ハリウッドの二大巨匠ジェームズ・キャメロン監督と、スティーヴン・スピルバーグ監督の対談が実現した。キャメロン監督がホストを務めるAMC局のドキュメンタリー・ミニシリーズ『James Cameron's Story of Science Fiction(原題)』に、スピルバーグ監督が登場。
英Metroにインタビュー内容の抜粋が掲載されているので紹介しよう。

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 スピルバーグ監督より8歳年下のキャメロン監督。スピルバーグ監督が映画制作においてそれまでになかった新しいビジョンをもたらしたと話しているが、スピルバーグ監督は「子供の頃に自分の想像力を刺激したのは、単純に恐怖心だった」と語っている。刑事ドラマのような娯楽性の高い番組は見させてもらえなかったというスピルバーグ監督は、「『バンビ』の森の火事のシーンに恐れおののいた。『ファンタジア』の山から登場する悪魔よりも恐かったかもしれない」と回顧する。

 キャメロン監督は『未知との遭遇』以前は宇宙人がモンスターとして扱われることが多かったと指摘し、スピルバーグ監督が「宇宙人の描き方を変えた」と話す。スピルバーグ監督は広島や長崎の原爆と1954年の『ゴジラ』を例に挙げて、同作以降「東京湾や夜空から出没するものは、すべて攻撃的で、敵対心をむき出しにし、情け容赦なかった」と語る。スピルバーグ監督はあらゆるホラー映画を見たが、「親しくなりたいと思えるまともな宇宙人は登場しなかった」と振り返り、望遠鏡を組み立てた父親の影響で宇宙に興味を持ったことで、恐ろしくない宇宙人を思い描くようになったという。

 6~7歳の頃から天体を見るようになり、空を見上げて過ごす時間が長くなったというスピルバーグ監督。「『E.T.』の仮題は『空を見て』だった。1951年の『遊星よりの物体X』の最後の台詞みたいなものだ。父の影響で空を見上げながら、‘あそこからはいいものだけが来るべきだ’と言ったのを覚えている」と、『未知との遭遇』や『E.T.』などが誕生するきっかけとなる幼少期に受けた影響を語っている。
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