自分の居場所がどこにもない、誰からも必要とされていない。現代人にとって、とても切実な問題だ。

イス取りゲームのように、ようやく自分が腰かけられるイスを見つけても、すぐに音楽が流れ始め、再び数少ないイスを奪い合うはめに陥る。「こんなゲーム、やめよう」と誰も言い出せないまま、また音楽が流れ始める。それならいっそ、どこかイスのない世界を見つけたい。スイスの児童文学『アルプスの少女ハイジ』は、高畑勲(演出)、宮崎駿(場面設定・画面構成)が手掛けたテレビアニメシリーズ(フジテレビ系/1979年)で日本でもおなじみの作品。スイス・ドイツ合作映画として実写化された『ハイジ アルプスの物語』を観ると、ひとりの少女の居場所さがしという現代的なテーマが込められた物語であることに気づかされる。

 アニメ『アルプスの少女ハイジ』は高畑勲、宮崎駿らがスイス・ドイツをロケハンして回った日本初の意欲的なテレビアニメだった。その甲斐あって、アルプスの雄大な山並みやアルムの村の暮らしぶりなどが見事にアニメーション化され、日本だけでなく世界中の人々を魅了する作品となっている。高畑勲、宮崎駿が大自然と人間とが共生する理想郷(後のスタジオジブリ作品に共通するテーマ)として描き出したアルプスの山小屋での生活が、今回の実写映画ではスクリーンにそのまま映し出される。肌着姿で野原を走り回るハイジ、屋根裏部屋の干し草のベッド、子ヤギのユキちゃんたちをペーターと一緒に放牧するシーン、とろけるチーズを乗せた美味しそうなパン、ソリに乗っての雪山の大滑降……。アニメ版でもおなじみの名場面を、上映時間111分の中にぎゅっと凝縮された形で楽しむことができる。

 原作ではキリスト教色が強かったが、アニメ版と同様に今回の実写映画も宗教色は薄め。幼い頃に両親を失ったハイジ(アヌーク・シュテフェン)は、叔母デーテ(アンナ・シンツ)に連れられて、アルプスの山奥で暮らすアルムおんじ(ブルーノ・ガンツ)のもとを訪れる。
それまでハイジの面倒を看ていたデーテだが、子連れでは仕事先が限られてしまう。ハイジにとって祖父にあたるアルムおんじに引き取ってほしいと頼みにきたのだ。頑固で偏屈なアルムおんじは拒絶するも、デーテはハイジを置き去りにして一方的に帰ってしまう。アルムおんじは仕方なく、引き取り先が見つかるまでハイジを山小屋に置くことにする。村人と交流しないアルムおんじのことを、村人たちは「過去に人を殺し、それで山小屋で暮らしている」と噂していた。そのことを耳にしたハイジが「おじいさんは人を殺したの?」と恐る恐る尋ねると、アルムおんじは「お前は村の噂と私のどっちを信じる?」と質問で返してきた。幼い頃に施設に預けられた経験もあるハイジは、ひとりぼっちでいる哀しみや閉鎖的なコミュニティーで暮らすつらさを身に染みて理解していた。ハイジは自分よりずっと体の大きいアルムおん
じを優しくハグする。小さな理解者を得て、アルムおんじはようやく心を開くことができた。祖父と孫娘との2人っきりの小さな家族が誕生した瞬間だった。

 ハイジの成長談である本作を語る上で重要な存在となるのは、隣国ドイツの大都市フランクフルトで暮らす深窓の令嬢クララ(イザベル・オットマン)だ。大豪邸で暮らしている金髪の美少女クララだが、アルプスで野生児のように育つハイジと違って、足が不自由なために外出することができずにいる。
母親を幼い頃に亡くし、貿易商である父親ゼーゼマン(マキシム・メーメット)は仕事が忙しく、ほんとんど家にはいない。かつてのハイジと同じようにクララも孤独な生活を送っていた。そんなクララのために、ゼーゼマン家に奉公したことのあるデーテは遊び相手としてハイジを連れてくる。独身のキャリアウーマンであるデーテとしては、山小屋生活をこのまま続ければハイジは読み書きを覚える機会を失ってしまうという彼女なりの配慮だった。だが、アルプスの自然にすっかり溶け込んでいたハイジには、大都会での暮らしは息苦しいものだった。クララとの友情は育むものの、やがてストレスから夢遊病となってしまう。医者の勧めもあってハイジは山へ帰ることを許されるが、このとき優等生キャラのクラクが長年溜め込んでいた感情を大爆発させる。

「なんでハイジだけ願いが叶うの? 私だって病気なのに!」

 ずっと一緒にいようねと約束を交わした親友ハイジだけが幸せになることが、クララには許せない。教育係のロッテンマイヤー(カタリーナ・シュットラー)に監視された屋敷の中の生活しか知らないクララには、広い外の世界を知っているハイジが羨ましくて仕方なかった。富裕層の子どもとして生まれたクララと下流層に属するハイジという階級の異なる女の子同士の友情と確執が、本作に深い陰影を与えている。また、クララとハイジとのひと筋縄ではないガーリーな関係に、田舎育ちの純朴な少年ペーター(クイリン・アグリッピ)も振り回されることになる。

 原作者ヨハンナ・シュピリが原作小説『ハイジの修業時代と遍歴時代』『ハイジは習ったことを使うことができる』を発表したのは1880年、1881年。
スイスの自然豊かな山村で明るく育ったヨハンナだったが、結婚してからは夫に付き添っての社交界での人間関係になじめずに重い鬱を患い、また長男を出産した際のマタニティーブルーと重なり、田舎での療養生活を送っている。都会での生活に疲れたハイジが心を病んでいくエピソードには、原作者自身の実体験が投影されている。車椅子生活を送るクララ、目の不自由なペーターの祖母など障害を抱えた人物が多いのもこの物語の特徴だろう。ネグレクト、独居老人、就学問題、格差社会、メンタルヘルスなど、現代に通じる実に多くのテーマが内包されている。

 重松清原作、浅野忠信主演『幼な子われらに生まれ』もまた、居場所さがしの物語となっている。商社に勤める信(浅野忠信)と奈苗(田中麗奈)はバツイチ同士で再婚し、奈苗の連れ子である薫(南沙良)と恵理子(新井美羽)との4人で平穏に暮らしていた。ところが、奈苗が妊娠したことが分かり、家族の風景が一変する。生まれてくるのは信と奈苗の間にできた初めての子だが、娘たちが落ち着きを失っていく。特に小学校高学年の薫は、ことあるごとに信に噛み付くか無視するようになる。信にとって血の繋がった子どもが生まれてくることで、血の繋がらない自分たちの座るイスは失われるに違いないと恐れているのだ。

 商社をリストラされ、出向先の倉庫で働き始めた信がそれでも文句を言わずに頑張っているのは、すべて家族を養うため。信はいい父親になろうとベストを尽くしてきた。
それなのに家に帰ってくれば、薫が挑発するように信のことを睨みつけ、不満を妹の恵理子にぶつけ、家の中はギスギスしまくっている。奈苗は生まれてくる子どものことで精一杯で、細かいことにまで気が回らない。信は自宅にいながら、自分の居場所はここではないように思え、次第に不穏な表情を浮かべるようになっていく。『アカルイミライ』(03)や『ヴィヨンの妻』(09)で二面性のある演技を見せた浅野だけに、表情がどんどん虚ろになっていく様子は『シャイニング』(80)のジャック・ニコルソンのようでとても怖い。

 本作を撮った三島有紀子監督は、NHK時代に『トップランナー』『NHKスペシャル』などのドキュメンタリー番組のディレクターを務めた経歴の持ち主。重松清の原作小説をベテラン脚本家の荒井晴彦がシナリオ化した本作ながら、三島監督は大胆にもドキュメンタリータッチの作品として、順撮りでの一発撮りに挑んでみせた。荒井晴彦の書いたシナリオにはないアドリブでの台詞も少なからず含まれているものの、家庭崩壊の危機というテーマと演出スタイル、子役も含めた俳優たちのポテンシャルがうまく噛み合ったスリリングなドラマに仕上がっている。パッチワークのような、信たちの継ぎ接ぎ家族は無事に再生できるのかそれも失敗に終わるのか、最後まで目が離せない。

 家族というと自分が生まれたときから当たり前のように存在するものだと思いがちだが、『ハイジ アルプスの物語』や『幼な子われらに生まれ』を観ていると、家族とは完成形として与えられるものではなく、様々な葛藤を経て築き上げていくものであり、また人間の成長や変化に応じて流動的に変わっていくものであることが分かる。どうやら、そのとき生きている人間の数だけ、いろんな形の家族像がこの世界には存在するらしい。
(文=長野辰次)

『ハイジ アルプスの物語』
原作/ヨハンナ・シュピリ 監督/アラン・グスポーナー
出演/アヌーク・シュテフェン、ブルーノ・ガンツ、イザベル・オットマン
日本語吹替え版/花澤香奈、茶風林、早見沙織
配給/キノフィルムズ 8月26日(土)よりYEBISU GARDEN CINEMAほか全国ロードショー
(c)2015 Zodiac Pictures Ltd / Claussen+Putz Filmproduktion GmbH / Studiocanal Film GmbH
http://heidimovie.jp

『幼な子われらに生まれ』
原作/重松清 脚本/荒井晴彦 監督/三島有紀子
出演/浅野忠信、田中麗奈、南沙良、鎌田らい樹、新井美羽、水澤紳吾池田成志宮藤官九郎寺島しのぶ
配給/ファントム・フィルム 8月26日(土)よりテアトル新宿、シネスイッチ銀座ほか全国ロードショー
(c)2016「幼な子われらに生まれ」製作委員会
http://osanago-movie.com

編集部おすすめ