《後編》ビートたけしとフライデーの歪んだ関係

>>>前編より

和解するも明暗を分けたその後

 しかしこれらの報道の結果もあり、世論はたけしに冷たくなっていった。たけしは7ヶ月の謹慎を強いられ、テレビの出演は1987年まで待つことになってしまった。
 せっかく手に入れたたけし軍団初の冠番組『たけし軍団!ヒット&ビート』は1986年12月の放送で打ち切りに。『ビートたけしのスポーツ大将』はタイトルを『スポーツ大将』と変更するも翌年3月に一旦打ち切りとなった。
『痛快なりゆき番組 風雲!たけし城』は、事件に参加しなかったラッシャー板前井手らっきょ・つまみ枝豆の3人が番組をまわした。『天才たけしの元気が出るテレビ!!』はタイトルを『元気が出るテレビ!!』と改題し、1987年最初の放送で「社長(たけし)は海外出張中」という設定で放送を続け、司会はたけしと同じ太田プロに所属していた山田邦子が務めた。
 ちなみに山田は『元気が出るテレビ』以外にも『スーパーJOCKEY』など多くの番組でたけしの代役を務め、その勢いのままに『邦ちゃんのやまだかつてないテレビ』『邦子がタッチ』など自身の名前が入った冠番組を持つようになった。後に「女性で唯一天下を取ったタレント」と評されるまでになった。
 その他、1987年1月から放映予定だった大橋巨泉とたけしの共演による「アサヒ生ビール」のCMが放映中止。ファミコンソフト『たけしの挑戦状』は予定通り発売されたが、放送されていたテレビCMは打ち切られた。


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