遊女は多くの男に身を任す境遇だけに、客の男と恋愛関係になったとき、自分の真情を述べても、なかなか信じてもらえない。そんなとき、遊女は小指の先端を切断して男に渡し、信実を伝えたという。いわゆる、指切りである。
吉原について書いた本はしばしば指切りに言及しているが、史料的な証拠はいっさいない。つまり、過去の吉原に関する本からの孫引きを繰り返していることになろう。
常識で考えてみよう。
もし、あなたがフーゾク嬢と恋愛関係になったとしよう。感情の行き違いから喧嘩になったとき、彼女が自分の信実を示すため、包丁で小指の先端を切断しようとしたら、あなたはそれを認めるだろうか。
あなたは絶対に止めるはずである。本当に愛していれば、女が傷物になるなど耐えられないはずではなかろうか。
図1は、遊女がまさに指切りをしようとしているところ。絵だけ見ると、たしかにリアルである。
「ついでに、この血で出来合いの起請を2、3枚、書いておきんしょう」
と、のんきなことを述べている。
つまり、場面そのものが、おふざけなのである。
では、戯作などにはどう描かれているであろうか。■戯作にみる遊女の小細工
戯作『青楼五雁金』(天明8年)では、豆を踏んで中身が飛び出した皮に、雀の血を絞って入れ、遊女が男の目の前で指を切ったように見せかける。
戯作『夜半の茶漬』(天明8年)では、遊女が小指に巻き付けた紙をすっと抜いて見せ、指切りを演じる。
戯作『契情実之巻』(寛政年間)では、男に信じてもらえない遊女が、
「そんなら、お気の休まるように」
と、小刀を取り出して左の小指を切断しようとする。
そこを、男が女の手首を取って押さえて、
「こりゃ、早まるめい。もう、心中、見届けた」
と、直前になって制止する。
戯作『損者三友』(寛政10年)では、幇間が客を前に、遊女の指切りの話をする。
ある遊女が剃刀で指を切断したところ、勢い余って飛んで見えなくなった。しばらくして、幇間が蒲鉾を火鉢で焼き、食べようとするとガシッと骨がある。なんと、さきほど見えなくなった遊女の小指だった、と。
もちろん、幇間の冗談である。
さらに、歌舞伎『三人吉三廓初買』(河竹黙阿弥作、安政7年初演)に、遊女の一重が、武兵衛の前で指切りをしようとする場面がある。
「それほどまで私の心を疑っていやしゃんすなら、ようござんす。確かな心中、お目にかけましょう」
と、そばの鏡台の引出しから剃刀を取り出し、煙草箱に小指をのせた。
「こりゃあ、てめえ、どうするのだ」
「私が心の一筋を、お目にかけるのでござんす」
「そんなことで指は切れねえ。しらじらしい野暮をするな」
武兵衛は一重の手から剃刀をもぎ取った。
以上、見てきたように、女が自分の信実を示すために指を切り、男がそれで満足したなど、とうてい信じられない。吉原の遊女と客であれ、現代の男女であれ、人間心理に変わりはないからである。
もちろん、狂乱状態になった遊女が指切りをした事例はあったかもしれない。しかし、事例があったのと慣習があったのとは別物である。
遊女の指切りは、一種の吉原伝説と言ってよかろう。