2015年も、テレビ界には数々のニューカマーが誕生した。だがその中でも誰一人、おそらく本人でさえ、予想しなかったほどの活躍を見せているのが、小説家の羽田圭介だろう。
その確かな証拠といえるのが、12月7日に放送された『SMAP×SMAP』(フジテレビ系)への出演だ。「2015年の人気者大集合SP!!」として題されたこの日のビストロスマップには、とにかく明るい安村、厚切りジェイソン、藤田ニコル、三戸なつめといった紛うことなき人気者に並んで、羽田の姿があった。その人選に一切の違和感を覚えないほど、羽田は今年下半期のテレビを席巻していた。
それでは、タレントとしての羽田の魅力とはどこにあるのか? 今回は、こんな説を挙げてみたい。すなわち「羽田圭介=蛭子能収」説である。唐突に聞こえるかもしれない。確かに年齢も大きく違えば、印象も異なるだろう。だが、見れば見るほど、羽田と蛭子はそっくりなのだ。具体的に類似点を挙げてみよう。
(1)表情の均一さ
『SMAP×SMAP』でも、本人が「『いつも無表情で映ってる』って、いろんな人から言われますけど」と語っていた通り、羽田は表情を変えないという印象が強い。もちろん笑うこともあるのだが、無表情という表情がどこか顔に貼り付いている。これは、羽田とほかのタレントと大きく違う部分であり、ある意味でワイプ芸など過剰な表情に辟易した視聴者が好ましく思うところでもあるだろう。
一方の蛭子もまた、常に同じ表情をしていることでおなじみだ。両者の表情の均一さはともに、共演者やスタッフが求める表情をしないという、自己の強さと捉えることもできる。個であっていいというそのスタイルは、ときに価値観を押しつけられがちな現代社会において、ある種の視聴者が無意識下に求めているものだともいえる。
(2)度を越した偏食
蛭子といえば『ローカル路線バス乗り継ぎの旅』(テレビ東京系)でも、決して地元の名産品を食べずにその偏食をいじられるというのがお決まりだが、羽田の偏食ぶりもまた度を越している。同3日に放送された『ダウンタウンDX』(日本テレビ系)の中で羽田の食生活が紹介されたのだが、毎日、朝昼晩、同じ鶏ハムメニュー。この点でいえば、蛭子を超えていると言っても過言ではない。
食欲とは言わずもがな、人間の三大欲求のひとつなわけだが、そこに対しての趣向のなさが生き物としての異物さを強調している。最後の最後で共感できなさそう、という雰囲気がどこかにある。だからこそ、怖いもの見たさで、視聴者は羽田や蛭子のような人知を超えた存在を求めるのかもしれない。
(3)ギャラに対する考え方
『ダウンタウンDX』においては、羽田のギャラに対する考え方も明らかになった。というか、ギャラ自体を自らの口で明かしていて「僕の原稿料だと(1本)80万円。それだと、テレビに3~4本出れば……」と堂々と発言。松本人志から「もうちょっと包み隠してもらっていいですか?」とクギを刺されるほどにあけすけであった。
そしてこの思想は「テレビに出るほうがギャラが良いから、漫画は描きたくない」と日々公言する蛭子とまったく同じだ。もちろん羽田はまだ若く、蛭子のような態度で創作に当たるということはないだろうが、本質は等しい。もし羽田が競艇にハマることがあったら、事態はどう動いてもおかしくはない。
以上、3つの点から「羽田圭介=蛭子能収」説を立証してみた。両者がかなり近い存在であることが、おわかりいただけたのではないだろうか。そして両者に共通するのは、徹底的な異物感であり、それはテレビという場所においても自己を曲げない、という態度に由来している。無理をせず、ウケを狙わず、ただ自分としてそこにいる。さまざまな意味でアイデンティティを失いつつある現代日本において、社会を象徴するメディアであるテレビが彼らのような強い自己を求めるのは、ある意味で必然だといえるのかもしれない。
【検証結果】
「羽田圭介=蛭子能収」説でさらに補足するなら、両者とも、人が言いにくいことを堂々と言ってくれるという点も挙げられるだろう。それを言うか、と視聴者が驚くような、身もフタもないことを彼らはしばしば口にする。それは異物のみに許される行為だが、一般人である視聴者のストレスを解消している。社会全体を息苦しい空気が包む中で、羽田圭介と蛭子能収の発言は、確かに求められているのだ。
(文=相沢直)
●あいざわ・すなお
1980年生まれ。構成作家、ライター。活動歴は構成作家として『テレバイダー』(TOKYO MX)、『モンキーパーマ』(tvkほか)、「水道橋博士のメルマ旬報『みっつ数えろ』連載」など。プロデューサーとして『ホワイトボードTV』『バカリズム THE MOVIE』(TOKYO MX)など。
Twitterアカウントは @aizawaaa