思いました。しかし、次の瞬間、恐ろしいことに気づきました。

 その男には、首から下の体がなかったのです。首だけが水面に浮かんでM子さんに話しかけていたのです。

「いやぁぁぁ」

 M子さんは声にならない叫びをあげて、岸に向かって泳ぎました。

 がむしゃらに手と足を動かして1秒でも早く岸に着こうと泳いだのですが、少しも前に進みません。それどころがどんどん下がっていくようです。

「どうして……? 離岸流につかまっちゃった?」

 M子さんは立ち泳ぎに切り替え、海流を見定めようと海の中を見ました。

 すると、海の中には透明なこけしのようなものが無数にいて、それが次々とM子さんの体に当たって沖に押しているのが目に入りました。こけし状のものはゼリーのように柔らかなので一つ一つの衝撃はほとんど感じられないのですが、何十何百と当たり続けるので、少しずつ彼女を沖へ運んでいくのです。

「これが離岸流の正体?」

 M子さんはこけしの流れをよけようと左のほうに泳ぎましたが、透明なこけしたちも彼女を追うように向きを変えるので状況は変わりません。M子さんはパニックになり、泳ぎながら叫び声をあげそうになりました。

「大丈夫ですか!」

 その時、モーター音とともに男の人の声が近づいてきました。M子さんはまた生首かと思い、体が硬直しそうになりました。でも、それは水上バイクに乗った本物のライフセーバーでした。

 

 水上バイクに乗せられて戻ってきたM子さんを、友だちは心配そうな顔で迎えました。

「どうしたの、M子? 泳ぎ得意なのに」

 中の1人がそう言ってM子さんの肩に手をかけました。

「離岸流につかまっちゃって……」

 M子さんはそう言って泣きそうな笑みを浮かべました。

「水は飲んでいないようなので大丈夫だと思いますが、救護所の2階で少し休んでいくといいですよ」

 助けてくれたライフセーバーがそう言うので、M子さんはそうさせてもらうことにしました。

 救護所といっても海の家の一画を間借りしているだけで、その2階の休息所も座敷の一部を区切っただけのものでした。それでもM子さんは横になって休めるのがありがたく、すぐに眠りに落ちました。

 どのくらい眠ったでしょう、M子さんは寝ている布団が動いているような感触で目が覚めました。地震かと思ったのです。

 でも、そうではありませんでした。畳の上に敷かれた布団が奥へ奥へと流されているのです。

 海の上でもないのになぜ布団が流されるのかまったくわかりません。しかし、M子さんが見つめている部屋の入口のドアが、どんどん遠ざかっていくので流されていることは疑いありません。

 寝ていた部屋は四畳半ほどだったのに、布団はあっという間に50メートル以上ドアから離れてしまいました。それでも流される速さは変わりません。

 この部屋はどうなっちゃったのだろう、わたしはどこへ流されていくのだろう、とM子さんは思うのですが、体がぴくりとも動かないので部屋の反対側がどうなっているのかまったくわかりません。それがM子さんの恐怖心をさらに強くしました。

 せめて叫ぶことができれば、下にいるライフセーバーたちに気づいてもらえるのに。M子さんはそう思いましたが、舌もこわばって動きません。

 その時です。M子さんの胸にどすんと落ちてきたものがありました。あの首だけのライフセーバーです。

 それは胸の上からM子さんの顔を見下ろして、こう言いました。

「危ないよ。ここから先はこの世の果てだ。堕ちたら二度と戻れないよ。ああ、怖い怖い」

 そう言いながらも少しも怖そうでも心配そうでもないのです。首はM子さんの様子にはお構いなしに〝忠告〟を言い続けました。

「ああ、間もなくだ。もうすぐ堕ちちゃうよ。ああ、怖い怖い怖い怖い」

「もうだめだ。間に合わない。堕ちる堕ちる。ああ、怖い怖い怖い怖い怖い怖い」

「堕ちちゃうよ、M子さん。終わりだね、M子さん。ああ、怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い」

 なんでわたしの名前を知っているの? M子さんは恐怖にかられながらも強い憤りがこみ上げてくるのを感じました。どうしてわたしがこんなヤツにひどいめに遭わされなければいけないの?

 その怒りがM子さんの体を動かしました。布団から身を引き剥がすように上体を起こし――

 

「ああ、気がついた」

「M子、大丈夫?」

「苦しくない? 水飲んだ?」

 気がつくとM子さんは友だちに囲まれていました。背中から友だちの一人に抱きかかえられ、下半身が海水に浸っています。

「わたし、どうしたの……?」

「ひと泳ぎしてくる、と言ったとたんに倒れたんだよ」

 友だちの一人が少し笑いながら言いました。ちょっとムッとしましたが、悪い気はしませんでした。

「わたし、どのくらい意識失っていた?」

「え? ほんの2、3秒だよ。ねえ?」

 ほかの友だちもうなずいてみせました。

「M子、熱中症だよ。あんただけ帽子もかぶらずにはしゃいでいたんだもの。水泳部員だったから大丈夫とかわけわかんないこと言ってさ」

「そっか、きっとそうだね。じゃあ、もう上がろうか。みんなも熱中症なるかもよ」

「ええーっ。これからビーチバレーやろうとか言ってたのに」

「ダメダメ。わたしみたいになりたくないでしょう。さあさあ、海の家に戻ろう」

 M子さんは強引に一同を浜に連れていきました。今は少しでも早く海から遠ざかりたかったのです。

 沖のほうに赤黄のキャップをかぶった首がぽつんと浮いているのを見ないよう、友だちの間に身を隠してM子さんは海の家を目指しました。