
どんな言い訳をしようといじめは許されることではない。これは揺るぎない事実だ。でも、(特に理由もなくやっている加害者もたくさんいるだろうけど)もしいじめる側の心理を知ることができたとしたらどうだろう?
主人公の深作日都子はいつもひとりぼっちだ。小学5年生のとき、クラスで飼っていた金魚をわざと死なせたと疑われて以来ずっと。親友だと思っていた子が、公平であるはずの先生が、日都子を糾弾した。その日以来、彼女は「ヒトリコ」となった...。
日都子が孤独に押しつぶされずに育ったのは、親の理解と「キュー婆ちゃん」の支えがあったからだ。キュー婆ちゃんとは近所でピアノを教えるおばあさん。中学には"部活は強制加入だが、学校外で習い事をしていれば免除される"という決まりがあり、どうしても同級生たちと関わりたくない日都子は、無愛想で他人からあまり好かれているとは言い難いキュー婆ちゃんを頼ったのだ。キュー婆ちゃんのキャラクターが魅力的。私自身も、子どもを子ども扱いして甘やかすより、厳しい中にも愛情の感じられるような年配の人が好きだ。
そしてもうひとつ日都子を救ったのは、彼女自身の気持ちの強さだった。彼女が置かれている状況は客観的にみても相当キツい。小学校の学級会で、クラスの全員から否定される日都子の姿など、想像するだけでも泣きそうになる。だが日都子は、「もし金魚が死ななかったら、私は多分、すごく嫌な奴になったと思う」と考えることができるのだ。自分がいじめる側にならずにすんだ、だからあれでよかったのだと。