スウェーデン映画『ぼくのエリ 200歳の少女』は、12歳の少年オスカーの初恋を描いた作品だ。学校でイジメに遭っているオスカーは気が優しくて、イジメっ子たちにやり返すことができずにいる。

両親は離婚しており、母親は仕事で忙しい。父親は新しい恋人(男性)に夢中だ。オスカーにできることと言えば、日が沈んでからアパートの中庭の木にナイフを突き立てて、将来は立派な殺人鬼になれるようイメージトレーニングに励むことぐらいだった。そんな一人ぼっちのオスカーに初めて友達ができる。アパートの隣室に最近引っ越してきた美少女エリだ。コドクな者同士の魂が惹かれ合うような出会いだった。
でも、エリはときどきひどく顔色が悪く、それに獣のような変な臭いがする。オスカーがキャンディをあげると、エリは吐き出してしまう。見た目はオスカーと同じ12歳の少女だが、実は200年前から生きながらえているヴァンパイアだったのだ。

 ウルトラシリーズ屈指の名作『ウルトラセブン』ではアンヌ隊員(ひし美百合子)はモロボシ・ダン(森次晃嗣)が地球人ではないことに気づきながらも愛の告白をする。手塚治虫の短編コミック『るんは風の中』の主人公・アキラはポスターの中の少女・るんに夢中になる。人はときどきフツーではない、異形の相手に恋をしてしまう。

恋に陥るという行為は誰にも止めることはできない。思春期の入り口に立つオスカーもまた、ミステリアスなエリにどんどん魅了されていく。隣室同士のオスカーとエリは、壁越しに覚えたてのモールス信号を送り合いながら、絆を深めていく。だが、オスカーの暮らす静かな町では次々と猟奇的な殺人事件が発生していた。やがて、オスカーはエリの正体を知ることになる。人間としてのモラルを守るのか、それとも初恋の成就を選ぶのか。
オスカーの心は揺れ動く。

 北欧ならではの静寂な森、真っ白な雪原に流れ落ちる鮮血。初恋の甘いセンチメンタルに混じって、静かな恐怖がじわじわと広がる。原作小説『モールス』(ハヤカワ文庫)を執筆したヨン・アイヴィデ・リンドクヴィストは"スウェーデンのスティーヴン・キング"と呼ばれる新進作家だ。映画化にあたって、自ら脚本も担当している。トーマス・アルフレッドソン監督による映画版は、地元スウェーデンだけでなく、欧米各地の映画賞を受賞。

今年10月には米国人キャストによるハリウッドリメイク版が全米公開されることが決まっている。

 スウェーデンと言えば、生活水準が高く、社会保障が整っている平穏な国というのが一般的なイメージだろう。だが、それゆえに結婚・出産後に自立を求める女性も多く、離婚・別居してしまう夫婦が後を絶たない。オスカーのように母親と父親の間を定期的に行き来する子どもは珍しくない。原作小説ではオスカーだけでなく、イジメっ子のヨンニも片親であることが描かれている。ヨンニもまた家庭内にトラブルがあり、そのはけ口がオスカーに向かっているのだ。

トーマス監督は言う、「確かに人々は、スウェーデンのことを"世界一モダンな国"と呼びます。でも、その副作用のひとつが片親の多さなのです」と。また、原作者ヨン・アイヴィデの出生地であり、映画のロケ地となっているのは、首都ストックホルムの郊外にあるブラッケベリという小さな町。トーマス監督によると、ブラッケベリという町は、第二次世界大戦後の豊かな時代に人工的に造られ、社会民主主義の理想を体現したニュータウンなのだそうだ。歴史のない新しく清潔な町で、次々と不可解な惨劇が起きるというのも本作の怖さだろう。

 キュートで獰猛なヴァンパイア・エリを演じたリーナ・レアンデションは07年2月の撮影時は役と同じ12歳だった。

トーマス監督いわく、「動物に例えるなら、オオカミみたいな女の子を探した」そうだ。キャスティングは1年がかりで、エリ役オーディションはボーイッシュな少女だけでなく、ガーリッシュな少年にもあたっている。ちなみにリーナはスウェーデン人とイラン人とのハーフ。エキゾチックな雰囲気がエリ役にうまくハマっている。また、エリのために新鮮な"食料"を調達する中年男・ホーカン(ペール・ラグナル)が非常にいい味を出している。大人計画主宰者・松尾スズキは「じいさん萌え~。」を感じたほどらしい。ホーカンはヴァンパイアではなく、平凡な人間なのだが、秘めたる性癖のために彼もまたコドクを強いられている。ホーカンにとってエリは冷酷なヴァンパイアである前に、コドクを癒してくれる唯一の女神だったのだ。中年男ホーカンが12歳のオスカーに嫉妬し、エリに不器用な純愛を捧げるシーンは本作の大きな見どころとなっている。

 エリは凶暴なヴァンパイアではあるが、礼儀正しい吸血少女でもある。初めて訪問した部屋に入る際には、必ず「入っていい?」と尋ねる。1897年にブラム・ストーカーが発表した怪奇小説『ドラキュラ』に登場するドラキュラ伯爵以来、由緒ある吸血鬼族のマナーなのだ。エリの正体を知ったオスカーは、エリの「入っていい?」という問いに対し、イジワルげに黙り込む。「入っていいよ」と言ってもらえないエリは、黒目がちな大きな瞳から赤い血の涙をドクドクと流す。目だけなく、全身から鮮血が逆流しだす。オスカーはようやく気づく。エリはオスカーの傷ついた心が呼び寄せた合わせ鏡的存在なのだと。エリは、誰にも理解されないもうひとりのオスカー自身なのだと。

 本作の"白眉"とも言えるこのシーンだが、かなり難航した撮影だったらしい。良質のジュブナイル映画を志向するトーマス監督とホラー映画に造詣の深い原作者ヨン・アイヴィデとの間で、意見の食い違いがあったのだ。トーマス監督は「エリが血を流すなんて、やりすぎ、論外だと最初は思った。原作者のヨンに説得されて撮った」と話す。しかし、それはそれで面白い。エリという異形の恋人を自分は受け入れる度量があるのかどうか。YESとNOの答えがせめぎあうオスカー少年のざわめく心理が反映された微妙なシーンに結果的に仕上がったと言えるだろう。

 ブラム・ストーカーの小説『ドラキュラ』は、前世紀末の英国における移民の増加に対する社会不安が生み出したと言われている。第二次世界大戦直前の41年に製作された怪奇映画『狼男』は、ナチスドイツによるユダヤ人狩りが背景となっている。50~60年代に量産されたモンスター映画の多くは、核兵器に対する恐怖がモチーフとなっている。映画には往々にして、その時代の空気、社会情勢が反映される。スウェーデン映画『ぼくのエリ』にも、そういった社会背景があるのかと、トーマス監督に尋ねた。「その質問に対するボクの答えはNOだね。エリはオスカーの持っていないもの、怒りの象徴なんだよ」とトーマス監督は説明する。社会的存在というよりも、もっと個人的なメンタリティーから12歳の吸血鬼エリは生まれたとトーマス監督は考えている。なるほど、ならばスウェーデンに限らず、親の勝手な都合でコドクを強いられる少年少女は世界中に多い。吸血鬼エリは、これから世界各地に出没することになりそうだ。

 コドクな人間の前に現れる美少女吸血鬼エリ。「入ってもいい?」というエリの問いかけに、あなたならどう答える?
(文=長野辰次)


●『ぼくのエリ 200歳の少女』
監督/トーマス・アルフレッドソン 原作・脚本/ヨン・アイヴィデ・リンドクヴィスト 出演/カーレ・ヘーデブラント、リーナ・レアンデション、ペール・ラグナル 配給/ショウゲート 7月10日(土)より銀座テアトルシネマほか全国順次公開 <<a href="http://www.bokueli.com"target="_blank">http://www.bokueli.com>



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