Text by 山元翔一
Text by アボかど
『第64回グラミー賞』の授賞式が4月4日(日本時間)に行なわれた。
華々しい授賞式から遡ること約2週間前、『グラミー賞』をボイコットしようとする動きが起こった。
一体なぜこのようなことが起こったのか? 近年、『グラミー賞』とブラックカルチャーのあいだで起こった出来事を振り返り、首謀者である J. Princeの意図するところを探った。
『グラミー賞』は、世界で最も権威あるとされる音楽賞だ。
毎年この時期になると各種メディアで特集が組まれ、SNSでは好意的なものも批判的なものも含め、さまざまな語りが飛び交う。音楽ファンにとっては、年間ベストアルバムやフェスのラインナップ発表と同じくらい大きなイベントだ。
しかし、特にヒップホップやR&Bのリスナーのなかにはあまりこの話題には乗れないという人も多いのではないだろうか。
『グラミー賞』は以前からさまざまな問題が指摘されており、特に去年のThe Weekndが実績に反してひとつもノミネートされなかったことは大きな波紋を呼んだ。
遡ること2013年には、ケンドリック・ラマーの出世作『good kid, m.A.A.d city』(2012年)が授賞を逃し、マックルモア&ライアン・ルイスのアルバム『The Heist』(2012年)が最優秀ラップアルバム賞を受賞。
マックルモア本人が「俺は君に獲ってほしかった。(この賞は)君が持つべきだった。
また、2017年においては、最優秀アルバム賞で本命と見られていたビヨンセの傑作『Lemonade』をアデルの『25』が退けた。アデル本人が受賞時のスピーチで「この賞は到底受け取れない」「ビヨンセのアルバム『Lemonade』は、とても記念碑的で、とてもよく考えられたアルバムだった」と話したのも記憶に新しい。
そのほかドレイクやニッキー・ミナージュなど、多くのアーティストから疑問や批判の声が上がっている。『グラミー賞』の権威、特にヒップホップやR&Bの分野においては「世界で最も権威のある」とは言いづらい状況だろう。
こういった問題の背景には、選考する側の大多数が白人男性であることがたびたび指摘されている。『グラミー賞』候補は主催する「レコーディング・アカデミー」の会員による投票で選出されるが、米メディア『USA TODAY』が2020年に報じたところによると、女性会員の割合は26%、非白人会員は25%に留まるとされている(*2)。
この問題を受け、昨年には多様性を高めるための目標(ノルマではない)が盛り込まれた書面を公開していた。
しかし、それでも『Washington Post』が昨年掲載した記事「The Grammys are trying to change. So why does it feel like they’re moving backward?」をはじめ、批判の声を抑えるには至っていない(*3)。
そして2022年、ついにヒップホップ界で『グラミー賞』ボイコットをめぐる大きな動きが生まれた。テキサスの名門レーベル「Rap-A-Lot」のオーナーのJ. Princeが、グラミー賞の授賞式と同日に大規模ヒップホップコンサートを開催するよう提案したのだ。
J. Princeは3月22日、「HIP HOP VS. THE GRAMMY’S」と題した声明をSNSにて発表。
「私は過去30年間、『グラミー賞』が自分たちの利益のために文化を支配し、指図するのを間近で見てきた」-
「これは、どんなにお金を持っていても、彼らにとって黒人であるということを私たちに思い出させるための『奴隷の主人が黒人を罰する精神と行為』なのだ。-
だから彼らはカニエをキャンセルし(*4)、ドレイク、The Weeknd、ニッキー・ミナージュなど多くの人を長年に渡って差別してきた。これは、私たちが力を結集して、前に向かって変化をもたらすことでしか打破できないだろう」
そして「音楽業界で最も売れているジャンルであるヒップホップが集結すれば、『グラミー賞』の視聴率が変わるということを証明するため」、『グラミー賞』の受賞式と同じ日時にヒップホップアーティストがラスベガスに集結し、そのパフォーマンスを特別なネットワークやストリーミングプラットフォームで配信することを提案した。
J. Princeが率いる「Rap-A-Lot」は、ScarfaceやBushwick Billなどが所属していた伝説的グループ、Geto Boysを送り出したことで広く知られている。そして、そのGeto Boysは今回の「反グラミー計画」につながるような権威に対して否定的な姿勢を見せていたグループだった。
1989年にリリースされたGeto Boysのシングル『Do It Like A G.O.』では、ヒップホップはじまりの地であるニューヨークでの自分たちの扱いや、ラジオ局で自分たちの曲が流れないことへの批判などをラップしている。当時のヒップホップシーンではニューヨークが権威的な立場にあり、現在とは違い南部のヒップホップは弱い立場にあったのだ。
さらに、メンバーだけではなく当時Lil Jと名乗っていた社長のJ. Princeも喋りで登場。
「私たちを見下す連中にはうんざりしている」とイントロで話し、アウトロでは白人レーベルオーナーの「私たちはあなたのレーベルから95%を徴収し、あなたは5%を受け取ります。15年以内にあなたを有名にします」という言葉に対し「ふざけんなよ」と返している。
J. Princeはこの頃から音楽業界における人種差別への問題意識を強く持ち、行動を起こしていたのだ。
とは言っても、J. Princeはブラックのアーティストだけと関わってきたわけではない。
白人プロデューサーでさまざまな楽器を操るマイク・ディーンを「Rap-A-Lot」初期から起用し、Odd SquadやBig Melloなどの名盤の数々をつくりあげてきた。
マイク・ディーンは「Rap-A-Lot」の仕事を通して知名度を上げ、2002年にはScarfaceのアルバム『The Fix』での仕事を通してシングル曲“Guess Who’s Back”などを手がけたカニエ・ウェストと出会い、以降マイク・ディーンは重要な制作パートナーとなる。そしてそれはウェストのもとで活動するトラヴィス・スコットとの制作にもつながっていった。
また、ドレイクが所属レーベル「Young Money」と契約したきっかけもJ. Princeと言える。音楽業界に入ろうとしている息子に新人アーティストを見つけてくるよう指示し、発掘されたのがドレイクだった。
南部ヒップホップの道を切り拓いただけではなく、(結果的に)後のキーマン同士をつなげたJ. Princeがいなければ、現在のヒップホップはまったく違うものになっていただろう。
現行シーンに大きな影響を与えた偉人であるJ. Princeの「反グラミー計画」は、発表されるとすぐに大きな話題を集めた。『Complex』(*5)や『Rock The Bells』(*6)など多くのメディアが報じ、MigosのQuavoやNew Editionのロニー・デヴォーといったアーティストからも賛同の声が上がった。
Quavoはグラミー賞を「無意味」と切り捨て、「今こそストリートで起こっている事実を評価する自分たちのアワードをはじめるときだ」と話した(*7)。こうした当事者の声を聞くにつけ『グラミー賞』がヒップホップコミュニティのムードを反映しているとは言い難い。
カニエ・ウェストがステム・プレイヤーでのリリースによって大手音楽配信プラットフォームからの搾取に抗議の姿勢を示したのに続き、こうした動きは、ヒップホップが音楽産業のシステムに対して真っ向勝負を挑むかたちとなった。
『グラミー賞』の授賞式は無事、開催された。ジョン・バティステやSilk Sonicといった黒人アーティストによる快挙もあった。しかし、最優秀ラップアルバム賞の様子が放送されなかったことなど、ヒップホップの扱いに関する課題はまだ残っている。
J. Princeをはじめとするヒップホップコミュニティの一連の動きは、『グラミー賞』の歴史において重要な意味を持つだろう。J. Princeが言うようにヒップホップは今や世界でいちばん人気のある音楽ジャンルであり(*8)、その声は無視するには大きすぎるのだ。