平成の30年間は、自動車産業と並ぶ日本の基幹産業だった電機(エレクトロニクス)業界が、世界的な競争の荒波にさらされた時代だった。ジャパンディスプレイ(JDI)が台湾・中国連合の軍門に下ったのは、その象徴といえる。
JDIは台湾の電子部品メーカーの宸鴻光電科技(TPK)、同じく金融の富邦グループ、中国ファンドの嘉実基金管理(ハーベスト・ファンド・マネージメント)の3社から800億円の金融支援を受けることで合意した。3社の出資比率は49.8%となる。筆頭株主INCJ(旧産業革新機構)の持ち株比率は、25.3%から12.7%に急低下する。
JDIは2012年、日立製作所、東芝、ソニーの中小型液晶事業を統合して発足した。国が主導し「日の丸液晶」の再建を目指したが、平成の終わりとともに挫折した。「日の丸」にこだわり続けた結果、3000億円の血税が無駄金となった。
JDIを実質的に“経営破綻”させた張本人は誰なのか。
歴代社長に成功体験がないのが致命的だった。運を持っていないリーダーが続いた悲劇といっていいかもしれない。初代社長の大塚周一氏は、倒産したエルピーダメモリの最高執行責任者(COO)。業界に通じている点を買われ、社長の座を射止めた。就任当初から「(倒産した)エルピーダメモリの二の舞を演じるのではないか」と冷やかに見られていた。
15年6月末に元三洋電機副社長の本間充氏が、新設された会長兼最高経営責任者(CEO)に就任した。社長兼最高執行責任者(COO)には有賀修二取締役が昇格した。親会社の官民ファンドの産業革新機構(現INCJ)は、日産自動車副会長の志賀俊之氏が、非常勤で会長兼CEOに就いた。
本間氏は三洋電機時代に「電池の顔」といわれた人物。「将来の三洋の社長候補」(三洋の元役員)といわれた。三洋はパナソニックに吸収されたが、パナの津賀一宏社長とソリが合わず13年に退社した。この本間氏に手を差し伸べたのが経産省=産業革新機構だった。
「本間氏の使命は、シャープを手際よく解体することだった。革新機構の志賀CEOと連係し、シャープの解体を実現できれば大成功だったが、シャープは台湾の鴻海精密工業に奪われてしまった。本間氏に託されたミッション(使命)は、完全に失敗に終わった」(エレクトロニクス業界の首脳)
●白山工場建設で経営が悪化
スマートフォン(スマホ)の画面が液晶から有機ELに置き換わるという技術の変化を経営陣が読み誤ったのが、JDIの“経営破綻”、そして台中連合への身売りの根本的な原因である。
液晶一辺倒のJDIは、何度も経営危機に直面してきた。経営をリードしてきた本間氏は17年6月の株主総会で退任したが、まったく責任を取らなかった。
谷山氏は日本興業銀行銀行(現みずほ銀行)出身。投資ファンドのカーライル・ジャパンを経て、09年に革新機構のマネージングディレクターに就任。11年にはジャパンディスプレイ統合準備会社の代表取締役に就き、3社統合を実現させた。
谷山氏はJDIの発足以来、5年間社外取締役を務め“影のトップ”と呼ばれてきた。技術のトレンドがわからない経済産業省がやることは、すべてが後手後手。谷山氏は革新機構の意向の代弁者であり、同氏が執行部を押し切る場面が目立った。JDIの経営責任が曖昧模糊としている理由のひとつが谷山氏の“暴走”にあるとの厳しい指摘もある。
谷山氏は社外取締役でありながら、「経営の監視」ではなく「経営そのもの」を担っていた。極めつきは、1700億円を投じた石川県の白山工場の建設だ。白山工場は液晶から有機ELへと、技術が大きくシフトしており、今や無用の長物と化した。
14年3月の新規株式公開(IPO)も谷山氏が仕切った。
上場から1カ月後に業績予想を下方修正して以来、下方修正が日常行事のように繰り返されてきた。株価は一度も公開価格(900円)を上回ったことがない。初値は769円で公開価格を15%下回った。高値は上場直後の836円、上場来安値は18年12月の50円で、文字通り“倒産株価”となった。
白山工場の巨額投資がたたって、JDIの台所は火の車だった。社長兼COOの有賀修二氏は、赤字を垂れ流し続けたため18年に退任した。「19年3月期の黒字転換」を公約していた東入来信博会長兼CEOは、アップル、台中連合、INCJの利害調整に追われ、過労で緊急入院した。3月26日、月崎義幸社長兼COOが、会長兼CEOの業務を代行した。
業績が悪化するたびに、経営トップが“敵前逃亡”する事態が続いている。JDIが経営破綻すれば、アベノミクスの失敗の証明になりかねない。経産省は別働隊の革新機構を通じて、面倒を見ざるを得なかった。
(文=編集部)