『突然ですが、明日結婚します』(フジテレビ系)の最終回。視聴率は6.0%(ビデオリサーチ調べ、関東地区/以下同)と、5.0%だった第6話に次いで2番目の低さ。

全話平均も6.6%と、同枠での史上最低記録を大幅に更新しました。

 ところで今日、東京でもが開花しましたね。穏やかな気持ちで、この最終回を含めてドラマ全体を振り返ってみたいと思います。

■flumpool・山村隆太の起用について

 1月~3月に放送されたこの作品の制作発表が行われたのは、年が明けた1月8日のこと。放送は第4週の23日(月)からで、明らかに出遅れたスタートでした。フジテレビはトラブルを明らかにしていませんが、昨年末にかけて進んでいた企画が頓挫し、差し替えとして用意されたのが『突然ですが、明日結婚します』だったのです。

 当然、売れっ子の俳優さんのスケジュールは埋まっています。約3カ月を拘束する連続ドラマのキャスティングは、遅くとも半年前にはオファーが始まるといいます。そんなわけで同月から海外に留学予定だったという西内まりやと、演技未経験のflumpool・山村隆太がブッキングされましたが、この山村の起用が第1の失敗だったと思います。

 もちろん、ミュージシャンだからダメ、演技未経験だからダメ、というわけではありません。事実、山村と同じアミューズ所属の藤原さくらは昨年4月期の月9『ラヴソング』で本職の夏帆菅田将暉を相手に充実した芝居合戦を見せていましたし、ピエール瀧浜野謙太は今やバイプレイヤーとして確固たる地位を築いています。武田鉄矢石橋凌なんて、若い世代はミュージシャンだったことすら知らないでしょう。
いわずもがな、西内まりやも歌手活動をしています。

 結果として、山村という人に演技の素養がなかったことがドラマの欠点になりました。相手のセリフに反応できない、顔の表情で感情を表現できない、抑揚をつけた発声ができない……もちろんこれは、山村氏の責任ではまったくありません。flumpoolは『NHK紅白歌合戦』に何度も出演し、日本武道館公演をこなすほどの一線級のバンドです。ただ、演技には向いていなかった。演技に向いていない人間を主役級に据えてしまったこと。これは100%、完全にフジテレビの落ち度です。これ以上ないほどの「妥協」だし、「いいものを作ろう」という意識の欠如だと思います。

■原作『突然ですが、明日結婚します』について

 制作に急を要した今回の月9では、当然、準備に時間が必要なオリジナル脚本を用意することはできません。通常、いくつか連ドラの企画や仮シナリオくらい準備してあるはずですが、適当なものがなかったのでしょう。人気コミック『突然ですが、明日結婚します』(小学館)が原作に選ばれました。

 同コミックは、少女マンガではありません。
セックスシーンがふんだんに盛り込まれた、いわゆるレディコミに分類される作品でしょう。連載誌である「プチコミック」誌のキャッチフレーズも、小学館の公式サイトによれば「オトナの恋愛コミック誌。ねえ、もっと恋しない?」というもの。明らかにティーン向けではありません。

 原作ではナナリューとあすかがセックスをすることで関係性に変化が訪れますが、月9でセックスをするわけにはいきません。それどころか、セックスの匂いを完全に消さなければいけない。そういう基準が一概に悪いというわけではありませんが、原作選びの時点で「月9では描き切れない」物語を選んでしまっていたということです。

 また一方で、同コミックはコメディ作品でもあります。ドラマも初期段階では、原作よりさらにコメディ寄りに作ろうとしていた意図が感じられました。原作ではイケメンだったナナリューの親友・小野さんに“冴えないデブ”である森田甘路を起用したこともそうですし、加藤諒椿鬼奴といった、芸達者でキャラクターの立った配置にも、作品の世界観を定める上で重要な役割を背負わせていたはずです。

 しかし、肝心のナナリューこと山村氏が演技ができないので、この作品はコメディにはなりえませんでした。ここにもミスマッチが発生しています。


 世の中には、シリアス演技はできてもコメディができない俳優はたくさんいます。重ねて言いますが、山村氏に責任はありません。どういう順番かは知りませんが、山村氏を起用するなら起用するなりの企画選びをする必要があったということです。山村氏はずっと仏頂面で、ボソボソとしかしゃべることができない。だったら、仏頂面でボソボソとしゃべってるけど「でも、それがいい!」と思える企画を用意すべきだったのです。逆に、コメディ企画であることが先に決まっていて山村氏を起用したのなら、これ以上ないほどの「妥協」だし、「いいものを作ろう」という意識の欠如だと思います。

■全9話の主に脚本について

 この原作を選んで、しかもセックスが描けないことになり、脚本家は途方に暮れたことでしょう。2人の関係性に、発展を与えることができないのです。

 昨日放送された最終回のクライマックスで、ナナリューとあすかは声を揃えて「突然ですが、明日結婚します!」と宣言しました。出会って恋に落ちた2人が、いろいろあって最後に2人でこのセリフを言う。きっとそれだけは決まっていたに違いありません。あとは、時間を埋めるための空虚な会話や、山崎育三郎による空虚なセクハラ、それに高岡早紀の空虚な説教が続くばかりでした。
9週にわたって、それが続くばかりでした。

 第1話で、あすかがナナリューに恋をしたきっかけは、買い物中に偶然手が触れ合ったことと、前カレにフラれた傷が癒えていないときに優しくしてくれて、キャンディをくれたことだけでした。「ティーン向け」だから、それでいいという判断なのかもしれませんが、そういうきっかけで付き合い始めた2人には話すことが何もありません。ケンカとキス、ケンカとキス、ケンカとキス、「胸キュン」シーンの羅列が続き、「結婚したい」あすかと「結婚したくない」ナナリューとの価値観の衝突やすり合わせ、つまり2人の間で「結婚についての話し合い」が行われることは、ほとんどありませんでした。

 そもそも、ドラマ版の高梨あすかには「こういう人と結婚したい」「こういう相手となら理想の家庭を築ける」という考え方そのものがありません。買い物中に手が触れて、なんかキャンディをくれたイケメンを好きになったから「この人と結婚したい」と思っただけなんです。「この相手となら」と、なぜあすかが思ったのか。エリートの先輩社員に対して「この相手はダメ」と、なぜ思ったのか。ナナリューのどこが好きで、なぜ結婚相手に選びたいと思ったのか。それを語らずして「結婚したい」という気持ちを理解できるわけがないんです。

 ドラマの登場人物に共感できるかどうかは、その人物の価値観や人生観に共鳴できるものがあるかどうかで決まります。しかしこのドラマでは、価値観や人生観が、視聴者に提示すらされなかった。
わたしはこのドラマに出てくる登場人物の誰ひとりとして、好きにも嫌いにもなりませんでした。あすかやナナリューが、このドラマ時間の以前にどんな人生を送って、どんな恋愛をしてきたかも一切想像できなかったし、「結婚します!」と宣言した2人がどんな結婚生活を送るのかも一切想像できません。爺さん婆さんになっても、カップラーメンを食ってキスをするだけの生活を送っているようにしか思えない。そのまま死んでいくとしか思えない。つまり、人間が描けていないということです。

 第1話のレビューで「『結婚』を語っていくドラマで“イケメンに優しくされたら、理屈抜きに好きになっちゃう”女のコが主人公というのは、これはすごく展開に不安を残す原作改変だと思った次第です」と書きましたが、その不安がものの見事に的中してしまいました。

■で、何が言いたいの?

 すごくつまんなかったと言いたいんです。

 この作品に「いいところ」があるとすれば、視聴率が最低に低かったことくらいです。この程度の創作物が電波に乗ってたくさんの人に届けられてしまったら、みんなテレビドラマという媒体そのものに絶望してしまうよ。

 最後にもう一度、念を押しておきますが、山村氏を含むキャストに今回の失敗の責任は一切ないと思います。フジテレビさん、次からはがんばってください。
(文=どらまっ子AKIちゃん)

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