【てれびのスキマ特別寄稿】テレビドラマは、東日本大震災をどのように昇華してきたのか

【てれびのスキマ特別寄稿】テレビドラマは、東日本大震災をどのように昇華してきたのか

「娯楽に関わる多くの人が自分自身に問いかけました。ドラマや映画や歌がなくても人は十分生きていける。でも水や食べ物、電気や燃料がないと人は困る。生きられない。世の中がすっかり変わってしまった。3月10日まで、日々どんな気分で暮らしていたか、アキもまた思い出せず、自分がどうしたいのか、わからないでいました」

 これはNHK朝ドラ『あまちゃん』の物語の終盤、東日本大震災に見舞われた後のモノローグである。アイドルとして娯楽を提供してきたアキ(能年玲奈)が、果たして自分はこのままアイドルをやっていていいのだろうか、自分に何ができるのか、苦悩する。東日本大震災は、こうした悩みを「娯楽に関わる人」すべてに抱かせた。そして、震災後に作られたドラマのほとんどは、直接的・間接的を問わず、多かれ少なかれ、「震災」の影響を受けている。

 最初に“直接的”に「震災」というキーワードが出てきたドラマは、僕が記憶している限りでいえば、2011年10月から放送された『11人もいる!』(テレビ朝日系)だった。『あまちゃん』と同じ宮藤官九郎の脚本で、貧乏な10人+幽霊の大家族を描いたホームコメディだ。その中で、被災地から避難してきた転校生・卓郎(渡邉甚平)が登場する。彼は大家族の一員である五月(赤石那奈)に恋をし、下駄箱に手紙を忍ばせる。彼に興味がない五月は手紙すら読もうとしないが、そんな態度をクラスの女子が責め立てる。

「かわいそうじゃん、読んであげなよ」
「卓郎君、地震で大変だったんだよ」
「日本中がひとつになろうとして」

 それに対し、五月はきっぱりと言う。

「それとこれとは別」

 宮藤は一貫して、「普通」であることの大切さをテレビドラマの中で描いてきた。震災後、日本では「普通」で居続けるのが困難になった。そんな中でも宮藤は震災を特別視せずに「普通」の中のひとつとして描いている。『あまちゃん』でも、宮藤は震災を描くに当たって「(震災を)やらないのもウソ、それだけをやるのもウソ」(MSN産経ニュース)と語っていた。

 また、ネット上の自身の日記でも「『あまちゃん』は震災を描くドラマではありません。お茶の間の皆さんが愛着を持って見守って来たキャラクター達が、その時を経て何を感じ、どう変わるかは、ちゃんと描くことになると思います」とつづいている。
 
 その言葉通り、『あまちゃん』における「震災」は数あるエピソードのひとつにすぎない。『11人もいる!』では、主人公である大家族は家を失いキャンピングカーで全国を放浪しながら、「真田合唱団」を結成し、歌を歌って楽しげに生活する姿を描いて終わる。幽霊のメグミ(広末涼子)と一緒に。彼らが歌う「家族なんです」は、こんな歌詞だ。

「助け合ったり 励まし合ったり しなくていい それが家族なんです」
「家がなくてもおもしろい あったらあったで超おもしろい それが家族なんです」
「生きていても 死んでいても 最悪見えなくてもいい 好きだから 一緒に暮らすんです」

 震災以降、ドラマの作り手には「死者との向き合い方」「共同体における“絆”のあり方」「表現者としての立ち位置」を描くことが避けられなくなってきた。『妖怪人間ベム』や『泣くな、はらちゃん』『ど根性ガエル』(いずれも日本テレビ系)を手がけたプロデューサーの河野英裕は、それに自覚的な作り手のひとりだ。

『泣くな、はらちゃん』は、ヒロイン・越前さん(麻生久美子)が描いたはらちゃん(長瀬智也)が“現実”の世界にやってくるという岡田惠和脚本のファンタジー。純真無垢で美しい世界しか知らないはらちゃんはある時、震災や紛争などの悲惨な映像を見てショックを受け、涙を流す。「世界」を知ったのだ。そして『ど根性ガエル』では、主人公のひろしが移動販売車で旅に出る。彼が行き先に選んだのは福島だった。ある農家にたどり着いたひろしは、手間ひまかけて作られている米に、「日常」の意味を知るのだ。

 河野は震災3カ月後に受けた東京新聞のインタビューで、こう答えている。

「ぼくのドラマにはファンタジーの要素があったりするが、核心にあるのは日常。今回の震災で、日常がもろくも崩れさったり、原発事故という非日常が日常になっている。現実世界が日常と非日常の中間地点になってしまっているが、今までちゃんとやろうとしてきた日常を、これからもやっていこうと思う」

 河野は、日常を描くためにファンタジーを駆使しているのだ。

 東日本大震災がこれまでの震災と違うのは、同時に原発事故というものがあることだ。たとえば、阪神大震災のときは、復興に向けて基本的に一枚岩だった。だが、福島第一原発事故による放射能汚染が事態を複雑化させた。それが表面化したのが「がれきの受け入れ」拒否だった。「絆」を声高にうたいながらも、いざ自分たちに直接的な負担を迫られると拒絶する。それどころか、攻撃する。

 そんな「断絶」(と「伝える」ということ)を丁寧に描いたのが、『ラジオ』(NHK総合)だった。被災地である宮城県女川町で町民有志により放送を続けている「女川さいがいFM」の実話を基に、一色伸幸が脚色したドラマだ。ヒロインは、高校生の某ちゃん。(刈谷友衣子)。がれきはもともと被災者の家であり、生活であり、大切な思い出だ。「受け入れなくてもいいから、汚れたもののように言わないでほしい」。そう切実につづった某ちゃん。のブログが炎上してしまう。某ちゃん。は言う。

「被災地の外で11日にしか思い出されないあの震災は、私たちの日常なのです。過去形ではない、現在進行形なのです。私にしたら11日は震災を思い出す日でもなく、黙祷する日でもなく、被災地と被災地外の温度差を感じる日になってるように思います」

 こうした「断絶」は今期の“月9”ドラマ『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』(フジテレビ系)でも象徴的に描かれている。物語が震災の少し前から始まっていることから、ドラマ開始当初から「震災」が描かれることが予想されていた。

 これまで、脚本を担当する坂元裕二は『それでも、生きてゆく』や『最高の離婚』(ともにフジテレビ系)でも、震災の影響を受けたであろう場面を登場させていた。だから、今度はいかに震災を描くのか、注目されていた。

 果たして、直接的に描かれたのは「おめえ知ってたが? 坂上二郎さんが亡ぐなっちまったんだってよ」とタクシーの運転手が語る震災前日まで。そこで第1章が終わり、5年後の第2章がスタートする。第2章の開始時、登場人物たちの心模様は大きく変わっている。つまり『いつ恋』では、震災は心の「断絶」の象徴として使われているのだ。

 だが、こうした「断絶」が「断絶」のままで終わらないのがドラマのファンタジーであり、希望のはずだ。それはもしかしたら現実逃避かもしれない。けれど、逃げたくても逃げられない現実に立ち向かうときに、フィクションの力が武器になることもある。

「人はドラマや映画や歌や笑いがなくても生きていける――」

 そんなわけないじゃないか。

 僕らに必要なのは、フィクションという希望なのだ。
(文=てれびのスキマ http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/)

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