2000年の月9ドラマ『やまとなでしこ』(フジテレビ系)が『やまとなでしこ 20周年特別編』として6日と13日に放送され、多くの視聴者を喜ばせた。松嶋菜々子堤真一が共演した名作ラブ・ロマンスを眺めながら、筆者は複雑な気持ちになった。
『やまとなでしこ』が名作であることは否定できない。しかし、そのたった3年前、この季節に放送された、まさに夏に見るべきドラマがあるではないか――『ビーチボーイズ』である。今回は、本作の大ファンである筆者が『ビーチボーイズ』の魅力をお伝えしたい。

【写真】高校生だった広末涼子の魅力たっぷり デジタル写真集『NO MAKE』より

■ “月9”では異例 フレッシュな男性ダブル主演

 本作の魅力を語る上で、ダブル主演を果たした反町隆史竹野内豊の“絵力”は欠かせない。「月9」枠といえば今でこそさまざまなジャンルにチャレンジする放送枠だが、97年当時、はっきりした恋愛が描かれず、さらに男性キャストのダブル主演という座組は異例だった。

 彼女の部屋から叩き出された“ヒモ”広海(反町)と、仕事で失敗してプロジェクトから外される挫折を経験したエリート会社員の海都(竹野内)。水と油のような性格の2人が流れ着いた海辺の民宿「ダイヤモンドヘッド」で出会うことから物語は始まる。

 今見返しても2人が並び立ったときの華やかさは圧倒的だ。「ダイヤモンドヘッド」は終始、お客さんがあまり来ないという設定だったが、現実にこんなイケメンが2人もいる民宿があるなら、来年の夏まで予約でいっぱいになっていたことだろう。

 華やかさに加え、当時はまだ2人に「フレッシュさ」があったことも付け加えなければならない。反町はすでに「月9」ドラマでヒロインの相手役、竹野内は同じ年の『理想の結婚』(TBS系)で一足先に主役を演じていた。着実にステップアップを重ね、勢いのある2人が、「月9」ドラマ初主役をそろって飾ったことになる。


■ “ヒロスエブーム”真っただ中 広末涼子のセーラー服がまぶしい!

 「ダイヤモンドヘッド」の看板娘・真琴を演じたのは広末涼子だ。広末は前年に出演したポケベルのCMで大ブレイクを果たすと、ドラマの開始3ヵ月前には「MajiでKoiする5秒前」で歌手デビュー、この年の瀬の『第48回紅白歌合戦』にも出場し、時代は「ヒロスエブーム」真っ只中だった。

 当時の「ヒロスエブーム」。筆者も中学生として体感はしているが、「現在なら誰ぐらい?」と問われると、どんな人物を当てはめてもふさわしくないような気がする。もしブームを知らない今の子どもたちに分かりやすく伝えようとするなら、現在の「どうぶつの森」のそれを引き合いに出してしまうかもしれない。それぐらい時代を席巻していた。

 真琴は高校生という設定。現役の女子高生だった広末が年齢そのままにセーラー服で、弾けんばかりの魅力を放っている。ドラマのどの瞬間を切り取っても見とれてしまいそうな、圧倒的なかわいさだ。■ 実在感ただようマイク眞木のオーナー

 脇役も粒ぞろいだ。スナック「渚」を開き、何かを待ち続けている謎の女・春子を演じたのは、こちらも本格ブレイク前の稲森いずみ。さらに、のちにバラエティを中心に活躍する佐藤仁美は真琴の同級生役として初々しい姿を見せている。
そのほか、病気療養中の少女を原沙知絵が演じ、政治家転身前の山本太郎もゲスト出演している。

 しかし、本作でなんといっても異彩を放っているのはマイク眞木だ。眞木はヒット曲「バラが咲いた」などで知られ、ドラマ・映画に数本出てこそはいるが本業は歌手である。本作では、真琴の祖父で、広海と海都をこき使う「ダイヤモンドヘッド」のオーナー・勝を好演している。
 
 まず風ぼうである。眞木は白髪を後ろで束ねるヘアスタイルだが、それが辞書で引いたら「海の家のおじさん」の項目に出てきそうな、イメージ通りのスタイル。演技は、最初こそ少し棒読みでは…と思うのだが、「何を話しても棒読みになるおじさん」というのは現実にいるため、かえって「こういう人いるいる」という実在感が出てくる。
 
 脚本を担当した岡田恵和はその著書で、当初から勝が最後に死ぬという結末は決まっていたという。しかし後に「マイクさんの勝があまりにいい味だったこともあって、本気でプランをひっくり返そうかとも思いました」<『ドラマを書く すべてのドラマはシナリオから始まる……』(ダイヤモンド社)より>と述懐している。それほど、眞木が演じる勝は眞木が演じるからこそ魅力的なキャラクターへと昇華した。

■ 「特別な展開はない」…でも何かイイ!

 では、本作はどういったストーリーなのか。広海と海都、そして真琴の3人を中心にストーリーは展開するが、今回観かえしてみて、実は不思議なほど「名シーン」「名ゼリフ」というのはないことに気づく。


 しかしそれは「つまらない」ということを意味はしない。観終えたあとに「何かイイなあ」と思えてしまう。それが『ビーチボーイズ』なのだ。こうした印象は出演者も共有しているようだ。広末は本作の小説版の巻末での眞木との対談で「ドラマが始まってみると、ストーリーに特別な展開はないけど、すごくやさしい雰囲気が流れていて……」と述べている。
 
 広末の「特別な展開はない」という印象は、岡田が脚本を書いたときの心境について「ストーリーばかり考えることに、何だか疑問を持ちはじめてしまって、普段ならストーリー上無駄だから刈り取ってしまうようなことを中心に書いてみたくなってしまった」<氷室冴子の小説『海がきこえる2 アイがあるから』(徳間書店) 文庫版解説より>と語っていることに通じる。

 だから、この作品に対しての「何も起きない」「ストーリー性がない」「淡々としすぎ」といった批判について、岡田は「私的にはOK。そういうドラマをつくりたかったから」だという。

 『ビーチボーイズ』は奇抜なストーリー展開で視聴者をあっと驚かせるのではなく、12話を通して「何かイイなあ」と思わせてくれる作品であること。それは最初から狙って作られたものなのだ。■ 「夏」という季節に恋するドラマ

 では最後に、なぜ夏になるとこのドラマが見たくなるのかを考えてみたい。「夏」を舞台にしたドラマが数ある中でも、なぜ夏にこのドラマが見たくなるのか。
それは、本作が「夏」という季節に恋をするドラマだからでないかと感じる。
 
 それは実はドラマの第1話で暗示されている。第1話は、広末扮する真琴が、海辺ではしゃぐ広海と海都をながめながらの「夏のある国に生まれて、私は幸せだと思う。だって、夏には夏だけの時間の進み方があるような気がするから」というナレーションで終わる。

 夏の訪れとともにやってきたにぎやかな男たちは、夏の終わりとともに民宿を去っていく。夏が楽しい季節であればあるほど、その去り際はさみしくなってしまう。このドラマは夏への恋しさを追体験さえてくれるドラマなのだ。(文:前田祐介)
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