そのラウンジ・バーでは、みんなが音楽に合わせて楽しそうに踊っている。ある者は義足で、ある者は脳性まひで動きにくい体躯を揺らし、ある者は通常の半分しかない腕を振り回し、ある者は全身のうち唯一動く口元と目線だけを動かしリズムを取っている。
そこは、入り口に「健常者お断り」と書かれた障害者たちが集うバー「悪夢」。ドラマ『悪夢』(Eテレ)の舞台である。
『悪夢』は、毎週放送されている障害者バラエティ『バリバラ』から生まれたドラマだ。『バリバラ』とは「バリアフリー・バラエティー」の略称。
そんな『バリバラ』が、「障害者週間」に合わせて作った特集ドラマが本作『悪夢』なのだ(※再放送は9日24:00から)。
統合失調症の主人公・真を演じるのは、自身も統合失調症であるお笑いコンビ・松本ハウスのハウス加賀谷である。アルバイト先の店主をカンニング竹山、真の母を杉田かおるが演じたりしているが、登場人物の大半である障害者たちは、本当の障害者たちが演じている。真は加賀谷がそうであったように、幻覚や幻聴に悩まされている。やっと就いたアルバイト中も「お前は普通じゃない」「働けない」などという幻聴が聞こえ続け、全身白塗りの男たち=シロイヒトに常に追われているのだ。
なお、このシロイヒトを演じているのは麿赤兒率いる舞踏集団・大駱駝艦のメンバーたち。
そんな状態だから、当然新聞配達のアルバイトも満足にできず、店主たちから「普通じゃない」「関わりたくない」と気持ち悪がられてクビが宣告されてしまう。新たなバイトを探して何度も面接を受けるが、ことごとく失敗。その帰り道でもやはり幻覚と幻聴に襲われ、シロイヒトに追われ、逃げこむように入ったのが、バー「悪夢」だった。
バーの異様な光景に真が戸惑っていると、「一緒に飲みます?」「踊りましょ」と誘う二人の女性。ひとりは、よく見ると脳性まひで足が不自由。
障害者は健常者に差別される。その問題は何度となく、さまざまな場で取り上げられてきた。だが、もっと深刻なのは、障害者もまた障害者を差別するという現実だ。真は自分の障害を隠しつつ、相手の障害を見下しているのだ。
「健常者の定義って、心身に障害のない健康な人。そんな人、世の中にいるかしら?」
両足義足のアーティスト・片山真理が演じるバーの女主人・紗江はそう言って、真に問いかける。
「自分を隠して楽しい?」
そして、「このほうが楽なの」と義足を外し、真に「抱いて」と迫る。戸惑いながらも抱きかかえた真に、紗江は言うのだ。
「ね? 人間でしょ。私たち、普通の人間なのよ」
物語は、盲目の謎の男(桂福点)から真が奇妙な果実を譲り受けたことから大きく動いていく。その果実を食べると障害がなくなるのだという。ただし、同時にこれまでの記憶もなくなってしまう。真はその究極の選択に思い悩み、バーにいる障害者たちに「あなたなら食べますか?」と相談していくのだ(このシーンだけ、ドキュメント形式に変わる)。
「今すぐ食べたい。やりたいことたくさんやりたい。新しい記憶を作っていけばいい」「障害のない世界を体験したい」という人から、「障害に慣れているので食べない」「自分の人生を否定するようなことをしたくない」という人まで、答えはさまざま。
これまで障害者を扱ったドラマのほとんどは、「障害者も頑張っている」と世間を啓蒙するような、いわば「健常者のため」のドラマだった。だが、このドラマは、障害者自身が障害者のありふれた日常と苦悩を描いている。障害者による、障害者の、障害者のためのドラマだ。けれど、「今の自分を受け入れて生きる」か「今の自分を変えて違う自分になる」といった根源的な悩みは、健常者も障害者も変わらないだろう。誰しもが何らかの“障害”を抱えている。別に、どちらかの選択が「正解」なわけではない。本来「普通」とは大多数の人たちの共通した考えや状態を、それが正解だ、常識だと強制する圧力ではない。さまざまな障害があるように、人それぞれさまざまな答えや生き方がある。それこそが「普通」の状態だ。
『悪夢』で描かれているように、いろいろな人が、普通に生きているのだ。
(文=てれびのスキマ <<a href="http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/" target="_blank">http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/>)