日本人が生涯で15人に1人発症するという急性虫垂炎(以下、虫垂炎)。一般的には「盲腸」と呼ばれ、とても身近な疾患だが、7~9月の夏場にかけて患者が急増するのが特徴だという。

虫垂炎の発症メカニズムや治療法について、江田クリニックの江田証院長は以下のように語る。

「盲腸とは、小腸と大腸のつなぎめにある袋状の部分を指します。その盲腸から飛び出している5センチほどの管状の部位が『虫垂』という器官です」(江田氏)

「盲腸」と呼ばれることも多い虫垂炎だが、厳密に言えば盲腸と虫垂は別の器官なのだ。そして、虫垂炎の主な原因となるのは“糞石”という物質である。

「糞石とは、便として排出されるはずだったものが石のように硬くなったもののことです。この糞石が虫垂の中に詰まると、その先が閉塞状態となってしまい、雑菌が繁殖し、炎症を起こしてしまいます。

それが虫垂炎です。文豪・夏目漱石は学生時代に虫垂炎を患い、試験が受けられずに落第したというエピソードが残っているほど、昔から見られる疾患です」(同)

 虫垂炎患者の年齢別ピークは10~20代といわれているが、実際は年齢や性別に関係なく発症する可能性があるという。特に夏場は虫垂炎を患う人が増加する、と江田氏は指摘する。

「虫垂炎の発症と季節の関係性を明らかにしたデータが存在しており、特に8月は虫垂炎の症例が多いことが判明しています【※1】。夏は細菌が繁殖しやすく、虫垂の壁が炎症で腫れ、管の部分を閉塞させることが虫垂炎の一因になっていると考えられています。ただ、さまざまな要因が重なって発症するので、虫垂炎の原因はひとつではありません」(同)

 夏に虫垂炎患者が増えることは、日本だけでなく世界各国で通説になっているという。

虫垂炎は季節とのかかわりが深い疾患のようだ。

胃腸炎と誤診されやすい虫垂炎の症状

 実際に虫垂炎になると、さまざまな症状が表れる。代表的なものは“腹痛”や“嘔吐”だが、ただお腹が痛いというものではないという。

「虫垂炎の初期は、みぞおちの痛みや強い吐き気を感じます。そして、時間の経過とともに痛みが右の下腹部に移動していくのが典型的な症状ですね。悪化すると、右下腹部にある“マックバーネー点”という部分がピンポイントで痛むようになるのも特徴です。

ただ、初期は胃腸炎の症状とよく似ているので、医療機関に行っても『胃腸炎』と誤診されることが少なくありません」(同)

 初期に「胃腸炎」と診断されても、右下腹部に痛みが移動した場合は虫垂炎の疑いが濃厚なので再度医療機関を受診してほしい、と江田氏は強調する。

「初期症状だけでは胃腸炎か虫垂炎かの正しい診断をするのが難しいので、医師も『痛みが右下腹部に移動したら、また来てください』と指示するケースが多いです。右下腹部の痛みのほかに、歩くと痛みが響いたり、右足で“ケンケン”をすると強い痛みを感じたりする場合は腹膜に炎症が広がり、虫垂が破れかかっている可能性が高いので、早めに医療機関を受診しましょう」(同)

 虫垂炎が悪化すると、緊急手術が必要な“腹膜炎”という疾患につながる恐れがあるのだ。とても身近な病だが、軽視してはならないのが虫垂炎である。

「虫垂炎には、進行具合に合わせた治療が施されます。近年は、炎症を抑える抗生物質を処方して経過を観察する薬物療法が一般的です。

症状が悪化している場合は命にかかわるので開腹手術や腹腔鏡手術で虫垂を切除しますが、基本的には前者のように“切らない治療”が増えてきていますね」(同)

 原因が特定できないため予防するのは難しいものの、食物繊維を多く摂取している人は虫垂炎になりにくいという報告もあるそうだ。

「野菜や果物を積極的に食べて、食物繊維を多く摂るように心がけましょう」(同)

虫垂を切除すると大腸がんのリスク増も

 読者のなかには、盲腸・虫垂に対して「不要な臓器なので切除してもOK」というイメージを抱いている人も多いかもしれない。しかし、医療の世界ではその常識はすっかり覆されている、と江田氏は話す。

「かつて、虫垂は進化の過程で機能が失われた器官(瘢痕器官)だと考えられていました。そのため、虫垂炎になったら症状の重さに関係なく切除したり、別の疾患で開腹手術をした際に“ついで”に健康な虫垂も切除したり、といったことが長い間行われていたんです」(同)

 しかし、研究が進むにつれて、虫垂には「免疫にかかわる重要な役割」があることが判明したという。虫垂は腸内に悪玉菌が増えた際、善玉菌が避難する場所・セーフホームとしての働きがあることがわかったのだ。

「また、虫垂を切除すると大腸がんのリスクが上がるといわれています。虫垂を切除した後は腸内細菌のバランスが崩れてしまい、免疫に悪影響を与えてしまうようです。特に高齢男性の場合、そうでない人に比べて切除後1年半~3年半は大腸がんの発症リスクが2.1倍になるといわれています。3年半ほどたつと大腸がんリスクに差がなくなるので、なんらかのメカニズムで腸内細菌のバランスが元に戻るのかもしれません」(同)

 時がたてばリスクは下がるとはいえ「虫垂が残っている人は残しておくに越したことはない」と江田氏。実は、手塚治虫の名作『ブラック・ジャック』にも虫垂炎を扱ったエピソードがあり、かのブラック・ジャック先生も健康な虫垂を切除することに反対だったとか。

 同作の「勘当息子」というエピソードでは、ブラック・ジャックが宿泊していた民宿を営む老女のもとに、勘当されたはずの四男坊が医師として帰省し、腹痛を訴えて倒れた老女の緊急手術に立ち会う。

彼の母親が患っていたのは、虫垂炎と症状が似ている“憩室炎”という疾患だった。

「憩室炎の手術中、息子は『いずれ虫垂炎になったら大変だから、切ったほうがいいのでは?』と提案します。しかし、ブラック・ジャックは『虫垂だの農家の四男坊なんてのはやたらに切っちまっていいもんじゃないだろう』と返します。セリフやエピソードはもちろん素晴らしいのですが、連載当時は健康な虫垂も切除していた時代です。作者の手塚治虫先生が一歩進んだ考えを持っていたことが、よくわかる一節でもありますよね」(同)

 ブラック・ジャックの言う通り、私たちの体には無駄な臓器などないのかもしれない。大切な虫垂を守るためにも、早い段階で医師に相談するのが得策のようだ。

(文=真島加代/清談社)

【※1】
「急性虫垂炎の季節性変動」

●「医療法人社団信証会 江田クリニック」

●江田証(えだ・あかし)
自治医科大学大学院医学研究科修了。日本消化器病学会専門医、日本消化器内視鏡専門医。消化器系癌に関連するCDX2遺伝子がピロリ菌感染胃炎で発現していることを世界で初めて米国消化器病学会で発表し、英文誌の巻頭論文として掲載されるなど世界的に活躍。著書多数。