元ハンセン病患者が語る激動の半生とジブリ作品に込められた宮崎駿の想い
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 10年前の3月、新聞各紙に厚生労働大臣・坂口力(当時)の名前である謝罪広告が掲載された。

ハンセン病患者・元患者に対しては、国が『らい予防法』とこれに基づく隔離政策を継続したために、皆様方に耐え難い苦難と苦痛を与え続けてきました。このことに対し心からお詫び申し上げます」

 この前年、小泉純一郎内閣総理大臣(当時)によって、政府はハンセン病国家賠償請求訴訟判決への控訴棄却を決定。国は正式にハンセン病に対して、これまで取ってきた政策の誤りを認めることとなった。1996年に「らい予防法廃止法」が施行されるまで、感染を防止するという名目で、隔離政策が推進されてきたハンセン病。しかし、その原因となるらい菌の感染力はとても弱く、日常生活を共にしても感染するような病気ではない。国や医学界は昭和20(1945)年代にその事実を知りながらも、隔離政策を推奨する「らい予防法」を1996年まで存続させてきたのだ。

 厚生労働大臣の謝罪から10年。ハンセン病を取り巻く状況はどのように変化しているのか。東京都東村山市にある国立ハンセン病資料館に佐川修氏を訪ねた。

 ハンセン病療養所「多磨全生園」に併設されている国立ハンセン病資料館。この施設の立ち上げから精力的に活動を行い、現在でも語り部としてその悲劇を語り継いでいる佐川氏は今年83歳。自身も元ハンセン病患者であり、国や法律に振り回された半生を送った。

 ハンセン病に罹患すると、末梢神経障害と皮膚症状を併発し、顔面や手足にひどい変形を生じさせることもある。14歳からハンセン病患者として、隔離施設の中で生きてきた佐川氏。病気自体は完治しているものの、今でも後遺症の影響で右手が動くことはない。


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