司会者の関口宏が、お笑いコンビ・爆笑問題の太田光がホストを務めるBSフジの対談番組『太田光のテレビの向こうで』(14日16:00~)にゲスト出演する。このほど行われた収録では、出会いとなった『はばたけ!ペンギン』(98年、TBS)の思い出話を皮切りに、長年にわたり活躍を続けてきた2人だからこそのテレビ論がヒートアップ。
そんな収録を終えた関口に、久々の再会となった太田への印象や、テレビの現状、そしてテレビが守り続けなければならないことなど、話を聞いた――。
○太田、何度も『サンジャポ』出演をオファー
今年3月に勇退した『サンデーモーニング』(TBS)をはじめ、長年にわたり司会を務めてきた立場だけに、今回のようなゲスト出演は新鮮に映るが、本人いわく「それよりも太田氏に会うのが久しぶりだったから、懐かしかったね」。
『サンデーモーニング』から『サンデージャポン』へ、前身番組を含め実に24年にわたり日曜朝のリレーをつないできた関係だが、TBS局内で会うことはなく、すれ違いだった2人。久しぶりの太田の印象は、「鋭いところを持っている人だなと前から思ってたけど、やっぱりそこは相変わらず冴えてたね」という。
チャンネルを回して太田が映っているのに気づくと、その番組を見ることが多いという。このように気にかける存在なのは、「根がしっかりしていて、哲学があるのを感じる」からだそうで、「話しているとこっちが勉強させられることが多いですね。今日も大きなテーマを出されたような気がしています」と刺激を受けたようだ。
今回の収録では、関口に対して『サンデージャポン』への出演オファーを何度もするなど、積極的に地上波に出てほしいと要望した太田。60歳での引退を考えていた明石家さんまを説得し、翻意させた“実績”もあるだけに、熱い思いをぶつけていた。
これを受け、関口は「言ってもらえるのはうれしいけど、やっぱり年齢の問題はありますよ。これはしょうがない」という姿勢。
○局の経営者目線でテレビの今を捉える
テレビをめぐる環境の変化には様々な要素があるが、特に大きいと考えるのは、「お茶の間の主役でなくなったところ」と断言。「ネットが出てきて、SNSも出てきて、多メディアになったことで、テレビというのは主役の座を降ろされたんだろうな。それによって、我々出役側も制約が出てくる。番組の規模も全盛期に比べたら小さくなっていくし、できることも限られてくるけど、これは仕方がないんじゃないかな」と捉えている。
それは、テレビ局の経営者の立場も理解した上での視点で、「この年までやってくると、ある程度分かってきちゃうからね」とのことだ。
こうした厳しい状況の中でも、テレビが守り続けなければいけないのは、「やはり“今”を伝えるということだと思います」と力を込める。
「あさま山荘事件を中継した時なんて、画面上で長時間、何も起こらないんだけど、視聴者はそれをずっと見続けた。それがテレビですよ。ネットやSNSは、何かが起こらない限りは見ないんだろうけど、テレビは何も起きていなくても“もしかすると…”という感覚の中で見てしまうメディアだと思う。それは、送り手と受け手が“今”を共有しているからなんですよね」
打ち合わせなしで90分「予定調和は好きじゃない」
太田と1対1で、実に90分にわたり対談を繰り広げたが、事前の打ち合わせはほとんどなし。それが、関口にとっても心地良いスタイルだったようだ。
「私はあんまり予定調和というのが好きじゃなくてね。打ち合わせしすぎると予定調和になって、会話があんまり面白くいかなくなっちゃうんですよ。だから、なるべくぶっつけ本番で、ぶつかり合ったほうがいいよね」と、太田とのライブ感あふれるやり取りを味わった。
『サンデーモーニング』では、手作りフリップの解説や、唐橋ユミのメガネ姿での出演、「風を読む」ナレーションの生読みなどを発案し、『クイズ100人に聞きました』でも出場者の登場シーンのショーアップなど、司会者でありながら演出面で様々な助言をしていることで知られている関口。今回の『太田光のテレビの向こうで』へのアドバイスを聞くと、「彼(太田)が十分やってくれてるから、私が何か言うことはないですよ(笑)」と太鼓判を押した。
○幼少期に見たグラフ誌戦争特集の記憶
番組の収録場所は、東京・下丸子に実在する「図鑑カフェ」。1,000冊を超える図鑑に囲まれた空間で語り合っている。
多くの人が何かしらの図鑑に夢中になった経験があるだろうが、関口が幼少期によく見ていたのは、写真を中心とした「グラフ誌」だったそう。
「物心ついた時から、太平洋戦争の特集をよく見ていましたね。戦争ってこういうものなのか…って、子供心にいろんなことを考えさせられました。戦後間もない頃だから、今だったら規制に引っかかるような残虐な写真もずいぶん出てたんじゃないかな。それを見ながら、横で親戚のおばちゃんが戦争でいろいろ体験したことを話してくれたのを覚えています」と思い出を語ってくれた。