「テレビはつまらない」という妄信を一刀両断! テレビウォッチャー・てれびのスキマが、今見るべき本当に面白いテレビ番組をご紹介。

「しゃっこい(冷たい)とが、足がつくとかつかねぇとが、考える暇なかったべ? そんなもんさ。

飛び込む前にあれこれ考えたってや、どうせそのとおりにはなんね。だったら,なんも考えずに飛び込め。なんとかなるもんだびゃ。死にたくねぇがらな」

 孫のアキ(能年玲奈)を海に文字どおり背中を押して飛び込ませた夏ばっぱ(宮本信子)は、そう言って豪快に笑った。その数日後、アキは「かっけー」田舎の風景や人々に触れ、今度は自ら海に飛び込んだ。東京での「地味で暗くて向上心も協調性も存在感も個性も華もないパッとしない」自分を海の底に置いてくるように。

そして言うのだった。

「わたし海女さんになりたい!」

 あのクドカンこと宮藤官九郎が脚本を手掛けることで話題を集めた朝の連続テレビ小説あまちゃん』(NHK総合)の舞台は、彼の故郷でもある東北。三陸海岸にある架空の町、岩手県北三陸市である。24年前に東京までつながった三陸鉄道北リアス線と美しく険しい海、そしてそこに潜る「北の海女」くらいしかない田舎町だ。アキはそこに母親の春子(小泉今日子)に連れられてやってきた。

 春子は「田舎にいたころの自分が嫌い。

ついでに、あのころのダサい自分知ってる人たちも嫌い。そういう人間関係イコール田舎だから、あたしにとっては。だから、やっぱり田舎が嫌い」と、24年前に田舎から逃げるように上京。一方、東京で生まれ育ったアキにとって、初めて出会う田舎の風景や人々が何もかも新鮮。そこに住む人々にとっては当たり前のことが、アキにとっては、ひとつひとつが「かっけー!」「じぇじぇじぇ!」(驚きを表現する方言「じぇ」の数が多いほど驚いている)の対象だ。

 クドカンドラマらしく、小ネタや魅力的なキャラクターは満載。

たとえば「北の海女」はリーダー格の夏を演じる宮本信子をはじめ、渡辺えり、木野花、美保純片桐はいりと、名前を見るだけで胃がもたれるような強烈なメンツ。さらにそれを取り巻く、杉本哲太、尾美としのり、でんでん荒川良々吹越満、といった手練たち。そんな強烈な役者たちが「じぇ!」「じぇじぇ!」「じぇじぇじぇ!」と「じぇ」だけで喜怒哀楽を表現し、クドカン流のユーモア溢れる軽やかなセリフをしゃべるから、朝っぱらから爆笑してしまう。強い方言には字幕がついたり、「じぇ」の絵文字「(‘j’)」を作ってみたり、過去のドラマからの小憎い引用をしてみたりといった遊びも絶妙な塩梅だ。

 東北弁すら「かっけー」言葉に聞こえ、すぐに真似して使うようになったアキ。地元で育ち、東京への強い憧れを持つ親友のユイ(橋本愛)が標準語でしゃべるのとは対照的だ。



 アキが世田谷に住んでいたことを知った時、それまでクールに振る舞っていたユイが目を輝かして「下北沢ってさ、演劇とロックの街なんでしょ?  秋葉原って、オタクとアイドルの聖地なんでしょ?  毎日どっかで誰かが握手会やってるんでしょ?  そうだ、井の頭公園でボートに乗ったカップルって、絶対別れるんでしょおー?」と興奮するシーンは象徴的だ。呆気にとられるアキに、矢継ぎ早に東京に対するイメージを口にする。「原宿って、表と裏があるんでしょ?  芸能人って、だいたい裏に生息してるんでしょ?  吉祥寺って、住みたい街ナンバーワンなんでしょ?」

その姿に、東京で生まれ育った自分には見えない景色があることをアキは知る。そして同時に自分が「かっけー」と思っているこの田舎の風景も、ユイには見えていないのではないかと気づくのだ。

 このドラマでは、そういった物事に対する見方や価値観の対照的なコントラストがいくつも重層的に描かれている。たとえば春子と夏、春子と24年前の春子、アキと24年前の春子……というように。

田舎を愛する人々の思いも、田舎を嫌い東京に憧れる思いも、東京から逃げてきた思いも、ただ肯定するわけでも、切り捨て否定するわけでもなく、ひとりひとりの思いを丁寧にすくい上げていく。だからいつの間にか僕らは登場人物みんなが好きになってしまう。

「アイドルになりたーーーいっ!」

 ユイが「東京行ってアイドルになりたい」と言ったときは「何言ってるんだ、この子は?バカなのか?」と開いた口がふさがらず、聞こえなかったフリをしていたアキも、彼女のその切実な思いを帯びた叫び声を聞き、ユイが「自分がかわいいことを知っている。そのことになんの迷いも戸惑いもないんだ」ということに気づくと、思わず「かっけー」とつぶやいた。

 やがてユイは「ミス北鉄」となって地元のアイドルになり、アキもまたその余波を受けて「北の海女」としてアイドル的存在になっていく。彼女たちを応援する人々はみんな夢中でキラッキラに輝いている。

そんなアキの「かっけー」は好きなものに向けられる。それはウニであり、それを獲る夏ばっぱであり、三陸の海であり、親友のユイだ。それらは彼女にとっての「アイドル」と言い換えることもできる。彼女は彼女にとってのアイドルを支えに、あの日、自ら海に飛び込んだように一歩一歩を踏み出す。一方でアキ自身も他の誰かのアイドルとして見守られることでまた別の力をもらい、誰かに力を与える。そしてアキだけでなくこのドラマの登場人物たちは、みんな自分のアイドルを持っているのだ。

 アイドルに夢中になるということは、それを全力で支えているということを支えに生きていくということだ。アイドルを見る時、僕らはそのアイドルたちに思い入れたっぷりになって、自然と全力で応援してしまう。けれど、逆にアイドルたちから応援されているように元気をもらうことがある。いつの間にか笑顔になっている。思えばそれは『あまちゃん』を見て、登場人物みんなに思い入れて応援しているうちに、笑顔になって元気をもらう、僕らの姿と同じだ。このドラマの魅力は、アイドルを見ている時に感じる魅力そっくりだ。『あまちゃん』はアイドルを描くアイドルドラマであると同時に、アイドルに夢中になることそのものを描いている。そして、このドラマ自体がアイドルのようなものという意味でも、まさしくアイドルドラマなのだ。
(文=てれびのスキマ <<a href="http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/" target="_blank">http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/>)