フリーターという言葉を広めたのは、リクルートのアルバイト情報誌「フロム・エー」(現在は休刊)。
1987年には「フロム・エー」創刊5周年を記念して『フリーター』というタイトルの映画もつくられている。
ともあれ、この映画を通じて喧伝されたのは、フリーターという新しい生き方。その生き方で享受されると信じられたのが、会社や社会に縛られない自由な生き方というものである。
アルバイトの賃金はうなぎのぼり。正社員の賃金はまだまだ抑えられていたバブル前期。この新たなライフスタイルは、大いに魅力的だった。何しろ、当時、学生が必死にアルバイトをすれば40万、50万円と稼ぐことも可能だった。なのに、卒業して就職すると給料は20万円足らず。「やってられるか」感は、ずっと強かったのだろう。
「財界展望」1988年10月号(財界展望新社)では、学生援護会が行った学生の意識調査を紹介しているが、ここでは4人に3人の割合で学生はモラトリアム意識を持っていることや、当時、徐々に導入されつつあったフレックスタイム制にも強い関心を示していることが記されている。
アルバイトによって、目先のカネには困らない中で「もしかしたら、会社に勤めなくても、一生好きにやっていけるのではないか」という希望が、現実味を持っていたのである。
■フリーターを絶賛した人々の現在
それを、若者を「使う」側の人々が、さらに後押しをした。フリーターというのは、充実した人生を送ることのできる素晴らしい生き方なのだと……。
バブル時代、学研が発行していた女性誌「ネスパ」1988年5月号の特集「フリーアルバータの魅力!!」は、そんなフリーターとして生きることを絶賛しまくる記事。すでにリード文からしてテンションが高い。
仕事=フルタイムワーク……なんて考え方はもう古い!
自分のライフスタイルにあわせて好きな時、好きな形(スタイル)で働く人たち、これがフリーアルバイターです。
やりたいことをやりぬくためにあえて就職しないという生き方、ステキだと思いませんか?
……こんなテンションで始まる記事ゆえに、紹介されるフリーターとして生きる女性たち=読者が憧れるべき存在もレベルが高い。
まず紹介されるのは、昼は劇場事務で稼ぎつつ夜は舞台に立っている劇団女優。週6日働いて、月収は15万円。なるほど、誌面にとっては理想的な夢に生きているタイプ。いったい、今はどうしているのかと調べてみたら、現在も女優業のほか舞台演出や脚本で活躍を。いやいや、早稲田の二文→劇団って、これはフリーター以前にそういう生き様じゃ……。
おそらく、こんな初志貫徹な人生は例外中の例外。
もっとも強烈なのは、子ども会のボランティアが楽しいので、仕事は週3日、月収5万円のみという女性が。これ、賞讃されるよりも、誰かが止めたほうがよい案件だと思うのだけど、どうだろうか?
そんなフリーターの女性たちよりも強烈なのが、特集の後半に登場するフリーターとしての生き方を賞讃する業界人たち。
こちらは、現在の状況も追いやすかったので、そちらも一緒に紹介したい。
まず「女性は自分の好きな仕事をしたいから、結果的にフリーターが多くなる」という主旨で語る、当時「とらばーゆ」編集長だった江上節子氏は、現在は武蔵大学で教授に。
「いつも燃えていないといけないんです」と語るシンガー・和田加奈子氏は、その後、一般男性と結婚し引退。離婚後、マイク眞木と再婚し、時々テレビにも出演している。フリーターの名付け親ともいえる「フロムエー」編集長だった道下勝男氏は、さまざまな企業を経て、トータルヘルスプロデュースを行う企業の役員に名前がある。
なんだろう。フリーターを推奨していたハズの人々から感じる「寄らば大樹の陰」感は。
唯一、企業に入っても先細りならばフリーでもよいのではないかと語る、西川りゅうじん氏は、現在もさまざまな大規模イベントのプロデューサーなどに名を連ねている。
いや、結局、これくらいの能力がなければフリーターはできなかったのか。世の中は残酷なものだ。
(文=昼間たかし)