老魔術師は言う。「夢、信じるなら、夢のままで終わらない」と。
しかし、いかに夢を見ながらやり過ごそうとも目の前に存在し続け、残酷な運命を突き付けてくる現実というものもある。たとえば貧困。たとえば家族との別離。たとえば人がもののように「始末」されるホロコースト。
夢が織り成す魔術を信じたい気持ちがある。現実から目を背けたくないという思いもある。
ドイツのユダヤ人家庭に生まれた作家。エマルエル・ベルクマンの長篇『トリック』はそういう小説だ。訳者あとがきによればベルクマンは、デビュー作となる本書を最初で英語で執筆したが、スイスのディオゲネス社の求めに応じてドイツ語で一から書き直して出版、後にそのドイツ語版オリジナルを再び英語に訳したという。一人の作家が三度同じ小説を書いたことになる。
物語には二つの時間軸がある。
もう一つの時間軸は現代のアメリカに設定されている。11歳の誕生日まであと3週間となったある日、マックス・コーンの身の上には青天の霹靂というべき大事件が起きる。ダッドとマムが突然離婚すると言い出したのだ。11歳まであと3週間の少年には世界の終わりに等しい宣告だ。
小説の中核には、もちろんホロコーストという歴史的事実がある。20世紀のプラハに生まれ、1940年代のベルリンで人気が沸騰した魔術師となるモシェ・ゴルデンヒルシュがその運命から逃れることは不可能だろう。時計の針が少しずつ進んでいく過去パートでは、いつその瞬間が訪れるのかと読者は固唾を呑みつつ彼を見守ることになる。
しかし、自分の前途に何が待ち受けるのかを人は知ることができないものである。ユダヤ人であることを捨てたモシェはサーカスに入り、こんな言葉で団員たちから歓迎される。
現在のパートにおいて、もちろんマックスは大ザバティーニと巡り合う。青春期のモシェを知っている読者は、その変わり様に驚くはずである。一口で言うならば助平度がハードコアの域に達した亀仙人で、マックスの母親に言い寄ってフライパンでぶん殴られたりする。しかしその最低の爺以外に、彼の運命に奇跡を起こしてくれる人はいないのだ。あまりにも頼りない命綱である。こちらの物語でも読者ははらはらしながら成り行きを見守ることになるだろう。老いぼれ魔術師は奇跡を起こせるのか。本当、頼むよ、ザバティーニ。
間違ってもミステリーの範疇に入る小説ではないが、周到に仕掛けられた伏線やその回収といった技巧に読者は驚きの声を上げることになるだろう。ホロコーストの歴史を背景にした奇跡を、ぜひ楽しんでもらいたい。モシェがユダヤ人であることには他にも意味があり、これは家族の物語にもなっている。自由を縛る足枷にもなるが、唯一の居場所でもある家族というものを、モシェとマックスの二つの視点から立体的に作者は描いていく。家族を捨てた男、家族を再生させようとした少年はそれぞれどんな境地にたどり着くのだろうか。
夢と現実を共に真摯に描くという試みにベルクマンは挑戦し、見事に勝利を収めた。この小説の中には他にも相反する要素が詰め込まれている。過去と現在、若さと老い、野卑な笑いと崇高な姿勢、そして根を持つことと羽ばたくこと。それらがどのように調合されているのかは、熟読することによって解き明かせるはずだ。没薬の秘密を暴くように、味わい読むのだ。
(杉江松恋)