■ニノ結婚、でよみがえる「ジャニーズの妻」になれなかった女たちの涙と怨念
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中森明菜

 二宮和也が、元女子アナと結婚した。相手の女性はSNSでの「匂わせ」行動などにより、ファン全体から歓迎されているとは言い難いが、なんにせよ「ジャニーズの妻」それもあの国民的人気グループのニノと結婚したのだから、たいしたものだ。

 というのも、芸能界にはジャニーズアイドルとの結婚を夢見ながら、果たせなかった女性たちがうようよいる。その怨念を集めて呪ったら、国のひとつくらい滅ぼせるのではないか。なかでも、歴史的に有名なのが中森明菜のケース。89年に近藤真彦の自宅で自殺未遂をしたことで、一大スキャンダルとなった。

 ふたりは6年くらい交際していたものの、山口百恵のような寿引退を目指し、甲斐甲斐しく尽くす明菜がマッチにはしだいに重い存在になっていったようだ。また、マッチの母親がわりでもあったメリー喜多川副社長(当時)がもともと、明菜の人柄や家庭環境をよく思っていなかったともされる。

 この人の亡き夫は上皇陛下のご学友で、嵐が結成されるとき、慶應ボーイで官僚の息子でもある櫻井翔を推したのも彼女だという。前出の二宮がかつて交際を噂された相手についても、長澤まさみはよくて佐々木希はダメ的な価値基準を持っていたらしい(佐々木はデビュー後、元ヤンだったことが取り沙汰された)。

 そんな「母親がわり」が「息子」の家で自殺未遂をするような女を認めるはずがない。半年後の大晦日、明菜は謝罪&復帰報告会見を開き、そこにはマッチも同席した。金屏風まで用意されていたことから、メディアは婚約発表があるのではと考え、明菜自身もそのつもりだったとされる。しかし、マッチは結婚について、

「そういうことはまったくありません」

 と、否定。

その後、ふたりは破局し、明菜にはさまざまなトラブルが起きていった。事務所、出版社、マンション、元付き人などとモメたあげく、雑誌「マルコポーロ」のインタビューで自分のことを「騙され裏切られることには慣れっこの私」とまで形容するようになる。そして、こう語ったのだ。

「騙され続けてると、自分の中に人を疑う目を持ってしまうんですよね。それが自分でも一番悲しい、嫌なことなんですけど、なかなか癒えないんです」

 一方、マッチは94年に一般女性と結婚。ただ、長男が生まれたのは13年後のことだった。

そのあいだ、子宝に恵まれないのは明菜の恨みのせいなのではと、まことしやかに囁かれたものだ。

 とまあ「ジャニーズの妻」になれなかった女たちのなかでも明菜は極北ともいうべき存在だが、そのあとも結ばれない恋は続いた。中山美穂田原俊彦菅野美穂稲垣吾郎、aikoと国分太一、などなど。そんななか、工藤静香はデキ婚によって木村拓哉を射止めたが、そのかげで泣いた女がいる。「カオリン」の愛称で、ファンにも好意的に受け止められていたモデルの伊東香里だ。

 交際期間は9年にも及んだが、99年に破局。

ほぼ同時期に、木村が静香へのアプローチを始めていたことから、乗り換えたのではという見方も出た。モデル活動を控えめにして内助の功に励んでいたともされ「捨てられた糟糠の恋人」という印象もある。

 長い春が実らなかったといえば、浜崎あゆみ長瀬智也のケースもそうだ。15歳のとき、ドラマ「ツインズ教師」で出会い、8年後に再会して恋人同士に。堂々と交際宣言もした。浜崎はその2年前、エイベックスの創業者・松浦勝人との恋を終えていて、その傷を癒したのが長瀬だったともいわれる。

 しかし、浜崎の浮気などもあって、6年後に破局。松浦との関係については最近「M 愛すべき人がいて」(小松成美)という実録的小説が本人協力のもとで書かれたりした。が、長瀬との関係を描いた「N」という小説がそういうかたちで書かれることはないだろう。過去のプライベートの切り売りをジャニーズ事務所が許すとは思えないからだ。

 そういう意味で「ジャニーズの妻」になれなかった芸能人はその後の展開も難しい。テレビ局が事務所の意向を忖度したりして、使いにくさが生じるからだ。

藤ヶ谷太輔と別れたあとの瀧本美織などもおそらくそうだし、松本潤と続いているのかどうかすらよくわからない井上真央についても業界は何かと気を遣ってしまうのだろう。

 まして、肩書が「セクシー(AV)女優」だったりすると、結婚へのハードルはあまりにも高い。独立後に野坂なつみを妻にした野村義男のようなパターンはあくまで例外なのだ。14年に美雪ありすとの熱愛が発覚した森田剛は「週刊女性」の直撃に、

「職業は関係ない!! みんないっしょ」

 と答えて男を上げたが、4年後、妻に選んだのは宮沢りえだった。バツイチ子持ちでも、セクシーじゃない女優のほうが、ジャニーズの妻にはやはりふさわしいということかもしれない。

 また、セクシー女優になったあと、ジャニーズアイドルたちとの恋愛遍歴を赤裸々に暴露したのが、AYAこと牧野田彩だ。彼女が10年に自殺したあと「週刊文春」は「『嵐』を喰った女の『告白』」と題して、大々的に報じた。これによると、櫻井を除く4人と肉体関係を持ち、相葉雅紀とは「家族ぐるみの付き合い」だったという。

 ただ、親密ぶりが災いしてか、事務所から出禁にされてしまう。「サイゾー」によれば、亡くなる少し前から「自分は芸能界の大物に狙われている。殺される。助けて!」とおびえていたそうで、30年の生涯に自ら終止符を打った。

 もっとも、好きな男と結婚できないつらさは、大女優とて同じだろう。09年に国民栄誉賞を受賞した森光子はその10年前、恋人ともいわれていた東山紀之についてこんな発言をした。

「好きなんです! プラトニックな恋ですが、死ぬまでこの関係は続くと思います」

 森はこのとき78歳で、東山は32歳。この発言とは裏腹に肉体関係も取り沙汰され「噂の真相」は森の自宅マンションで東山が「奉仕プレイ」をしているという関係者証言を掲載するなどした。ちなみに、東山は当時「園遊会に呼ばれるような芸能人になりたい」と語っており、現・社長の藤島ジュリー景子との交際を噂されたこともある。印象としては、恋と野心を同時進行させられそうなタイプの青年だった。

 一方、森も恋多き女優であり、自分を慕ってくれる若者がいればその気になっても不思議はない。それなりに本気だったのではないか。森が92歳で亡くなったとき、ジャニヲタたちは葬儀中継を見ながらSNSでこんな会話をしていた。

「やっぱり、ヒガシが木村佳乃と結婚したのがショックだったのかな」「それよりも、内山理名との熱愛がこたえたんだと思う」「じゃあ、その前の牧瀬里穂は?」

 年齢差などから結婚は無理だと感じていても、恋をすれば誰しも一縷の望みを抱くものだ。せめて自分が死ぬまでは相手の一番の女でいたい、というような。しかし、次々と若いライバルが現われ、自分はどんどん老いていく。女としてこれほどつらいことはないだろう。ある意味、国民栄誉賞より、思うままにはならないのが「ジャニーズの妻」への道なのかもしれない。

 そう考えると、今回の元女子アナのように、その座を手にできた人が好奇の目にさらされるのもわかる。ジャニーズの妻になれなかった女たちの涙や怨念が積もるほど、その存在は嫉妬や憎悪すらかきたててしまうものなのだから。