「ディープステート(Deep State)」という言葉をよく目にするようになった。「国家内国家」「闇の国家」などと訳される。

「国家の内部に潜む、国家に従わない官僚集団」という意味だ。

 この言葉がよく使われるきっかけをつくったのは、アメリカのトランプ米大統領だ。公の場で口にしたのは2018年8月、共和党の夕食会が初めてとされるが、その後、しだいに使用頻度が増えてきた。

 たとえば今年11月1日、米南部ミシシッピ州トゥペロの選挙集会で、来年の大統領選で再選を目指すトランプ氏は「民主党とメディアとディープステートが我々を止めようとしている」と、米下院が「ウクライナ疑惑」をめぐって進める弾劾調査を批判した。トランプ氏の支持者である保守派層も盛んにこの言葉を使い、トランプ氏がディープステートの標的になっていると主張する。

 ディープステートについてはこれまで、「いかがわしい陰謀論の産物で、実際には存在しない」という見方をされてきた。

ところが最近、米国の権威ある新聞ニューヨーク・タイムズがディープステートの存在をほとんど認める記事を掲載し、話題となっている。記事は10月23日付で、『トランプの「ディープステート」に対する戦争は不利な状況』というタイトル。ピーター・ベーカー記者ら5人の共同執筆となっている。

 同紙といえば、リベラル路線で知られ、トランプ氏やその支持者層の保守派とは対立する立場にある。その同紙がディープステートの存在を認めたとすれば、これは驚きだ。

 記事は、トランプ氏支持者や保守派と違い、ディープステートの存在を非難しているわけではない。

トランプ氏に対する同紙の批判的な見方を変えたわけでもない。しかしウクライナ疑惑について、中央政界での経験のないアウトサイダーであるトランプ大統領と、政府のインサイダーである官僚との暗闘として描いている。

 たとえばサブタイトルで「弾劾調査はいくつかの点で、大統領と、彼が信用せず非難する政府組織との闘いの山場である」と記す。本文でも「トランプ氏が民主党への捜査をウクライナに求めようとしたことへの下院での弾劾調査は、公務経験のない大統領と、彼が引き継いだものの決して信用しなかった政府との33カ月に及ぶ激戦のクライマックスである」と書く。これらの表現で示されているのは、保守派が主張してきたトランプ氏とディープステートの対立の構図ほとんどそのままである。

トランプは戦争リスクを抑制しようとしていた

 トランプ大統領と官僚との闘いとは、具体的にはどのようなものだったのだろうか。

高級官僚は下院の調査に答え、政府がトランプ氏の「やんちゃな外交運営」の策略にはまったと述べた。政府内部で知ったことに警戒感を覚え、トランプ氏の目的を妨げようと、命令に従うのをわざと遅らせたり、大統領に情報を上げなかったり、記者や味方の議員に情報をリークし、介入させたりした官僚もいたという。

 ニューヨーク・タイムズは、こうした高級官僚の行動を批判しない。けれども官僚の仕事とは本来、国民に選挙で選ばれた大統領の指示を忠実に遂行することのはずだ。逆に大統領の政策を批判したり妨害したりするとは、まさに「国家に従わない官僚集団」というディープステートの定義そのままである。

 百歩譲って、トランプ大統領の外交政策が米国や世界の安全を危うくするものであれば、それに従わないことは道徳的に正しい行為として認められるかもしれない。

しかし、実際はどうか。

 トランプ氏はロシアと友好関係を取り戻そうとした。これに対し情報機関や軍、国務省などのディープステートは猛反対した。トランプ氏はアフガニスタン駐留米軍を撤退させようとした。一方、ディープステートは強く抵抗した。トランプ氏はシリア内戦における米国の役割を過激派組織「イスラム国(IS)」の打倒に絞ろうとした。

これに対しディープステートはアサド政権を転覆するよう主張した。

 いずれのケースもトランプ氏が軍の利用を抑制し、戦争のリスクを最小限に抑えようとしたのに対し、ディープステートはむしろ戦争を誘発・拡大させようとしている。ディープステートが米国の軍事産業と利権を通じて密接に結びついていることと無縁ではないだろう。米国や世界の安全を危うくしているのはトランプ氏ではなくディープステートの側であり、トランプ氏の外交方針に抵抗する正当な理由は認められない。

 ところが米欧の主流メディアはディープステートの側につき、トランプ氏を攻撃する。トランプ氏の選挙陣営が2016年の大統領選でロシアと共謀したとされるロシア疑惑をめぐっては、政府内からリークされたとみられる真偽不明の情報に基づき、トランプ氏を一方的に有罪と決めつけ、非難した。

結局、モラー特別検察官による捜査にもかかわらず、共謀は立証されなかった。

メディアが情報源である高級官僚と事実上一体化

 今年10月、トルコがシリア北部で大規模な軍事演習を行うとの方針を受けて、トランプ大統領がこの地域から米軍の撤退を開始したことに対し、米主流メディアは「無責任」と批判した。英経済紙フィナンシャル・タイムズに至っては10月25日、ディープステートを開き直って擁護する論説を掲載した。

 題名は『米国のディープステートを称賛すべき理由』。高級官僚がいなければ米政府は機能しないと述べ、「彼らの仕事は称賛されないけれども、大きな価値を提供している」と官僚が聞いたら大喜びするような言葉を連ねている。日本の主流メディアも、トランプ氏と官僚組織との対立に関する報道姿勢は、米欧メディアと大差ない。トランプ氏を非難さえしておけばよいという論調だ。

 もちろん、トランプ氏がいつも正しいわけではない。大統領も誤りを犯したり不正を働いたりすることはある。しかしディープステートとの大きな違いは、責任の問われ方だ。トランプ大統領は現に、ウクライナ疑惑をめぐって弾劾の危機に立ち、世論の非難を浴びている。しかし高級官僚の判断ミスや不正はめったに表沙汰にならず、その責任を問われ公務員の職を追われることもない。国民にとってどちらがより危険な存在かは明らかだろう。

 主流メディアは常日頃、民主主義を守れと叫ぶ。ところがトランプ氏とディープステートの対立になると、いつもの主張とは裏腹に、国民から選ばれていないディープステートの側に立ち、選ばれた大統領を攻撃する。これはメディアが情報源である高級官僚と事実上一体化し、既得権益を脅かすアウトサイダーを排除しようとする動きに見える。権力を監視するメディアの役割を放棄し、みずから権力のゲームに加担する姿は堕落としか言いようがない。

(文=経済ジャーナリスト/木村貴)