8月12日から15日まで徳島市で開催された阿波踊り。イベントの目玉である総踊りが正式には中止となったが、これに反発した「阿波おどり振興協会」が8月13日の夜に、正規の会場外で自主的に総踊りを敢行した。



 紆余曲折の開催となった経緯もあって、今年の来場者数は昨年より1割も減ってしまったという。総踊りの中止を先導した徳島市の遠藤彰良市長は苦しい立場に立たされた。遠藤市長が阿波踊りの開催方法を変更しようとした経緯、それによる迷走と人気の凋落を見ると、私には東京都の小池百合子都知事の姿と重なって見えて仕方がない。

●既成勢力との対峙を掲げ新人で初当選

 2016年3月に行われた徳島市長選に立候補した遠藤氏は、それまでは四国放送のアナウンサーをしていた。特定の政党に属してもいないし、政治的な経験もなかった。一方、現職の原秀樹氏はおおさか維新の会(当時)の推薦を受けて4選目を目指した。
ところが無所属新人の遠藤氏が4万1073票で当選、原氏は2万4214票で落選という審判が下った。しかも“反・原市長”を掲げた立石かずひこ氏が2万8671票を獲得して2位となった。つまり、3期続いた現職市長の既成勢力に嫌気をさした市民が、外部から来た清新な候補に期待した、という構図である。

 遠藤氏が立候補に当たり掲げた最大の公約は、新町西地区再開発事業の白紙撤回というものだった。これは前職の原氏によって推進されていたが、なんらかの理由でこのプロジェクトに賛同できなかった市民は、遠藤氏に投票したものと推定できる。当然ながら新市長は刷新勢力として期待され、その人気は当初高かったに違いない。


 一方、小池知事の場合はどうだったか。

 前職が長きにわたって職にあるという閉塞状況ではなかったが、前々職の猪瀬直樹氏はわずか1年、前職の舛添要一氏も在任2年でいずれもスキャンダルを契機として騒がしく辞任してしまっていた。

 小池氏は中央政界から都政へのいわば天下り的な登場だったが、自民党と公明党推薦の増田寛也氏、野党各党の推薦を受けた鳥越俊太郎氏を大きく引き離してトップ当選を果たした。小池氏はやがて希望の党を組成し、一時は東京都にとどまらない大きな影響力を手にしようという勢いだった。

 当時の都知事選を振り返ると、小池氏は東京都議会自民党という既存勢力を仮想敵として掲げ、わかりやすい対立軸を選挙民に対して示した。投票する側は「既存勢力-利権の可能性」という証明されていなかった構図を感じ、それを忌避して雪崩をうって「都民ファースト」を標榜した“小池教祖”支持へと走ったのである。


●大量得票で自信、改革を掲げる

 遠藤市長も小池知事もその当選は奇しくも同じ年、2016年である(遠藤市長は4月、小池知事は8月)。

 小池知事はマスコミへの露出が多いので、私たちの記憶に残っているのだが、大勝した小池知事は「都政刷新」を掲げて、その改革の象徴として選んだのが築地市場移転問題だった。16年8月31日の記者会見で、同年11月7日に予定していた築地市場(中央区)の豊洲市場(江東区)への移転延期を表明したのである。

 遠藤市長にとっての「築地市場」は、「新町西地区第一種市街地再開発事業」だった。原前市長が進めていた本事業の総事業費は約225億円で、文化活動などに用いる新ホールの建設が中核だった。

 その計画の撤回を公約に掲げて当選した遠藤市長は16年6月、地権者に対する権利変換計画の不認可を通知した。
これを不服とした再開発組合は同年8月26日、徳島地方裁判所に「徳島市による権利変換計画の不認可処分は違法である」として不認可処分取り消しと、計画認可の義務付けを求めて遠藤市長を提訴した。一審で市側が勝訴したが、再開発組合が控訴して、現在も訴訟状態である。

 既存勢力を象徴する、選挙民の誰もが漠然と大きな利権が絡んでいるのではないかと感じているプロジェクトを、勢いのある政治家は“改革の目玉”としていわば槍玉にあげる。ポイントを稼ぐということもあろうが、選挙による信任が大きいうちに手がけられる大きな改革を目指すのは政治家の本能でもあるだろう。

 小池知事のターゲットが築地移転問題だったとすれば、遠藤市長の次のターゲットとなったのがそれが徳島市最大の行事、阿波踊りの改革となったわけだ。

●うまく舵をとれない2人の首長

 当選した16年の勢いは、東京でも徳島でも失速した。


 小池知事の勢いが止まったのは、17年10月の衆院総選挙の時だった。同年9月29日の会見で希望の党代表として会見し、他党からの移籍者を「排除する」と発言してしまった。この発言を契機としてすっかりそのカリスマを失ってしまった小池知事は、足元の東京都政でも「決断できない」「迷走している」などと批判されるようになった。

 小池知事が改革の目玉プロジェクトとして、その移転を延期していた築地市場問題も、結局18年10月の豊洲移転が決定され、「過去の小池知事の決定はなんだったのか」と嘲笑されるに至っている。

 一方、遠藤市長は新町西地区第一種市街地再開発事業の訴訟に足をとられつつ、「敵は本能寺にあり」ということだろうが、阿波踊りの改革に乗り出した。阿波踊りは毎年100万人以上も集める四国でも屈指の観光行事なので、大きな経済効果がある。
金が動くところに利権あり、というのが世間一般の認識だ。

 阿波踊りを主催していたのが徳島新聞と徳島市観光協会だった。市が補助金を出していた市観光協会を監査したところ、累積で4億3000万円の赤字が出ていたという。遠藤市長は市観光協会をどうにかしようと考え、まず協会長の自発的な退任を求めた。ところがその時の面談会話の録音とされる音源がインターネット上にアップされてしまうというスキャンダラスな展開となってしまった。

 18年2月に遠藤市長は、「今年を徳島市の行政改革元年とする」と宣言し、3月に入ると市観光協会を相手にその破産手続きを徳島地裁に申請し、決定された(観光協会は抗告)。

 そして、今回の総踊り中止の決定に至る。

 しかし、遠藤市長が大胆に仕掛けたこの決定は、大方で不評な結果となった。私も本連載8月14日付記事『阿波踊り、遠藤市長の間違った判断でブランド毀損…来場者激減→巨額の経済的損失か』で、「経済的損失は24億円強か」と推定した。

●火中の栗を拾おうとして窮地か、どうする遠藤市長

 阿波踊り期間中、そしてその後現在に至るまで、メディアでの取り上げ方をみると遠藤市長は分が悪いが、無理もない。四国だけでなく日本にとっても大きな夏の行事、国民的行事ともいえる阿波踊りに水を差した結果、そのブランドを毀損したとみることができる。私も、遠藤市長は改革の功を急いで墓穴を掘ってしまったという感を持たざるを得ない。ここ数日テレビ番組に出演する様子や、隠し撮りされたとされるテープで観光協会長を一生懸命に説得しようとする言葉から、遠藤市長は理想家なのだろうという好印象を私は持つに至っている。

 しかし、この苦境、難しい政局を遠藤市長はどのように乗り切ろうとしているのだろうか。あるいは、旧来の大きな波に飲み込まれて小池知事のように光を失っていくのだろうか。

 阿波踊り、そして総踊りは廃れることはないのだろう。地方都市の政治の動きとは離れて、自生していく生き物のようなお化け行事として私たち日本人の中にあるし、日本の夏から外せない風景となっているからだ。
(文=山田修/ビジネス評論家、経営コンサルタント)