1974年3月21日、沢田研二「恋は邪魔もの」がリリース〜“ロックスター・ジュリー”の幕開けとなった名曲

1974年3月21日、沢田研二「恋は邪魔もの」がリリース〜“ロックスター・ジュリー”の幕開けとなった名曲

1974年3月21日、沢田研二「恋は邪魔もの」がリリース〜“ロックスター・ジュリー”の幕開けとなった名曲

この時、彼こと沢田研二26才、私は28才、私は彼のマネージャーになった。

当時、渡辺プロダクションには歌謡曲班、ドラマ班、ロックポップ班というのがあった。

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私は歌謡曲班のマネージャーだったが、コンサート営業の都度、フルバンド用に持ち歩く重たい楽譜に閉口していたのだが、ある日ロック班のプロデューサーに呼ばれ帝国ホテルのロビーに行くと、そこには内田裕也さんがいた。そして今度の沢田研二のマネージャーに任命された者ですと紹介された。私はコチコチに固まった。

それからコンサート最中のジュリーに挨拶に行ったのだが、帰り道「一緒に乗りませんか?」と言われて自家用車に乗り込み、そのまま初対面のその日、朝まで二人で飲んだのを覚えている。「ああ、遂にロックバンドのマネージャーだ、これで重い譜面からも解放された!」と思ったものだ。

この頃、すでにジュリーの衣装デザイナーには早川タケジ君がいたが、この「恋は邪魔もの」の頃にジュリーが穿いていた膝の破れたジーンズ、あれはジュリーのアイディアだったと思う。今やジーンズの破れファッションは大流行だが、ジュリーがその開祖ではないだろうか。40年前、破れたジーンズなど穿いていたのは彼だけだった。しかも彼は使い古したジーンズをもう一枚短パンのように切り、それを破れたジーンズの上に二重に穿くというファッションを考案している。

それで思い出すのは、まだ私が駆け出しの頃、田園コロシアムのタイガースコンサートの警備につかされた事があった。今やアミューズの会長である大里洋吉君なども一緒だった。その時ジュリーは楽屋で食べ終わった弁当箱の紐を取りだしたので、「どうするんですか?」と聞くと、「こうすると、ちょっと変化が出て面白いでしょう」と言ってそれを首と腕に巻きつけ、楽屋からステージに上がって行った。寡黙なのに面白い男だなという印象だった。後年、田コロのライブ映像を観ると「ハートブレイカー」などを歌う姿にそれが映っている。


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