1月20日に日本テレビ『火曜サプライズ』が放送される数日前から、番組宣伝のスポットがオンエアされていた。人気コーナー「京さま慎ちゃんの47都道府県で飛ばすぜ!」では、山陰本線の大岩駅でおいしいケーキ屋を探すようだ。

だがそのスポットの中で、おいしそうなケーキは一切出てこない。おそらく店を探す途中であろう、京本政樹柳沢慎吾と付き添いのDAIGOが「今日は風が強い」と言っているだけだ。台風でもないし、見た感じ、まあまあ強いなという程度の風だが、京さま慎ちゃんの二人は大パニック。大はしゃぎである。そして、ナレーションが引き取る。「一体どうなってしまうのか!?」と。知らんがな!

 しかし、この光景こそが「京さま慎ちゃんの47都道府県で飛ばすぜ!」の魅力だ。あくまでも旅番組であり、日本全国の隠れご当地グルメを探すという目的はある。そして実際に、その地方のグルメに、最終的にはありつくことになる。だが、見終わった後に視聴者が覚えているのは、そのグルメがおいしそうかどうかといったことではない。京本政樹と柳沢慎吾がキャッキャ言い合ってはしゃいでいる、その景色だけなのだ。おいしそうなグルメや情報性ではなく、京さま慎ちゃんの楽しんでいる姿を視聴者は求めており、実際に彼ら二人が楽しんでいる様子は、実に魅力的だ。


 なぜ、京さま慎ちゃんは魅力的なのか? それは一言で言うなら、彼らのでたらめさだ。今この瞬間が楽しければ、そのほかのことは大抵どうでもいい、という極めて大ざっぱなスタンスである。例えばローカル線に乗り、何ひとつ構えることなく、普通の顔で、柳沢慎吾は隣に座った主婦に話しかける。まあ、もうこの時点でかなりでたらめである。芸能人でありテレビ番組であるにもかかわらず、長年連れ添った夫婦のような気安さだ。だが主婦との会話が始まると、でたらめさはより加速していく。

 二人が会話している様子を見た京本政樹が「不倫旅行(のようだ)」と冷やかし、主婦は「(顔を)隠しといてね」と冗談めかす。すると柳沢慎吾が、それでは自分の出番がカットされてしまうと物言いをつけ「そういうのは、ダメよ~、ダメダメ」と現在大流行中のギャグを口にする。そこに照れなどは一切ない。ただ思いついたから口にしている。言いたかったんだろうな、たぶん。そして、主婦は柳沢慎吾に乗っかる形で「(じゃあ)私は『いいじゃないの~』って言うね」と提案し、実際に「いいじゃないの~」と言う。
当然、柳沢慎吾へのフリである。柳沢慎吾の「ダメよ~、ダメダメ」待ちだ。そこで柳沢慎吾は、果たしてどうしたか? 特に何も言わないのだった。いや、言わへんのかい! まるっきりでたらめである。

 これは別に狙ってすかしたとか、フリに気付かなかったというわけではおそらくない。柳沢慎吾は、日本エレキテル連合のネタの流れをきちんと把握していないのだろう。だから「いいじゃないの~」が「ダメよ~、ダメダメ」へのフリであるということを、そもそも知らないのではないか。その証拠として、柳沢慎吾は「ダメよ~、ダメダメ」と言いながら、主婦に対して「アケミちゃん!」と言っている。いや、お前がアケミちゃんやろ! 完全に間違っている。つまり柳沢慎吾は「アケミちゃん!」と言いたいだけなのだ。こんなにでたらめな話もないだろう。

 しかし、その柳沢慎吾の言わば無知さを、非難するほどバカバカしいこともない。
そもそもが、でたらめなのだ。何を言ってもしょうがない。むしろ細かいことや整合性に捉われず、でたらめであっていい、今この瞬間が楽しければあとは二の次三の次だ。難しいことはいらない。正しいツッコミなど必要ない。京さま慎ちゃんは、今この瞬間を楽しんでくれていればいい。それこそが、視聴者が京さま慎ちゃんに求めるものである。

 そしてそのことは、京さま慎ちゃん自身も自覚をしている。この放送の数日前に「傑作選」として放送された回で、一同は「かにっこ館」という博物館へ行く。日本に生息しているカニが多数展示されていて、海の生物とも触れ合えるスポットだ。通常の旅番組なら、出演者が博物館の展示を見たり、アトラクションを楽しむ様子を見せるだろう。なぜならそれが、旅番組というものだからだ。


 だがその常識は、京さま慎ちゃんには通じない。彼らは「かにっこ館」の前にある池を見つけて、その池は暑い夏の日には入ってもいいそうなのだが、今は冬だ。京さまは慎ちゃんをその池に入れようとして、慎ちゃんは京さまに「お金を払うから許してくれ」と懇願する。このくだりが、延々続く。二人とも、ただただ楽しそうだ。完全にはしゃいでいる。付き添いのDAIGOは呆れたように「(博物館に)入る前のそこで、ここまで楽しめる人たちあんまりいない」とこぼすが、そこで京本政樹自身がこう言うのだ。

「これが(この旅の)醍醐味!」と。

 言われてみれば、確かにその通りだ。旅が楽しいのは、目的地があるからではない。旅をするという時間、そのものが本来の目的なのだ。確かに、目的地を決めて、ガイドブックを手にして、準備万端で出かける旅もあるだろう。
だが京さま慎ちゃんは、そうはしない。小学生が初めての修学旅行を楽しむように、彼らは旅の余分な部分こそを楽しんでいる。

 冒頭で記した「風が強い」というのもそうだ。そこで起こっているのは、「風が強い」ということだけである。ほかには何もない。それでも、京さま慎ちゃんはものすごく楽しんでいる。つまり人は、大抵のことを楽しめるのだ、本当は。どんな場所でも、何もなくても、人はそこそこ楽しめてしまう。それは忘れてしまいがちだが、そう悪いことでもないなと、京さま慎ちゃんは教えてくれる。まあ、やっていることは、今を楽しんでいるってそれだけなのだけど。

【検証結果】
 「京さま慎ちゃんの47都道府県で飛ばすぜ!」は、日本の全国各地で旅をしている。あの二人なら都内を巡ってもまったく変わらないだろうが、彼らは地方へ行く。
それはなぜか。その土地の人々が彼らに出会えるからだ。特に地方であればあるほど、有名人との出会いは貴重である。実際に番組の中でも、大勢の人が京さま慎ちゃんと出会えたことを心から喜んでいる。その喜びはきっとそれぞれの家に持ち帰られて、あるいは職場や学校へ持ち出されて、楽しい会話に形を変えるだろう。旅は人を介して拡散される。つまりは、旅が旅をする。今日もきっと、どこかの誰かの家で、京さま慎ちゃんは旅をしている。それはただひたすら単純に、楽しいだけ、の旅だ。
(文=相沢直)

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