『究極のベスト! ジョー山中』
(ワーナーミュージック・ジャパン)

芸能取材歴30年以上、タブー知らずのベテランジャーナリストが、縦横無尽に話題の芸能トピックの「裏側」を語り尽くす!

 肺がんで闘病中のロック歌手・ジョー山中が、一時心肺停止で容態が危ぶまれている。

 2001年にジョーが徳間書店から出版した自伝『証 永遠のシャウト』は筆者がプロデュースした作品だ。

キッカケは音楽プロデューサーの山田廣作氏(筆者は、山田会長と呼ばせてもらっている)だった。山田会長はゴダイゴを世に送り出し、島倉千代子に「人生いろいろ」、天童よしみに「珍島物語」を歌わせ、見事2人を再生させた辣腕の音楽プロデューサー。音楽業界での山田会長の業績は語りきれないほどある。また、業界では「長いものに巻かれろ」「強いものに従え」という風潮があるが、山田会長は正しいことは正しいと主張できる、稀有な業界人だ。

 10年ちょっと前、筆者が鹿砦社から出版した『ジャニーズ帝国の崩壊』で書いた内容についてバーニングプロダクションの周防郁雄社長から、名誉毀損の民事提訴されたことがあったが、その時に「本多さんが書いたことは、間違っていない」と、裁判の証言台に立ってくれた勇気ある男だ。山田会長には昭和の音楽史を勉強させてもらい、プライベートでもお世話になった。

山田会長については語り尽くせないほど話があるだけに、改めて紹介することにする。

 そんな、お世話になった山田会長から「本多さん、ジョー山中はミュージシャンとしても超一流だけど、人間的にも最高の男なんだ。アフガニスタンを中心に難民キャンプを回ってボランティア活動を続けているんだ。彼の自伝をプロデュースしたら、面白いと思うよ」と持ち掛けられた。ジョーについては「お母さん、ボクの麦わら帽子はどこに行ったんですか?」というフレーズで知られる映画『人間の証明』(77年)の主題歌「人間の証明のテーマ」を聞いたときに、あまりにソウルフルな声に震えを覚えたことを今でも忘れない。その後、大麻取締法違反で逮捕。

一度はつまずいたが、難民キャンプのボランティア活動をやっていると聞いて、徳間書店の書籍担当を「印税はすべてボランティア活動に充てる」という条件で説得、出版にこぎつけた。

 当時、ジョーは鎌倉に住んでいた。筆者は鎌倉の家に出向いたり、出身地の横須賀にも足を運んだ。ジョーの子どもたちや、ジョーのお兄さんにも会った。ジョーは、混血児として生まれた。今でこそ、ハーフはもてはやされているが、当時は"あいの子"と差別された。

 ジョーより前に、黒人兵と日本人女性との間に生まれた青山ミチというハーフの歌手が60年代前半にデビューしていた。デビュー2年目に出した曲「ミッチー音頭」は抜群の歌唱力で世間をアッと言わせたが、筆者はミチの「叱らないで」という曲が大好きだった。

 しかし、混血児ということで差別されていたという現実から逃げるために、クスリに手を出したり、万引きを繰り返して挫折。芸能界から追放された。

 90年代半ば、そのミチが愛知県岡崎市でスナックをやっていると聞いて、取材に行った。しばらく経ってから、ミチから「東京に来ている」と電話があった。

会ってみると、「神奈川県に残した子どもと一緒に暮らしたい。マジメにやり直したい。そのためにアパート借りるお金が必要」と言うので、筆者は、昨年他界した芸能リポーターの梨元勝さんに相談。2人で25万円ずつ出し合って、ミチに渡した。それだけでは生活費が困窮すると思い、マスコミ関係者を集めて、1万円の会費でミチの再起を祝うパーティーを開いた。集まった30万円をミチに生活費として渡したが、その日にミチはその金でテレビゲームに興じた。
そしてその後、クスリにまた手を出し、筆者の前から消えたのだった。

 その点、ジョーは違っていた。差別の中から這い上がってきた。『証』では、ジョーのかつての悪友・館ひろしにもノーギャラで対談に協力していただいた。残念ながら、本の売れ行きはサッパリだったが、素晴らしい本ができたと自負している。本を出版して分かったことだが、ジョーの信奉者は日本だけでなく、アフガンを中心にした難民キャンプの子どもたちを含めて数知れない。

ファンのためにも、ジョーが一日も早い復活を遂げることを切望する。
(文=本多



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