2021年4月16日より平成ガメラ3部作完結編『ガメラ3 邪神〈イリス〉覚醒』(99)が丸の内ピカデリー、梅田ブルク7をはじめ全国の「Dolby Cinema TM(ドルビーシネマ)」にて順次上映中です。

「ガメラ生誕55周年記念プロジェクト」として昨2020年晩秋より期間限定上映されたシリーズ第1作『ガメラ 大怪獣空中決戦』(95)が異例のクリーン・ヒットとなり、続く第2作『ガメラ2 レギオン襲来』(96)ともどもこの春までアンコール&ロングラン上映を成していきました。


そしていよいよ“ノストラダムスの大予言の年”1999年に公開された世紀末問題作『ガメラ3』のお目見えとなった次第です。

今回は本作はもとより、昭和から平成に連なるガメラ・シリーズの歴史も、ざっとおさらいしてみましょう。

子どもの味方だった
昭和ガメラ

『ガメラ3 邪神〈イリス〉覚醒』レビュー:怪獣映画の革命的平成三部作の総括!


ガメラ映画の始まりは1965年11月27日に公開された湯浅憲明監督の大映映画『大怪獣ガメラ』に始まります(ちなみにこの作品のみモノクロ)。

かつてアトランティス大陸にいたといわれる巨大な亀=ガメラが8000年以上もの眠りから覚めて北極の氷の中から出現し、日本に上陸するという怪獣映画の王道たるストーリー展開。

これまでゴジラ・シリーズなど特撮映画の独壇場とも言われた東宝に大映が挑戦した意欲作は、同時期より日本中に勃興していく怪獣ブームとも呼応しながら大ヒットを記録するとともにシリーズ化。

第2作『大怪獣決闘 ガメラ対バルゴン』(66/田中重雄監督)よりカラー&VS怪獣ものとなり、第3作『大怪獣空中決闘ガメラ対ギャオス』(67)から子どもを主役に、ガメラは子どもたちの味方という定義でシリーズが促進されていきます。
(これは第1作のガメラがまだ凶暴な怪獣でありつつも、子どもには親愛の情を見せるといった設定から発展していったもの)

さらには第4作『ガメラ対宇宙怪獣バイラス』(68)からは日本人と外国人の子どもコンビを主演に据えるようになりますが、これが海外マーケットを意識したものでもありました。


かくして『ガメラ対大悪獣ギロン』(69)『ガメラ対大魔獣ジャイガー』(70)と続きますが、シリーズ第8作『ガメラ対深海怪獣ジグラ』(71)が公開されてからおよそ3か月後の1971年12月、大映は当時の日本映画界そのものの斜陽に伴う一大不況のあおりを受けて倒産し、シリーズも中断を余儀なくされました。
(昭和シリーズそのものも後期は製作費が過酷なまでに削減され、現場スタッフはかなりの労苦を強いられていたとも聞かされています)

しかしその後、大映は1974年に徳間書店の手で再建。

70年代の第二次TV特撮怪獣ブームやアニメブーム、さらには『スター・ウォーズ』(77)以降の世界的SFブームの波に乗せて、徳間大映はシリーズ総集編的要素も備えた『宇宙怪獣ガメラ』(80)を製作し、結果としてこれが昭和ガメラ・シリーズのピリオドとなったのでした。

--{本格的怪獣映画の復権を目指した平成ガメラ}--

本格的怪獣映画の復権を
目指した平成ガメラ

『ガメラ3 邪神〈イリス〉覚醒』レビュー:怪獣映画の革命的平成三部作の総括!


1980年代に入って、まず徳間大映は佐藤純彌監督『未完の対局』(82)で戦後初の日中合作映画をものにしました。
(これには1976年に製作した『君よ憤怒の河を渉れ』が中国で公開されるや、何と10億人が見るという未曽有の大ヒットとなったこととも関係しています)

これ以降、徳間大映は井筒和幸監督『犬死にせしもの』(86)、岡本喜八監督『ジャズ大名』(86)、相米慎二監督『光る女』(87)、崔洋一監督『Aサインデイズ』(89)、周防正行監督『ファンシイダンス』(89)『シコふんじゃった。』(91)など気鋭の監督を起用した意欲作を世に発表。

同時に佐藤監督の国際的超大作『敦煌』(88)『おろしや国酔夢譚』(92)を成功させ、さらには黒澤明監督『まあだだよ』(93)を実現させるなど、当時の徳間大映の勢いに裏付けするに足る快進撃を続けていました。
『新宿黒社会 チャイナマフィア戦争』(95)で三池崇史監督を本格劇場用映画デビューさせたものも徳間大映の功績です。

こうした状況の中、当時好評を博していた東宝の平成ゴジラ・シリーズに対して、徳間大映の中でもガメラ復活の気運が高まっていきます。

いくつかのプロジェクトが立案されていく中、ようやく最終的に1995年の『ガメラ 大怪獣空中決戦』として実を結びました。

監督の金子修介、特技監督の樋口真嗣、脚本の伊藤和典、ともに日本の怪獣映画の洗礼を受けて育った世代であり、ここでは本格的怪獣映画の復活を堂々と掲げつつ、製作開始。

もし現実に怪獣が出現したら日本国内はどのような状況を呈するか?というリアル・シミュレーションに基づくストーリー展開は、後の『シン・ゴジラ』(16)の先駆けともなっています。

同時に、これまで見たことのない秀逸なアングルの特撮ショットの数々、そして怪獣映画の醍醐味とは? という基本理念にのっとった演出の妙。


こうした三位一体の効果に加え、ヒロインを務めた中山忍の、今見直すとまさに1990年代を象徴する映画ヒロインともいえる凛とした姿勢や存在感(彼女は本作でさまざまな映画賞を受賞)が秀逸。

さらにはガメラと心を通わせる巫女的存在を担う藤谷文子の神秘性、その後のシリーズになくてはならない顔となっていく螢雪次朗、嫌みな官僚を喜々として演じる本田博太郎などなど、キャストの好演も忘れられないものがありました。

ガメラそのものの定義は昭和時代からかなり変わり、この世界は亀という生物が存在しないパラレルワールドとなり(つまり平成ガメラは巨大な亀ではない)、一方では子どもの味方というニュアンスをさりげなく継承させたあたりは従来のファンに好評で、特撮的にも昭和時代の象徴であった回転ジェット噴射飛行を見せてくれたのも嬉しい限りでした。

『ガメラ 大怪獣空中決戦』は従来の特撮&怪獣映画ファンはもとより映画ファン、特に日頃日本映画を見ない洋画ファンから「ようやく邦画にもエンタメ快作が登場した!」とでもいった支持を得る事に成功。

かくして二度目の挑戦となったのが『ガメラ2 レギオン襲来』(96)で、ここでは前作のリアル・シミュレーション感覚を自衛隊の動向などに深く絞りつつ、怪獣映画の要素に必須とされる戦争映画としての醍醐味を強調させていくものでした。

一方で水野美紀扮する金子映画ならではのファンタジー・オタク・ヒロインの参加によって、作品の神秘性はより高まっています。


また前作では昭和ガメラ・シリーズに多く出演した本郷功次郎、昭和ゴジラ・シリーズの久保明を特別出演させていましたが、、ここではTV特撮スパイ・アクションドラマ『スパイキャッチャーJ3』(65~66)や松竹特撮映画『昆虫大戦争』(68)主演俳優でもあるベテラン川津祐介も登場し、これまたファンを感涙させてくれました(彼は第3作にも出演しています)

本作は第17回日本SF大賞や第28回星雲賞映画演劇部門・メディア部門賞を受賞。特に前者は映画として初の受賞ということでSFファンの間でも大いに話題になりました。

--{1999年『ガメラ3』タブーへの挑戦}--

1999年『ガメラ3』
タブーへの挑戦

『ガメラ3 邪神〈イリス〉覚醒』レビュー:怪獣映画の革命的平成三部作の総括!

 
こうした勢いに乗って、いよいよ製作された平成シリーズ第3弾『ガメラ3 邪神〈イリス〉覚醒』(99)は前2作以上の野心作としてお目見えすることになりました。

『ガメラ2』のラストで「ガメラは地球の守護神であり、決して人類そのものの味方というではない」といったメッセージが提示されていますが、そこをさらに深く掘り下げたシビアなストーリーが展開されていきます。

まずは、怪獣同士の戦いのあおりを受けて犠牲になった人々の忸怩たる想いとは?

本作では渋谷でガメラVSギャオスの死闘が展開されますが、これによって街は崩壊するとともに、その阿鼻叫喚の地獄絵図とともに多大な犠牲者を生み出します。

ミニチュアのビルや建物が怪獣同士の戦いの中で壊れていく中、「もしあの中に人がいたら?」とでもいった、怪獣映画や特撮ヒーローものを見続けるうちにふと感じる疑問、しかしながらそれを口にするのはどこかためらわれてしまうタブーを、本作はパンドラの箱を開くような感覚で露にしていくのでした。


そして第1作のクライマックス、ガメラVSギャオスの死闘で両親を亡くし、ガメラを憎み続ける少女・綾奈(前田愛)の存在は、従来のこの手のジャンルには決して登場することのなかったキャラクターであり、一方では第1作の浅黄(藤谷文子)、第2作の穂波碧(水野美紀)と対比される存在でもあります。

特にかつてはガメラと心を通わせつつも、自身の成長と共に今はそれが叶わなくなった浅黄と、今まさに邪神〈イリス〉と心を通わせている綾奈は、真逆に位置する存在ともいえるでしょう。

またこうした関係性に伴い、第1作の長峰真弓(中山忍)が浅黄と共に再びメインとして登場し、浅黄と綾奈の中間的存在としてクールに物事を対処しようとしていく構図が、タブー破りの本作の中で大きな救いの拠り所にもなっていくのでした。

一方で本作は1999年3月6日に公開されていますが、この年こそ「1999年7月に地球が滅びる」とでもいったノストラダムスの大予言が当たるか当たらないかに、日本人の多くが注目していた年でもありました。

今では笑い話にしかなりませんが、この予言書が1970年代に日本国内で一大ブームになったとき、特に当時の子どもたちは「1999年に自分が死ぬのだ」といった意識を、大なり小なりどこかで植えつけられていた節があったのです。

そういった不安感と巧みにリンクしたのがTVアニメ「新世紀エヴァンゲリオン」(95~96)であり、その劇場版『シト新生』『Air/まごころを、君に』の2部作(ともに97)を経て『ガメラ3』が発表されていることも何やら象徴的で、現にエヴァの制作にも携わっていた樋口真嗣特技監督の特撮ショット、特に巨大化したイリスの見せ方などにエヴァとの類似性を見出すことも可能でしょう。


エヴァ、ノストラダムス、世紀末といった要素は、製作サイドというよりも当時の観客サイドの心の混沌とした隙間を埋めるような形で忍び寄っていき、それが『ガメラ3』の鑑賞に良くも悪くも影響していった感があります。

現にこの第3作は前2作に比べると戸惑いと共に賛否をもって迎え入れられ、未だに正当な評価を得られていないのではないかといった憾みがあるのも事実。

しかし、そこから時が過ぎて21世紀に入り、徳間大映の全事業は徳間康快社長の死後、角川書店=現KADOKAWAに委ねられ、その体制下で平成シリーズとは無関係の『小さき勇者たち~ガメラ~』(06)も2006年に製作されましたが、こちらのシリーズ化は叶いませんでした。

そして日本人が東日本大震災やコロナ禍といった未曽有の災いを次々と体験していく中、ふと『ガメラ3』のラストの後を想像してしまう映画ファンがこのところ急増してるようでもあります。

ガメラが地球の守護神であるとしたら、今の世界の中でどう立ち回るだろうか? 

ギャオスは悪しきウイルスを形態化したものとして捉えられるのではないか?

こういった状況下で、第1作のドルビーシネマ上映が成された2020年11月27日(この日は昭和の『大怪獣ガメラ』公開初日でもありました)、舞台挨拶の壇上で中山忍が金子監督の横から「“令和ガメラ”が見たいです」と公言し、満場の拍手が轟きました。

金子監督も4月11日に池袋HUMAXシネマズで開催された「ガメラ降臨祭」の中で「既に構想はある」とコメント。

『ガメラ3』のラストからおよそ20年を経て(またこの間『シン・ゴジラ』や『シン・エヴァンゲリオン』が発表されたことで、改めて平成ガメラ・シリーズの本質が明確になっていった感もあります)、地球はどのように変わったのか? もしくは全く新たな設定で挑むのか?

興味は尽きませんが(監督曰く、中山忍の長峰は出したい構想もあるようです)、今後の企画実現の期待も込めて、ぜひ『ガメラ3』ドルビーシネマ上映に足を運んでいただけたら幸いです。

特に今回の上映で本作の再評価が促進されることも必定ですし、同時に平成ガメラ・シリーズそのものがいかに映画史上に残る優れたエンタメ快作であったかを改めて体感できることでしょう。

(文:増當竜也)