名作古典の数々には、実は、日本人の豊かな性生活がユニークな表現で書き記されている。そんな古典の中の性文化を切り口に、日本人の歴史と実相に迫る一書『エロい昔ばなし研究 『古事記』から『完全なる結婚』まで』(下川耿史・著、KKベストセラーズ刊)より、知られざる古典の「性」のエピソードを紹介する。
今回取り上げるのは、『きのふはけふの物語』。
◆ほとばしる江戸時代の人々のセンス

 江戸時代の書物に『きのふはけふの物語』(※読み:きのうはきょうの物語)というものがある。江戸初期に成立した笑話集(笑い話を集めた本)で、現代人の中で知っている人はそれほど多くないかもしれない。が、実は発表当時は、多くの庶民に親しまれたベストセラーの一つだった。
 そのおもしろさの所以は、話の設定のうまさもさることながら、野卑な表現がいっそう笑いをそそっている面も大きい。卑猥さと解放感が密接につながった結果、庶民に受け入れられたものと思われる。


 その中から、くだらなすぎて思わず吹き出してしまう一篇を紹介したい。

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 三人の比丘尼(びくに=尼僧のこと)が、道ばたに馬のいるところを通りかかった。馬が一物を勃起させていたのを、比丘尼たちは横目で見て、何もなかったような顔をして通り過ぎたが、先頭を歩いていた比丘尼がガマンできずにいった。
「今の物は、それは見事な物だった。さあ、めいめいで名前を付けよう」
 あとの二人の比丘尼も「さてもさても、よく気がつかれました。まずはまずは、あなたから名を付けて下さい」といった。

馬のアソコにあだ名をつけて遊ぶ、江戸時代の尼僧たちの画像はこちら >>
 

「それでは私がいいだしたことなので、私から付けようと思うが、よいかどうかは知らない」といって、「九献(くこん)」と付けた。
「その理由は」と二人が尋ねると、「酒は昼飲んでもよる飲んでも、飲むだけで心が明るくなって楽しい。さらに三三九度といって、飲む盃の数が決まっていて、九度が正式である。それ以上は相手の“気根”次第。これほどよい名はあるまい」。

 二番目の比丘尼は「梅法師(梅干し)」と付けた。

「その理由は」と問われると、「見るたびにつばがたまります」という。
 最後の比丘尼は「鼻毛抜き」と付けた。「なぜだ」というと、「抜くたびに涙が落ちます」と答えた。

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 まさか馬の一物で大喜利をしてしまうとは……江戸時代の人々のユーモアセンスはやはりレベルが高いようだ。

〈『エロい昔ばなし研究 『古事記』から『完全なる結婚』まで』より構成〉