今年ほど邦画が“当たった”年も珍しいのではないだろうか。なかでも7月に公開された『シン・ゴジラ』、そして8月に公開された『君の名は。
』は、一種の社会現象とも言える大ヒットを記録している。しかし、この一大ムーブメントをいまいち理解できないオジサンたちが、業界内に存在するという。それはなぜなのか? 稲田豊史さんに寄稿いただいた。
◆記者や業界関係者も予想できなかったヒット

 2016年の国内映画業界のビッグニュース・トップ2は、『シン・ゴジラ』(7月29日公開)と『君の名は。』(8月26日公開)の大ヒットで間違いなかろう。現在のところ、興収は『シン・ゴジラ』が約79億円、『君の名は。

』が約184億円。『君の名は。』に至っては、邦画の歴代興収第4位にランクインされており、スタジオジブリの宮崎駿直近作『風立ちぬ』(2013年、興収約120億円)の1.5倍という驚くべき成績である。
 ここで今一度注目したいのは、2作のここまでのヒットを、映画・アニメの周辺メディアに従事する大半の記者やライター、なにより当の興行関係者ですらほとんど予想できていなかった、という事実だ。

 2016年10月17日付の日本経済新聞が『君の名は。』配給元である東宝の業績に絡めて報じたところによれぱ、同作の目標興収は当初「10億円」だった。

また、商業デビュー草創期から新海監督の才能を信じ、支え続けた同作の制作会社コミックス・ウェーブ・フィルム代表取締役・川口典孝氏ですら、公開後のインタビューで、「40億くらいは狙ってもバチは当たらないと思ってましたけど」と語っている。
 「40億」は「184億」からすればかなり控えめな数字に見えるが、それまでの新海作品の興行実績(一例として、2013年公開の『言の葉の庭』は23館公開で推定興収1~2億円)に精通している人間からしてみれば、今回『君の名は。』の公開館数が約300館にジャンプアップしたとはいえ、「40億なんて……ビッグマウスも甚だしい」と一笑に付したに違いない。恥ずかしながら、筆者もそれに近い認識だった。

 

なぜオジサンたちは『シン・ゴジラ』と『君の名は。』のヒットを...の画像はこちら >>
 

『シン・ゴジラ』も同様だ。もはやオジサン世代のノスタルジーコンテンツに他ならない「ゴジラ」の、“今さらの”映画化。

しかも「国産の特撮怪獣映画」ジャンルはトレンドでもなんでもない。12年前に制作された最後の国産ゴジラ『ゴジラ FINAL WARS』(興収約13億円)も、興行的に大成功したとはいいがたい。
 いくら「『新世紀エヴァンゲリオン』の庵野秀明が監督」とはいえ、これだけのマイナス材料を並べられて、ピクサーの『ファインディング・ドリー』(興収約68億円)やディズニーの『ズートピア』(興収約76億円)以上のヒットを予想できる記者や映画業界関係者が、果たしてどれほどいるだろうか。ちなみに、庵野監督による直近前作の実写映画は、2004年公開の『キューティーハニー』(興収約4.2億円)である。

 実は、記者や映画業界関係者のなかには、予想はおろか、公開後に作品を鑑賞してもなお「なぜこの2作がここまでヒットするのか、ピンと来ない」と首を傾げる者も少なくないが、彼らには共通点がある。年齢がおおむね40代以上であるということだ。

◆時代とともに変わる「スタンダード」

 このオジサンたちにとって、新海作品はとにかく「童貞っぽく、オタ臭い」。庵野作品はとにかく「クセが強く、マニアック」。両監督の作風を10年、20年スパンで知っていればいるほど、そのイメージは捨てがたく、したがってなぜここまで多くの観客に支持されたのかが、直感的に理解できないのだ。
 しかし2016年現在、少なくともアラサー以下の多くの観客にとって、『君の名は。』は取り立てて不快感を示すほど「童貞っぽく」も「オタ臭く」もない。かつて「アニメっぽい」と形容された演出や台詞回しやキャラクター設定は、ゼロ年代から10年代前半を通じて、完全にカジュアル化・一般化・コモディティ化したからだ。


 ここ数年で「高校生以上が深夜帯アニメを観ること」は、ガチオタの特権ではなくなった。10代のカラオケランキング上位にはボカロ曲やアニソンが大挙してランクインしているし、10代の多くにとって純文学とライトノベルの区分けはほとんど無意味化している。今や大学の入学時オリエンテーションで「趣味はアニメ」と自己紹介したところで、(アラフォー以上が青春時代をすごした)90年代以前ほど色眼鏡で見られることはなくなった。

 いっぽうの『シン・ゴジラ』の演出は、たしかに一般的な日本映画やゴールデンタイムのTVドラマなどと比べれば、クセが強い。一部をして「完全に実写版エヴァ」と言わしめたほど、「まんまエヴァ」である。序盤、官僚や専門家たちが次々とまくしたてる状況説明は、セリフとセリフの“間”が意図的に詰められ、目まぐるしくカットが切り替わる。

豊富に詰め込まれた過去作品のパロディやオマージュもマニアックであり、読み解くために求められるリテラシーは高い。
 しかしこの庵野演出、すなわち「エヴァ演出」は、『エヴァ』が歩んだ20年(95~96年のTVシリーズ、97年の旧劇場版、07、09、12年のリブート劇場版)で10代から30代の間に完全浸透し、ある種のスタンダードとなった。『シン・ゴジラ』を観た、特撮ファンでもアニメファンでもサブカルクラスタでもない知り合いの20代後半女性に「早口の会議シーン、辛くなかった?」と聞いたところ、「『エヴァ』みたいで面白かった」と返ってきたのは印象的だ。
 目下のエヴァ直近作『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』(2012年公開)の興収は実に約53億円にものぼる。もはや「一部のコアなアニメファンが好むマニアックな作品」でもなんでもない。なんとなれば「エヴァ演出」は、日本の清く正しいファミリーアニメたる細田守の2015年作品『バケモノの子』(興収約59億円)と、あまり変わらないほどの“一般性”“メジャー感”の域に到達している。少なくとも4年前の時点で、だ。

 もっと言えば、新海作品に一貫する作風である「背景や小道具の写実主義」「静止画の多用」「早いカット割り」などは典型的なエヴァ演出そのもの(庵野が影響を受けたと公言する岡本喜八演出からの孫引きも含まれる)。また、今回の『君の名は。』では薄まっているものの、新海作品の真骨頂たる「童貞感の強い男性主人公が厨二っぽい台詞回しでモノローグをつぶやき続ける」は、そもそも『エヴァ』の主人公・碇シンジのお家芸だ。
 もはや若者層にとって、「アニメっぽい表現」「エヴァ的なもの」は、童貞っぽくも、オタ臭くも、クセが強くも、マニアックでもなくなった。2作のヒットを感覚的に理解できない40代オーバーのオジサンは、その変化を認識できていない。おそらく彼らの認識する「アニメ」「サブカル」のイメージは、おおむね2000年代前半あたりで更新を停止している。

 こういう話をして思い出されるのが、アメリカで80年代初頭に登場した音楽専門のケーブルテレビチャンネル、MTVだ。MTVはミュージックビデオ(MV)を24時間流し続け、多くの若者視聴者を取り込んだ。そのため多くのミュージシャンはこぞって凝ったMVを制作。そこで名を馳せた監督たちが次々と映画界に進出したことで、映画にMV的な演出・映像文法が持ち込まれることになったのだ。
 彼らは、ひと目で観客を引き込むインパクトあるビジュアル、短いカット割りによる躍動感やスピード感の表現、劇中での効果的な楽曲使用――といったMVのテクニックを長編劇映画に持ち込み、新しい世代の支持をとりつけた。80年代に頭角を現したラッセル・マルケイ(『ハイランダー 悪魔の戦士』)、90年代のデヴィッド・フィンチャー(『セブン』)、マイケル・ベイ(『アルマゲドン』)、2000年代のゴア・ヴァービンスキー(「パイレーツ・オブ・カビリアン」シリーズ)、マーク・ウェブ(『アメイジング・スパイダーマン』)などは、すべてMV出身監督である。

 MV出身監督の演出は今やスタンダードのひとつであり、世界規模で公開されるハリウッド超大作の監督を任される者も少なくない。彼らはもはや「多数派」なのだ。時代が変われば「スタンダード」も「多数派」も変わる。そう考えると、「映画らしい映画が減った」だの「映画興収ランキングの上位がアニメばかりの日本映画業界は嘆かわしい」などとボヤくオジサンたちが、いかに単なるノスタルジーでしかモノを言っていないかがよくわかる。その中に、『シン・ゴジラ』と『君の名は。』のヒットを理解できない人々が含まれているのは、言うまでもなかろう。……と、御年42歳の筆者は自戒を込めて胸に刻みたい。