日経平均株価が史上最高値の3万8915円を記録したのは、1989年(平成元年)12月29日のことだ。しかし、その後バブルは崩壊、日本経済は「失われた20年」とも「30年」とも言われる長期不況に陥る。
平成の30年間について、東京商工リサーチ情報本部経済研究室の関雅史課長は「『銀行、上場企業、老舗企業は倒産しない』という神話が崩壊した時代でもあった」と回想する。平成の企業倒産について、上場企業を中心に関氏に話を聞いた。
●平成最大の倒産劇は2001年のマイカル
――「平成」もそろそろ終わりを迎えますが、企業経営にとってはどのような時代だったのでしょうか。
関雅史氏(以下、関氏) 平成の30年間を語る上で、大きなポイントが3つあります。
まず、ひとつ目が3つの不倒神話の崩壊です。
バブル崩壊は言うまでもなく、その後もリーマン・ショックや東日本大震災など厳しい外的要因にさらされた30年間と言えます。
――企業倒産の推移について教えてください。
関 まず、平成の30年間における上場企業倒産は累計233件(負債合計21兆9087億500万円)です。1989年(平成元年)、90年(平成2年)はゼロで、平成初の上場企業倒産は91年(平成3年)8月に会社更生法を申請したリースマンション分譲のマルコー(負債2777億4000万円)でした。
その後、山一證券や北海道拓殖銀行など金融機関の破綻が相次いだ97年(平成9年)に14件を数え、90年代で最多を記録します。2000年代に入り、小泉政権による金融機関の不良債権処理が進んだ02年(平成14年)に29件、03年(平成15年)に19件が発生し、第1次ピークを迎えます。リーマン・ショックによる世界同時不況下の08年(平成20年)に33件と平成最多を記録、09年(平成21年)にも20件が発生し、第2次ピークとなります。
その後は企業業績の持ち直しにより、10年(平成22年)の10件を最後に1ケタで推移しています。14年(平成26年)と16年(平成28年)のゼロを含め、13年(平成25年)以降は6年連続で3件以下です。
――なかでも規模の大きな倒産は何があったのでしょうか。
関 負債総額で見ると、01年(平成13年)9月に民事再生法を申請した(のちに会社更生法に移行)総合スーパーのマイカルの1兆6000億円が最大です。次いで、17年(平成29年)6月の自動車部品製造のタカタ(負債1兆5024億円)、1996年(平成8年)10月の住宅ローン保証の日榮ファイナンス(同1兆円)、2000年(平成12年)5月の信販・クレジットカード業のライフ(同9663億円)、同年7月の百貨店のそごう(同6891億円)と続きます。
そのほかにも、日本航空(同6715億7800万円)、東食(同6397億円)、東海興業(同5110億円)、佐藤工業(同4499億円)、エルピーダメモリ(同4480億3300万円)と有名企業が続き、平成の上場企業倒産の負債トップ10となっています。
――産業別に見ると、特徴などはありますか。
関 産業別では、戦後最大の製造業倒産となったタカタを含む製造業の66件が最多です。次いで、建設業39件、不動産業33件、金融・保険業25件、サービス業他21件、小売業18件、卸売業16件、情報通信業9件、運輸業5件、農・林・漁・鉱業1件となっています。建設業と不動産業が多いのは、バブル崩壊後に先送りされた不良債権処理が要因でしょう。また、1997~98年(平成9~10年)の金融危機後に整理が進んだ金融・保険業などが上位を占めているという構図です。
●平成の上場企業倒産ペースは昭和の3倍
――平成と昭和を比較すると、いかがですか。
関 平成の30年間で、上場企業倒産は年平均7.7件発生しました。当社が全国倒産集計を開始した52年(昭和27年)から88年(昭和63年)までの「昭和」の37年間の上場企業倒産は合計95件で、年平均2.5件です。上場企業数が異なるため単純に比較することはできませんが、平成は昭和の3倍のペースで上場企業倒産が発生したと言えます。
平成の30年間を10年ごとに区切って比較すると、89~98年(平成1~10年)は44件(年平均4.4件)でしたが、99~2008年(平成11~20年)は140件(同14件)と急増しました。金融機関の破綻が相次いだ金融危機直後からリーマン・ショックが発生した時期で、不良債権の早期処理と世界同時不況が相まって上場企業倒産が頻発したのです。
その後、09~18年(平成21~30年)は49件(同4.9件)と大幅に減少しています。
――平成の企業倒産を振り返って、思うことはありますか。
関 特にゼネコンはバブル景気を謳歌して金融機関からの借り入れを増やしていましたが、そのツケがバブル崩壊後に回ってきて、ゼネコンと不動産会社はともに縮小することになりました。当時、ゼネコン100社の売上高や貸借対照表、有利子負債などをチェックしましたが、「有利子負債率が高いな」と感じた企業は、その後に倒産あるいは吸収されていきました。
また、百貨店の雄であったそごうの倒産には驚きました。負債最大のマイカル、あるいはダイエーにも同じことが言えますが、右肩上がりの土地価格の上昇を前提とした出店攻勢がアダになりました。小売業界は、より計画的な出店戦略を進めるべきだったでしょう。
バブルの過熱と崩壊について、確かに不動産業界は反省すべき部分はあるでしょう。しかし、大蔵省(当時)の総量規制も含めて、政策の失敗という側面もあると思います。1997年(平成9年)4月に消費税を3%から5%に引き上げるとともに公的負担も引き上げ、ここから日本経済は長いデフレに突入します。GDPは97年度(平成9年度)にマイナス0.7%、98年度(平成10年度)にマイナス1.9%と2年連続マイナスを記録しました。
当時、「日本的経営はダメで欧米にならえ」という総悲観論が風靡しましたが、果たしてそうだったのでしょうか。政策の失敗がデフレを招き、リーマン・ショックや東日本大震災などもあり、経済はなかなか活性化しませんでした。現在は戦後最長の景気拡大と言われていますが、実感は乏しいです。国の政策の何が失敗だったのかを、きちんと検証すべきです。
●「令和」の時代は積極財政で「富国強靭」
――バブル崩壊後は、金融機関の貸し渋りや貸し剥がしが問題となりました。
関 中小企業への貸し渋り対策として98年(平成10年)に創設された「中小企業金融安定化特別保証制度」については議論もありましたが、中小企業庁の資料では「1万社の倒産、10万人の失業、2兆円の民間企業の損失を回避」させることができたとしており、大きな成果があったと思っています。その後、「中小企業金融円滑化法」が制定されたことで、現在は倒産件数がバブル期並みに抑制されています。
一方で、「休廃業・解散」が高止まりしていることに注目すべきです。2018年(平成30年)の休廃業・解散は4万6724件(前年比14.2%増)となっており、背景には経営者の高齢化により事業承継が難しくなっている事情があります。経営が不振でも国の政策と銀行の金融支援で生き延びている企業が、倒産の代わりに休廃業・解散を選択しているケースもあるのではないでしょうか。
――5月1日からは新元号の「令和」が施行されますが、日本経済はどうあるべきでしょうか。
関 社会インフラの整備をもっと大胆に推し進めるべきです。日本は地震大国ですが、道路、橋やトンネルなどの多くが老朽化しています。国民を守るためにも、国土の強靭化は必要です。さらに、小池都知事が提案している「無電柱化」を進めるなど、国中の美しい街並みを整備するために、積極的に公共工事を行ったほうがいいと思います。公共事業は乗数効果も高いので、個人がお金を使わないのであれば国が使うべきです。それらに取り組んでこなかった結果が、デフレによる「失われた30年」だったのではないでしょうか。
(構成=長井雄一朗/ライター)