茨城県鹿嶋市を「サッカーのまち」にした知られざる立役者

 今春まで鹿嶋市サッカー協会会長だった加藤満さん(67)は協会設立の翌年に加盟した日本合成ゴム(現在のJSR)のサッカー部出身だ。


 宮城県仙台市生まれ。高卒で就職後、初任地の三重県四日市市で入部した。初心者だったが、球拾いをしても面白いと感じるほど、サッカーが好きになった。


 鹿島には21歳の時、プラント開設要員として配属され、すぐにサッカー部を作った。約20人が集まったが、経験者は自身を含めて3人だった。「三交代勤務だから、練習には一部しか参加できません。仕事の後、まだ工場が着工していなかった土地で、車のライトをつけてボールを蹴りました。どのチームも同じような状態でした。試合では互いにどこに素人がいるか、見つけて攻撃するのが作戦でした」と笑う。


「新旧住民の融和のため」とは聞いていたものの、意識することはなかった。ボールを追いかけると雑念が吹き飛んでしまう。各チームの代表が集まって協会誌を出したり、関東少年サッカー大会の開催を引き受けて皆で準備したりしているうちに、どんどん仲良くなっていった。


■新住民だからこそ地域の魅力が見える

 鹿島サッカー協会は、設立翌年から中学生の大会を開いた。さらに小学校単位でサッカースポーツ少年団を設立し、指導に当たっていった。


 石津さんは著書に「鹿島開発は、確かに経済効果が住民と地域を豊かにした。土地提供による大金取得は、普段から堅実な家庭を除けば、一般家庭の中には歪みをもたらす場合が少なからずあった。街が活況を呈する一方で、子どもたちが金銭を湯水のように浪費したり、非行に走っていったりして補導が繰り返された」と書いており、サッカーに教育効果を期待したようだ。


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