愛知県で開催中の国際芸術祭『あいちトリエンナーレ2019』を巡っての波乱が続いている。犯罪予告の脅迫を含む激しい“電凸”によって中止になった企画展「表現の不自由展・その後」は、検証委員会の中間報告を受けて、大村愛知県知事が「再開を目指す」と語った。

その翌朝、荻生田光一・文部科学大臣は、すでに採択されていた同芸術祭に対する補助金約7800万円の全額を交付しない、と発表した。

「不自由展」中止までに何があったか

 荻生田文科相は、不交付の理由を「申請のあった内容通りの展示会が実現できていない」と述べ、「中身については文化庁はまったく関与しておらず、検閲にはあたらない」としたが、このようなかたちで、一度決まった補助金が取り消される例は聞いたことがない。再開に向けての動きの出鼻をくじくようなタイミングもあり、美術関係者のみならず、表現の自由に関心を持つ人たちは「政府はとうとう一線を踏み越えた」「このままでは表現の萎縮を招く」との危機感をもって受け止め、国に再考を求める署名活動なども始まった。

 まず、事実を整理しておく。

 3月5日に公表された今年度の「文化資源活用推進事業」の募集案内によれば、同事業の目的は次の通り。

<「日本博」の開催を契機として、各地域が誇る様々な文化観光資源を体系的に創成・展開するとともに、国内外への戦略的広報を推進し、文化による「国家ブランディング」の強化、「観光インバウンド」の飛躍的・持続的拡充を図ります>

 単に芸術文化への支援というだけでなく、観光資源となるイベントを補助していく、というものだ。

申請できるのは地方自治体のみ。ちなみに「日本博」とは、東京オリンピック・パラリンピックに関連して、文化・芸術の振興、発信するプロジェクトを言う。

 専門家による審査を経て4月25日、26件の事業(採択額11億3200万円)の採択が決まった。補助金の採択額が7000万円を超える事業は、「『あいちトリエンナーレ』における国際現代美術展開催事業」のほか、札幌市の「パシフィック・ミュージック・フェスティバル(PMF)札幌開催事業」、富山県の「利賀から世界へ・世界から利賀へ~世界的舞台芸術拠点形成事業」、石川県の「いしかわ・金沢 風と緑の楽都音楽祭開催事業」、大阪府の「『大阪文化芸術フェス』事業」、岡山市の「『岡山芸術交流』を核とした文化資源活用推進事業」がある。

 採択が決まると改めて補助金の申請を行い、さらに事業が終了した後に報告書を提出して、最終的な交付額が決まり、交付が行われる。つまり、実際の交付は、事業が終わってからの「後払い」だ。

愛知県は、5月30日に補助金交付申請を行っている。

 その後、「不自由展」中止までの間に、次のような出来事があった。

7月31日

 新聞の朝刊が「不自由展」について報じる。関係者やメディアを招いての内覧会で同芸術祭での詳細な展示内容が公表された。出席予定だった文化庁幹部は欠席した。

8月1日

 あいちトリエンナーレ開幕。

松井一郎大阪市長が、「不自由展」について「にわかに信じがたい!河村市長に確かめてみよう。」とツイートツイッター上では、自民党議員の和田政宗参院議員が「あいちトリエンナーレは文化庁助成事業。しっかりと情報確認を行い、適切な対応をとる」と書き込んだ。

8月2日

 菅義偉官房長官が閣議後の記者会見で「補助金交付の決定にあたっては、事実関係を確認、精査して適切に対応したい」と発言。柴山昌彦文科相(当時)も、「展覧会についての具体的な内容が判明をし、実施計画書の企画内容や本事業の目的等と照らし合わせて、確認すべき点が見受けられることから、補助金交付の決定にあたっては、そうした事実関係を確認した上で、適切に対応していきたい」と、同趣旨の発言をしている。

 正午前に河村たかし・名古屋市長が「不自由展」を視察。

その場で多くの報道陣を前に「どう考えても日本人の、国民の心を踏みにじるもの」などと語った。

 また、一部の自民党議員らが「不自由展」について「政治的プロパガンダ」「公金を投じるべきではない」などとする声明を発したり、首相官邸で西村康稔官房副長官と面会したりした。西村氏は「自民党愛知県議団を中心に対応を始めている」と応じた、と報じられている。

 この日に「ガソリン携行缶を持ってお邪魔する」と、京都アニメーションへの放火事件を彷彿とさせる脅迫FAXがあり、あいちトリエンナーレ実行委員会の委員長でもある大村知事が津田大介・芸術監督に対して、中止を提案した。

8月3日

 大村知事が、安全面の配慮からこの日限りで「不自由展」を中止すると決定し、発表した。

「文化芸術基本法」の理念は


 この経緯を見ると、「不自由展」中止が決まる以前に、官邸を含め、政府は補助金交付の見直しに向けて動き始めたことがうかがえる。

 今回、荻生田文科相は不交付の理由について、「文化庁に申請があった内容通りの展示会が実現できてない」と述べた。柴山氏の初期の発言を聞くと、こういう理由で不交付にするのは、政府として当初からの方針だったのではないか。

 ただ、このような理由での全額不交付は、無理があると思う。

 なぜなら、補助金が採択されたあいちトリエンナーレ「国際現代美術展」には66のアーティストやグループが参加しており、「不自由展」はそのひとつにすぎないからだ。「不自由展」やその中止に抗議して自ら展示を取りやめた一部海外作家の作品を除き、他の展示やイベントは予定通りに行われている。

 検証委員会の中間報告でも、「情の時代」というテーマ設定やアートとジャーナリズムの融合などは先進的な取り組みであり、「芸術祭全体としては成功している」と高く評価している。

来場者数も、開幕から53日目となる9月23日までに43万8953人となり、前回2016年の同時期の37万2240人を大きく超えた。

 展示中止となった企画展の分を減額するというならまだしも、全額不交付というのは、いかにもやり過ぎだ。

 しかも、文化庁の補助金審査などに関わった経験のある複数の専門家によると、多くのアーティストが関わる大規模なイベントの場合、出展作家や作品は、申請の時点で詳細が固まっていないことが多く、詳細を書かないのが普通。書かれていてもその通りに実施されないことは珍しくない、という。

 たとえば、20年ほどそうした審査に関わっている専門家の話。

「申請書と実施の内容に変更があるのはごく普通。参加アーティストや一つひとつの企画展の変更は、芸術祭をひとつの演劇とたとえると、キャスト変更のようなものです。事後的に、実施状況が申請書と変更がないかチェックして違いがあったら許さないというようなことをしたら、多くの催しの補助金は通らなくなる。変更があっても、通常は(申請者と文化庁が)互いに相談しながら対応していく。今回は、通常とは異なるパワーが働いているとしか思えない」

 今回の審査にも関わった別の専門家人もこう語る。

「後に変更になる場合もあり、作業が膨大になることから、申請時に詳細なものを出すことを前提にしていない。後出しじゃんけんのように、後から『この展示について詳細が書いていなかった』などと言い出せば、多くの催しが引っかかるだけではなく、その中から政府が気に入らないものは、なんでもつぶせてしまう。あいちトリエンナーレだけを対象にするのは、見せしめではないか」

 そのうえで、「今回の政府の対応は、文化庁が所管する文化芸術基本法に反している」と批判する。

 同法は、文化芸術に関する施策の理念と方向性を明らかにし、施策を総合的かつ計画的に推進するために2001年に制定された。2017年の改正の際には、前文に「文化芸術の礎たる表現の自由の重要性を深く認識し」という一節が、わざわざ書き込まれた。その趣旨に反するのではないか、という指摘だ。

 また、萩生田文科相は不交付を明らかにしたぶら下がり会見で、次のようにも述べた。

「愛知県側では4月の段階で、会場が混乱するのではと警察当局と相談していたらしいが、文化庁にはその内容が来ていなかった。少なくとも各方面に相談した段階で申請先の文化庁にも相談すべきだったのではないか」

「相談をされれば、運営方法などを一緒に協力することもできたかもしれません」

 これに対して、大村知事は同月29日のAbemaTVに出演して「そのような事実はない」と反論している。

「県の事務方が知ったのは5月のことで、通常の芸術祭のための警備等々の相談も常にあった。問題になった少女像について私が知ったのは6月で、直ちに津田芸術監督を通じ『これはなんとかならないか。写真、SNSの投稿は禁止できないか』と申し上げた。ただ、愛知県知事である私は公権力者。その私が会期前に『内容に色々問題があるから止めろ』と言えば、まさに検閲になってしまうので、強い要望、希望は申し上げたが、それ以上は『なんとか警備を』ということで協議をした」

 昭和天皇関係の映像については、知事や事務方は開幕前には知らなかった。トリエンナーレの複数の関係者によれば、文化庁の問い合わせには、同庁にスタッフが赴くなどして説明してきた、という。

「我々は手順、手続きはしっかりと踏んできたと思っている」と大村知事は強調する。萩生田文科相は、事実を十分把握しないまま、全額不交付にゴーサインを出したのではないか。

「不自由展」中止が各地に与える影響


 検証委員会が中間報告を行い、大村知事が再開を目指すと明らかにした翌朝に不交付が明らかになった、というタイミングにも、意図的なものを感じざるを得ない。補助金の申請手続きを塩漬けにしておいて様子見をしていたが、再開する気なら全額不交付だ、という政府の意思が伝わってくる。手続き上の問題という説明は建前で、政府の価値観や主張と異なる展示をすることへの懲罰と受け止められても仕方がないだろう。

 検証委員会の中間報告は、「情の時代」というテーマ設定やアートとジャーナリズムの融合などの先進的な取り組みで、「芸術祭全体としては成功している」と評価。「不自由展」に企画としての趣旨は「妥当」とし、特に批判を浴びた少女像や昭和天皇の写真を含むコラージュ作品が燃やされている場面がある映像作品についても「展示すること自体に問題はない」と判断した。

 ただし、狭い場所に多くの作品を詰め込みすぎ、展示の場所や説明に難があり、予算と準備時間の不足から、説明役のガイドツアーをつけるといった工夫もないなど、「見せ方」について多くの問題を指摘。「不自由展」が中止になったのは「やむなし」としながら、電凸対策や「見せ方」の工夫などを行い次第、「すみやかに再開すべき」と提言した。

 検証委が特に気に掛けたのは、「不自由展」中止問題が、今後の全国各地で行われる芸術祭や美術館での企画展に与える影響だ。

 中止が決定されると、同トリエンナーレに出展している海外の作家たちが抗議声明を発表したり、自身の作品展示を取りやめたり、内容を変更する人たちも出た。日本国内では「安全上の配慮」という大村知事の説明が、さほど違和感なく受け止められていると思われるが、海外作家たちは中止を行政による「検閲」とみなしている。

 そのうえ、今回の補助金不交付問題。検証委員会の委員の一人で、世界の美術館や芸術祭事情に詳しい岩渕潤子氏は、次のように懸念を吐露する。

「ただでさえ展示一部閉鎖が再開できるかどうか、世界のアーティスト、メディアが注目するなか、国の助成機関が補助金を撤回したというニュースは、日本という国のイメージを著しく損なうでしょう。海外での『平和の少女像』設置に一部日本人が行った反対キャンペーンはことごとく失敗し、かえって日本のイメージを傷つける結果となっています。今回の補助金問題で、同じようなことが、より深刻なレベルで起こる可能性があります。『日本は自由な芸術表現のできる国ではない』と受け止め、日本での芸術祭などに招待されてもボイコットする、もしくは、『日本の芸術家と連帯するために権力による検閲行為を糾弾する』企画をわざわざ持ち込む。そういった、世界の全体主義国家で起きているような動きが日本においても加速するのではないでしょうか。今回のことで、日本は表現に関しては『先進国ではない』という認識が世界中に瞬く間に広がってしまうことが懸念されます」

 岩渕氏によれば、海外の国際的なイベントで、国家の介入などが原因で敬遠されるようになった例もある。

「しばらく前にシンガポールで国際映画祭が始まり、英語が通じる金融都市ということで期待が集まったものの、政府があまり口を出すので映画関係者からそっぽを向かれ、結局、アジアの映画のハブは香港と釜山で落ち着きました」(同)

 今後、日本の各地で行われる芸術祭や美術展はどうなるだろう。「国内外への戦略的広報を推進し、文化による『国家ブランディング』の強化」を図る目的の補助金をめぐって、日本の文化的なマイナスイメージが対外的に広がるのは、政府としても本意ではあるまい。

 補助金交付について、再考を強く求めたい。
(文=江川紹子/ジャーナリスト)

●江川紹子(えがわ・しょうこ)
東京都出身。神奈川新聞社会部記者を経て、フリーランスに。著書に『魂の虜囚 オウム事件はなぜ起きたか』『人を助ける仕事』『勇気ってなんだろう』ほか。『「歴史認識」とは何か – 対立の構図を超えて』(著者・大沼保昭)では聞き手を務めている。クラシック音楽への造詣も深い。 江川紹子ジャーナル www.egawashoko.com、twitter:amneris84、Facebook:shokoeg