日本の恥さらし・東京五輪組織委 能力・資質・熱意のなさが、デザイン問題連発の元凶

 2020年の東京五輪・パラリンピックをめぐり、新国立競技場のデザイン、さらに公式エンブレムのデザインが相次いで白紙撤回となりました。漫画家の江川達也氏がたいそうお怒りです(9月11日付メディアゴン記事『「東京クズリンピック」の関係者はみんなやめろ!と叫びたい。』)。相次いだデザイン・コンペ失敗での損失もあり、日本はまた世界に醜態を晒したわけで、お怒りはごもっともですが、何が問題であったのかを明らかにしておくことが、今後のためにも必要ではないかと感じます。

 今回2つのコンペがいずれも失敗してしまった原因として共通しているのは、選考方法やその後のプロジェクト運営の拙速さです。いわゆる仕切りが甘すぎたこと、またリスクへの感覚があまりにも鈍く、リスク回避の対策、さらに問題が発生した際の意思決定の遅れでした。

 ザハ・ハディド氏がデザインした新国立競技場の当初案での建設は、技術的な困難が予想されていたにもかかわらず、度重なる見積りの修正でどこまで建設費が膨れ上がるのか予想がつかなくなり、ネットをはじめマスコミ、世論の反感が広がっていきました。

 安保法制成立を目指した国会審議が行われている微妙なタイミングで、支持率が低下し始めたことへの危機感もあったのか、安倍晋三首相の政治判断で当初案の白紙撤回という異例の事態となりました。白紙撤回が決まった際に東京五輪組織委員長の森喜朗会長が吐いて捨てるように漏らした「国が、たった2500億円も出せなかったのかね」という言葉に、このプロジェクトの性格が凝縮されているように感じた人も少なくないはずです。

 そして追い打ちをかけるように、公式エンブレム・デザイン問題が発生しました。

●選ぶ側の資質や能力が、結果を左右する

 まず新国立競技場に関しては、予算に合わせた建築ができないデザインをなぜ選んでしまったのか、そしてなぜ予算が膨れ上がった時点で軌道修正できなかったのかが問われています。エンブレムに関しても、それが盗用したものかどうか以前に、類似デザインが予想されるものをわざわざ選んでしまったわけで、選考そのものに問題があったといわざるを得ません。

 選択する側に、アイデアを評価し選択する資質や能力がなければ、いいアイデアは採用されず価値のないアイデアが選ばれるのは、ビジネスの世界でもよくある問題です。特に成熟し、衰退に向かい始めた産業ほど、この病は根深くなってきます。

 今回の白紙撤回というプロジェクト破綻で最も問われるべきは、デザインを選んだ側、組織委の資質や能力なのです。

●理念やビジョンがないために起こった必然的迷走

 今回の相次いだ迷走の要因は、ひとつはコンペを開催した側の人たちにも、デザイン選考に携わった人にも、どのような五輪にしたいかという理念やビジョンがなかったこと、さらにプロジェクトをマネジメントする能力が不足していたことだったように思います。

 新国立競技場のデザイン案は、環境との調和をどう図るのか、また開催後にも残る遺産として、どのような存在であるべきかが問われていたはずでした。

 しかし、収容人員や屋根を付けるなどの物理的条件と予算だけでコンペが開催されたのです。そして背景となるテーマも、コンセプトがないままコンペが実施され、結局は唐突に出てきた「躍動感」という感覚的評価で決定してしまいました。まるで、奇をてらい、莫大な費用をかけて目立つことを競い合う、途上国の建築計画を見るようでした。ザハ案は、デザインコンペの審査委員長を務めた建築家・安藤忠雄氏がかかわっている「緑の東京募金」、また「海の森」ともまったく整合性もなく、むしろ緑を犠牲にするデザインで、最初からザハ案ありきだったのかもしれません。

 そして、佐野研二郎氏のエンブレム・デザインです。なにも伝わってくるものがありません。今日のグローバルな時代、コンピュータグラフィックスでいくらでも案を展開できる時代のなかで類似を避け、独自性やオリジナリティを追求する時代のデザインではありません。たとえ選考したグラフィック・デザイナーの人びとにその「カタチ」が評価されたとしても、広く人びとに共感され、なんらかのハートを感じてもらうデザインでなければ、シンボルの役割を果たしません。

 よく「シンプルなデザインは似る傾向がある」ということがまことしやかにいわれていますが、カタチのシンプルさよりも、コンセプトのシンプルさを追求するのが今日的なデザインです。佐野氏のデザインは、いろいろ理屈は述べられたとしても、肝心のコンセプトが欠けた単純な図形を組み合わせただけの、一昔前を感じさせるデザインでした。

 前回1964年の東京五輪で採用された亀倉雄策氏のデザインは、佐野氏のように苦しい説明をするまでもなく、初めて日本で開催する五輪、経済復興に成功した日本を見てもらいたいといった想いが伝わってくるものでした。

 新国立競技場にしても、エンブレムにしても、いずれも組織委の側に東京五輪をどうアピールしたいかという想いがなかったゆえ、デザイン選考に評価の軸もなく、恣意的な好みに任され、選考される結果となってしまったのです。

 70年に開催された大阪万博でも、シンボルマークのデザインやり直しがありました。指名コンペで案を募りデザインを決定したのですが、元経団連会長で当時の日本万国博覧会協会会長だった石坂泰三氏が、「これでは日本が世界の上にあぐらをかいていると受け取られる」「インテリだけがわかるようなものはだめで、大衆性がなければいけない」と、鶴の一声で却下したのです。いかにも独裁的な決定だったのかもしれませんが、その直感は正しかったように思います。今回の東京五輪のデザインも、やはり広く共感を集める魅力に欠けていたのでしょう。その後にネットで広がった不満や嫌悪感が、見事にそれを示しています。

●リスク感覚の欠如が目立つプロジェクト・マネジメント

 デザインの選考メンバー、選考方法も疑問に感じられるものでした。新国立競技場もエンブレムも、偏った人びとだけで選考されてしまっています。そして何がリスクになるのかを読めるプロの目利きがいなかったことは致命的でした。安藤氏はご本人もおっしゃるように、新国立競技場レベルの規模のプロジェクト経験がありません。

 エンブレムも、ほとんどグラフィック・デザイナーだけで選ぶというのは、あまりにも危険すぎます。やはり、類似デザインがありそうかどうか、また広く共感が得られそうかどうかの視点が欠けていました。あの案をひと目みれば、目利きの能力のあるコンサルタントなら決して選ばせないでしょうし、もし候補として選んだとしても、類似チェックを行ってからでないと最終決定はしなかったはずです。

 そしていいと思ったデザイン案にチップを置いていく、いわゆる美人投票を行ってしまったことも、いかにもこういったデザインの選考に関しては素人という感じがします。美人投票では、個性的な案や、アイデアが尖った案は選ばれない可能性が高いのです。また、商標や著作権をクリアできるかどうかはその時点ではわからず、本当は消去法で絞っていくべきなのです。

 しかも最初の案は商標で類似作品があったために、組織委の要請で修正したといいます。これは信じがたいことで、コンペの掟破りです。多くの人が感じているように、こちらも佐野氏ありきだったと疑われても当然です。さらに修正した結果、また類似作品が出てしまうという迷走ぶりでした。

 つまり、佐野氏のデザインが盗用かどうかという問題以前に、組織委を筆頭とした関係者たちにプロジェクトをマネジメントする能力がなかったこと、また誰が責任者なのかもわからない組織の問題が、その背景にあったとしかいいようがありません。

 組織委のマーケティング局長と、エンブレム選考メンバーでもあるクリエイティブ・ディレクターは共に大手広告代理店、電通からの出向です。広告代理店に「おんぶにだっこ」というのも、知恵もセンスもありません。

 マーケティング局長は佐野氏とともに記者会見に臨み、「先方は商標登録していないので問題ない。こちらは7月24日のエンブレム公開と同時に、商標を確保している」と説明していましたが、ベルギーのデザイナーからのクレームはデザインの盗用に対して、つまり著作権問題なので、筋違いの見解でした。つまり何が問題なのかが、わかっていなかったことになります。この時も森会長が「絶対自信がある」と言い切っていましたが、デザインの修正に関して、ご自身も関与されていたことを示唆した格好になりました。

●マスコミがネットを追いかけた

 今回の騒動の特徴は、絶えずネット世論がリードしてきたことです。もちろんネットの性格上、行きすぎた個人攻撃もありましたが、それは佐野氏側が強弁したことで、さらに火に油を注ぐ事態を招いてしまいました。テレビの報道・情報番組などは、まるで井戸端会議か居酒屋談義にすぎない程度のコメントが目立っていたことと対照的で、マスコミがネットの後を追いかける展開が続きました。

 そして、ネット検索を駆使すれば、よくもこれだけ見つけてこられるものだと感心するほど、類似作品を発見する能力の凄さを見せてくれました。

 サントリーのトートバッグのデザインの盗用では、トートバッグで使われたフランスパンの画像が、第三者のブログで使われた写真から無断使用したものだと見つけ出し、エンブレム展開案の羽田空港ロビーの写真までもブログからの無断使用だと特定したのですから驚きです。

 ネットでこれだけ類似作品が見つかると怖くてもうデザインできないという声が、デザイナーのなかからも聞こえてきます。企業やブランドのロゴタイプ、シンボルデザイン開発に携わった経験のある人なら痛いほどわかることですが、あとになって類似したデザインがある事実が発覚するほど怖いことはありません。対処も困難になります。

 デザインを考えてすぐさまチェックできれば、類似作品のある無駄な案を早く捨てることができます。類似デザインの存在が容易に発見できれば、より新しい発想を探すことになり、結果としてこれまでにないデザインも生まれてきます。それゆえ、知的財産が競争を大きく左右する時代には、類似作品をチェックする検索の速度や正確さ、特許などの審査の速度や品質、処理能力が極めて重要です。

 今回の騒動の教訓は、「デザイナーの資質や能力を問う前に、それを選ぶ組織の能力を問え」ということに尽きます。残念だったのは、日本がタイムマシンで時代を遡ったかのように、デザイン立国どころか、デザイン後進国、まるで途上国のように著作権に無頓着な体質に後退し始めていることがわかった点です。こういった退潮には、なんとしても歯止めをかければいけないと心から願うばかりです。
(文=大西宏/ビジネスラボ代表取締役)

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