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 喫茶店から飲み屋へ場所を移し、インタビューを続行。ビールと緑茶割りをガブ飲みしながら、瓜田が語る。

──留置所を出て、真っ先に何をしましたか?

「まず飲みに行きました。新宿に。そのとき『俺って、こんなに小心者だったんだ』と、自分でビックリしましたね。東スポの1面に載るなんて、なかなか経験しないこと。さすがにここまでの扱いになると、俺も鼓動が速くなったり、手が震えたり、雑踏を見るだけで気が滅入ったりと、しばらく心が落ち着きませんでした。まあそれも、何軒か飲み歩いているうちに治まりましたけどね。

で、ひとしきり飲んだあと家に帰り、ありったけのキャッシュを握りしめて旅に出ました」

──ブログにも書いてありましたよね。「旅人」になったと。旅の目的は?

「東京には、敵に回った人間もいれば、ああだこうだ言うマスコミもいる。そうしたノイズをしばらく遮断して、自分を見つめ直す機会がほしかった。また、俺はずっと“新宿人”でまだまだ日本を知らないので、あらためて全国を回ってみたいという思いもありました」

──ひとり旅ですか?

「ええ。まあそうはいっても俺の場合、北は北海道から南は沖縄まで全国各地に有力な支援者がいるんで、そういう方々にだいぶお世話になりましたけどね」

──旅先では、どのような活動を?

「基本はあちこち飲み歩きながら、女を何人も引っ掛けて、好き放題してるだけ(笑)。

いろんな都市を転々としてます。そういや那覇へ行ったとき、ホテルのパソコンで俺のニュース映像を初めて見ました。『これ、完全に俺のプロモーションビデオじゃねえか』と思いましたね。報道された時間の長さを考えると、タダで1億円分ぐらいのプロモーションをできたんじゃないかと。名前が売れたせいか、行く先々で仲間が大歓迎してくれる。山梨ではお店を貸し切ってお祝いをしてくれたり」

──確かに、ニュース映像は全国放送されましたから、知名度は全国区になったかもしれませんね。

「那覇の松山ってところにキャバクラ街があるんですが、どの店に行ってもみんな俺のことを知ってましたね。ある高級店では『瓜田が来たから大接待しろ』となって、VIPルームでいい女が13人ついて、泡盛をみんなでガンガン飲んで。そこから先のことは、酒に酔っていて覚えていない(笑)」

──その風体だと、帽子やマスクを装着したところで、お忍びの旅は無理ですよね。

「そこはもう居直っちゃってますから。美容室では『東スポの写真みたいに仕上げてくれ』とオーダーしたし(笑)」

──旅の移動手段は?

「飛行機か新幹線です」

──夜の世界の住人だけじゃなく、道中、一般の人から反応される機会も増えたのでは?

「どこへ行っても『えっ!?』っていう反応をされる。『なんで出てきてるの? 人違いのはずがない』というヒソヒソ話が始まったり。

でも、慣れっこですね。そういう人を新幹線で見かけると、『ビールちょうだい!』と言って隣に座っちゃったりしますから。『どいてください』って言われたら、『俺、どかないよ!』と言い返したり」

──そんなことしてたら、また捕まっちゃいますよ。

「なんせ、酒に酔っていて覚えていないから(笑)」

──旅先でケンカを売られたりは?

「俺もここまで来ると、もはや二次元のキャラみたいになってるんで。先日も大阪の宗右衛門町っていう物騒なところでキャバを4軒ほどハシゴしたけど、全然絡まれることはなかったですね。ま、それなりの人たちに呼ばれて行ってるんで、事前に『瓜田が遊びに行くかもしれないからよろしく』という通達が回っていたのかもしれないけど」

──ホテルで宿泊拒否されたりは?

「1回もないですね。

外タレと同じ扱いなのかな。不良ではなく、アーティストとして見られているみたい。旅先でただ遊び呆けてるだけと思われるのもシャクだから言うけど、ホテルの部屋でひとりきりになったときに、詩を書いたりもしてました。今回の旅でだいぶ感性が高まってますよ。いろんな意味で人間力が上がってきていると思います」

──現在、帰京中ですが、流浪の旅はいつまで続ける予定ですか?

「明日からまた山梨に行く予定だけど、ぼちぼち終わりにしようかなと。やっぱ俺は新宿で生きていくしかないから」

 飲み屋を出て、街頭で撮影を開始。

店ではジョッキを8杯ほど空けていたが、まだまだ飲み足りないのか、瓜田はジャックダニエルのボトルをポケットから取り出し、それをあおりながらポーズをキメる。地元・新宿だけあって、通りがかった複数の知人から「あれ? もう出てきたの?」「ご苦労様でした」などと何度も声をかけられるが、瓜田はその都度、愛想よく応対する。そんな中、引き続き話を聞く。

──今後の展望は?

「まあなんにせよ、当分はソロでやっていくつもりです。音楽なのか、本なのか、映画なのか、格闘技なのか、俳優なのか。そういうジャンルにはとらわれない。ソロで、“瓜田純士”をただ生きるってだけ。瓜田純士という名前で生き抜こうと。誰からも一切評価されない人間がゴマンといる中で、こうしてよくも悪くも注目されて、賛否両論あるのはありがたいこと。どうせ長生きしない人生。追われてるうちが華なんでね。追われてる間にいかに何をやれるか。歩くこともアートだし、生きることもアート。遊び方も、酒の飲み方もすべてオリジナルのアートでいこうかなと」

──具体的な戦略は?

「今までは、ちょっとした自己顕示欲や自分の才能を、いちいち小出しにしすぎたかもしれない。今後は、沈黙をいかに保つか、ってことも意識したい。能力を小出しにせず、筆力なり演奏力なり歌唱力なりをじっくり高めてから、ガブッといこうかなと。だからしばらく派手な動きがなくても、心配しないでください。のほほんとした旅日記や詩をブログに書いている間も、確実に牙を研いでますんで。俺は転んでもタダじゃ起きませんよ。必ず巻き返すから。必ずね」

 そう力強く言い放ち、夜の街に消えた瓜田。最後の言葉だけは「酒に酔っていて覚えていない」とならないことを祈ろう。
(取材・文=岡林敬太/撮影=島田十万)