日曜22時30分から放送されている『フランケンシュタインの恋』(日本テレビ系)は、綾野剛が主演を務めるファンタジーテイストのドラマだ。

 大学で菌の研究をしている津軽継実(二階堂ふみ)は、山奥で120年間生きてきたという謎の怪物(綾野剛)と出会う。

1人で暮らす怪物をかわいそうに思った継実は、怪物を街に連れ出す。

『フランケンシュタイン』(作:メアリー・シェリー)という人造人間の悲劇を描いたゴシックホラーの古典が引用されているが、大きな影響を感じるのは、ティム・バートン監督のファンタジー映画『シザーハンズ』(20世紀フォックス)だろう。

 人里離れた古城で暮らす、両手がハサミの人造人間・エドワード(ジョニー・デップ)が、郊外のニュータウンに連れてこられたことで起きるファンタジックな物語を、日本の地方都市に舞台を移した展開は、美しき異形の怪物を演じる綾野剛との相性の良さもあって、現代のドラマにうまく置き換えられている。CGと現実の風景をうまく融合させたビジュアルも、動く絵本といった感じで素晴らしい。

 脚本は大森寿美男だが、作品のカラーをつくっているのはプロデューサーの河野英裕だろう。

 人気アニメを連続ドラマにリブートした『妖怪人間ベム』(日本テレビ系)のチームが主軸となって制作しているのだが、異形の存在を無垢な子どものように描き、人間ではない存在(怪物)の目を通して「人間とは何かと問うていく」目線は、『Q10』(同)や『泣くな、はらちゃん』(同)などで河野プロデューサーが繰り返し描いてきたものである。


●視聴率急落の裏に視聴者の“生理的嫌悪感”か

 キャスティングと世界観のバランスが良く、甘美なダークファンタジーとして人気を獲得するのは間違いなし。「うまいことやったな」というのが、初見の印象だった。

 しかし、この印象は第1話終盤で覆される。

 怪物は深志研(ふかし・けん)という名前をつけられて、大工の見習いとして働くことになり、街の人々から優しく受け入れられる。

 しかし、継実が大学の同僚・稲庭聖哉(柳楽優弥)に抱きつかれている姿を見た深志は、自分の中にある得体の知れない衝動を抑えられなくなり、身体中から菌糸があふれだす。

 偶然近くにいた継実の姉・晴果(田島ゆみか)は、深志から発生した菌糸に感染し、意識不明の重体に陥ってしまう。
深志は、体内に無数の菌糸を内包しているキノコ人間だったのだ。

 深志の身体から生まれたキラキラした胞子が皮膚に張り付き感染する姿は、きれいに描こうとしてはいるが、生理的嫌悪感を抱かせるものがあり、『シザーハンズ』的なロマンチックな雰囲気に酔っていた視聴者の大半はドン引きしたことだろう。

 2話以降の視聴率の急落を見ていると、菌類の描写の生理的嫌悪感について行けずに脱落した視聴者が多いのではないかと思う。

●『フランケンシュタインの恋』が描く性欲と暴力

 主題歌は昨年、アニメ映画『君の名は。』(東宝)の主題歌『前前前世』がヒットしたRADWIMPSの『棒人間』。

 本来は、線の細いイケメン俳優の綾野剛と繊細な歌声のミュージシャンに怪物の悲哀を表現させて、泣けるドラマに仕上げようと思ったのだろう。


 人間の闇を描こうというつくり手の本気度が行き過ぎたのか、想像以上に気持ち悪い話になってしまったのは計算ミスかもしれない。だが、この気持ち悪さは嫌いではない。

 それにしても、なぜキノコなのだろうか。劇中ではいろいろと疑似科学的な設定が語られるが、首から小さなキノコが生えてくるのに戸惑ったり、繰り返し描かれる、深志が寝ていた布団にキノコがびっしり生えていたりする場面を見ていると、「ずいぶん、性的なメタファー(暗喩)に満ちた話だなぁ」と感じる。

 フロイト的な精神分析を評論に持ち込むのは好きではないが、「キノコ」「棒人間」といったメタファーが表しているのは男性器で間違いないだろう。おそらく、描こうとしているのは男の性欲から生まれる暴力だ。


 男の内なる暴力の問題を、本作では「人間を殺すかもしれない怪物は、人間に恋をしてはいけないのでしょうか?」という問いかけによって表現している。 見ていて連想してしまうのは、定期的に起きるストーカー殺人だ。

 つい最近も、男子高校生が恋人の女子高校生を殺してしまった事件が報道されたが、本作の3話でも、彼女に暴力を振るうDV男が登場し、「人を殺してしまうかもしれない」と苦悩する怪物・深志と対比して描かれていた。

『シザーハンズ』では、手がハサミで他人とスキンシップがとれない主人公が、ハサミの手でヘアカットをしたり氷の彫刻をつくったりすることで、人々から受け入れられようとした。

 深志の身体から生まれるキノコも、毒にも薬にもなるという両義的な描かれ方をしている。最終的には、脳の血管がいつ破裂してもおかしくない病気を抱えている継実の命を助けて、大団円のような結末に向かうのだろう。


 もっとオブラートに包んだ話にすることもできたであろうが、男の性欲というドロドロとした気持ち悪い欲望を、寓話というかたちで見据えようとする本作の姿勢は強く支持したい。

 不快で気持ち悪い表現だからこそ、切実に響くこともあるのだ。
(文=成馬零一/ライター、ドラマ評論家)