NHK大河ドラマ『龍馬伝』で、"人斬り以蔵(岡田以蔵)"役を演じる佐藤健に、注目が集まっている。

 番組開始前には「イメージが違う」「弱そう」「華奢すぎる」「ガムの(CMの)にいちゃんか」といった否定的な見方が実に多かったのだが、いざ番組が始まってみると、その評価は前評判を180度覆すものとなってきている。

 教養がなく身分も低く、仲間から見下され、のけ者にされた可哀想な「捨て犬」のような目。腹黒い武市半平太を崇拝・盲信してしまい、最初の一人目を殺してしまったときの「狂犬」化した表情の変化・演技力が、絶賛されているのだ。

 たとえば、ネット上では、以下のような声が続出している。

「この人の芝居初めて観た 単なるカワイコちゃん坊やだと思ってたけど将来いい俳優さんになるかも」

「最初、なんだこの貧相な子どもは、と思ったがなかなかいいね ハングリーな感じが出てるわ」

「岡田以蔵にそれほど興味はなく、もちろん佐藤が好きでもないが あいつの演じる以蔵はやばいぐらいせつない」

「自分も腐向けバーター役者が以蔵かよと萎えたクチだが、佐藤すまんかった、とあやまるwあの瞬きせず流れ出した涙には鳥肌が立った。ヤバすぎる」

 これまで岡田以蔵といえば、勝新太郎萩原健一竹中直人哀川翔など、さまざまな役者が演じてきたわけだが、一部では「司馬遼太郎の世界の"以蔵"には佐藤がいちばん近い」という声すらある。

「"人斬り以蔵"と言えば、容赦なく敵を冷淡に斬っていくイメージがありますが、司馬遼太郎作品においては、単純で純粋で、それを利用される可哀想な"従順な犬"のような存在として、最も感情移入してしまうのが以蔵だという人も多数います。『以蔵が、武市にではなく、龍馬についていったら、別の人生もあったのではないか』と同情する声も多く、その繊細さと狂気を佐藤健は非常にうまく演じていると思いますよ」と言うのは、ある歴史雑誌関係者。

 一例として、『竜馬がゆく(三)』(文春文庫)の記述を見てみよう。

「もともと以蔵は無口な男だ。しかし、顔をくしゃくしゃに笑み崩して、竜馬を見あげている。以蔵にすれば、(あなたを兄のように慕っています)といいたいところだろう。だが、眼だけは凄い・そこだけは獣のように油断なく光っていて、微笑でかくそうにも蔽いきれない異様さがあった。

殺戮者特有の眼である」

 確かに、武市に誉められ、顔をくしゃくしゃにして笑う表情も、獣のような獰猛な眼光も、これまで佐藤が演じてきたどの役とも違う、「司馬遼太郎の以蔵」である。

 面白いことに、最初は「ミスキャスト」と不安視されていた以蔵役だが、その演技力に惹かれ、佐藤の過去の主演作『仮面ライダー電王』(テレビ朝日系)を初めて観てみたという人まで出てきている。

「『仮面ライダー電王』のときから、実は表情・仕草で多数の人格を演じ分けられるうまさは話題でした。運動神経も良く、演技の勘も良い」と言うのは、特撮関係者。

 史実に従うとすると、以蔵の今後は、拷問・晒し首という悲惨な未来が待ち受けている。ドラマ内でそれを佐藤健がいかに演じるか、さらに注目したいところだ。
(文=田幸和歌子/「サイゾー裏チャンネル」より)



【関連記事】
「E電と同じ運命!?」日テレそっくりなNHK教育の新愛称「Eテレ」は定着するか?
「司会もゲストも観てるだけ......」ロケ番組のスタジオパートって本当に必要なの?
「きれジャイ」最近出すぎ!? マイナーキャラのメジャー化に見るテレビ経済学

編集部おすすめ